四章 良いこと探し
四章 良いこと探し
土曜日。アイルが返品されてしまうのは明後日だ。
「お母さん、おはよう」
「おはよう、琴葉。朝食の準備はできているから、顔を洗ってきなさい」
「もう、洗ってきたよ」
「あらそう、すぐにトーストを焼くわね」
ダイニングテーブルの席につくと、目の前にはベーコンエッグとサラダが置かれている。
「お母さんは食べないの?」
「今日はお父さんがお仕事で早かったから、一緒に食べてしまったのよ」
「そうなんだ……お父さん帰り遅かったのに大変だね」
「そうねぇ。琴葉やお母さんのためにがんばってくれているから感謝しないとね」
チンッ、という焼き上がりを知らせる音が鳴ると、こんがり焼けたトーストがわたしの目の前にやってきた。
「いただきまーす」
「それじゃあお母さんは、洗濯してくるわね」
楽しみにしていた、たまごの黄身をくずさないように口へ頬張る。
「おいしいぃ!」
トーストをかじりながらスマホをさわっているとメッセージが届いた。五年二組のお友達、
「なんだろう……え? えぇええっ!」
キララちゃんがイベントに出られないかもしれないって、どういうこと? 慌てて公式ページにアクセスしても画面が出てこない。たぶん、ファンのみんなが一斉にネットへつなげているせいだ。
来月、キララちゃんがソロデビュー曲の握手会を、となりの駅にあるデパートで開催する予定があった。
わたしはキララちゃんに会えるのを楽しみにしていたから、この話はものすごくショック……きっと果奈ちゃんもファンだから同じ気持ちだと思う。
「キララちゃん、なにかあったのかな……」
「どうしたの? 浮かない顔をして」
「あ! お母さん! キララちゃんのイベントが中止になりそうなの!」
「そういえば朝の情報番組で言っていたわね。体調がよくないらしいわよ?」
「え! そうなの? 大丈夫かな、キララちゃん」
「きっと大丈夫よ。早く元気になるといいわね」
お母さんは、わたしが食べおえた食器を片付けながら言った。
あ……そうだ。
「お母さん、それ、わたしが自分で洗う」
「やってくれるの? ほんと昨日からよく手伝ってくれるわね。いつまで続くのかしら? 今日で終わってしまうかも知れないわね」
「あはは……」
お母さん、するどい。これで三つめのクリアになるからなぁ……でも、嬉しそうだったし、これからもときどきお手伝いしてあげようかな。
洗いものは終わったので、アイルのもとへ急いだ。キララちゃんのことはショックだけど今は三つめのクリアを早くアイルに報告しなくちゃ!
「アイル! 三つめクリアしたよ」
部屋に戻るとアイルはまだベッドの上で眠っていたので軽くゆらしてみる。
「うーん……サインが、ほしい子は並んで……むにゃむにゃ」
どうやら寝ぼけているみたい。アイドルになった夢でも見ているのかな?
「ちょっとアイル! 起きて!」
抱きまくらをもち上げて強めに声をかけると、薄目でこちらを見つめてきた。
「おはよう琴葉。サインなら順番を守ってくれよな……」
「寝ぼけてるの? ほらっ! 起きて。良いこと三つクリアしたんだから!」
アイルの目がパチリと開く。
「本当か!」
「うん。だからこれで夢が叶うね! なにか感じたりする?」
「うーん。なにも感じない」
「えー! でも三つ良いことしたよ? もう少しまっていたらアイドル事務所からスカウトの連絡がくるかも」
「その前に、ぼくの姿に変化がないのはおかしい……」
たしかに抱きまくらのままで人間の姿にはなっていない。まくらのままアイドルデビューというのも、おかしな話だし。
アイルは黙って考え込んでいるように見える。なにがダメだったんだろう? わたしのやった良いことが足りていなかったのかな……。
「あ! もしかして!」
アイルは突然、なにかを思いついたような声を出して、わたしの手から飛び出しベッドの上へ着地した。
「なにかわかったの?」
「ぼくの考えが正しければ、たぶん琴葉が良いことをしても意味がなかったんだよ。きっとぼく自身の力で三つクリアしないとダメなんだ」
「えぇええ! それなら早く言ってよね」
「無茶を言うなよ。ぼくだって知らなかったし、それが正しいかもまだわからない」
「だったら試してみるしかないね」
「そうだな……この家の中だと、ぼくにできることはなそうだし、今から外へ出て良いことを探してくる」
たしかに、お母さんにはアイルが話したり動いたりしているところを見られないようにしないといけないから、外に出たほうが安全なのかも知れない。アイルの言うとおり、この部屋の中だけじゃ、なにもできなそうだしね。
アイルは部屋を出ていこうとして、なんどもぴょんぴょんと跳ねている。どうやらドアノブが上手くつかめないみたい。
「ちょっとアイル、一人でいく気なの?」
「そうさ。だってぼくがなんとかしないとダメなんだから」
「そうかもしれないけど、アイルが一人で外を歩いてたら大騒ぎになって、良いことどころじゃなくなっちゃうよ」
「じゃあ、どうしたらいいんだ?」
「わたしも一緒にいく。アイルを抱えていれば誰にも、あやしまれないでしょ?」
「そうか……そうだな。でもいいのか?」
「もちろん! 協力するって約束したでしょ」
「ありがとう、琴葉」
普段は言葉づかいが少しガサツなアイルだけど、今のありがとうは、キュンとしちゃったかも。
髪はポニーテールにして、服はシャツワンピとレギンスパンツの組み合わせでいいかなぁ?
リップクリームに鏡、それにハンカチとティッシュ。スマホも入れたし、あとはキララちゃんも使っているウサギのぬいぐるみキーホルダーをポシェットにつけて……これでバッチリ!
「アイルおまたせ。準備できたよ」
「琴葉……まちくたびれた」
「なによ。女の子はすぐには外へ出られないの!」
「へー。そんなことより早く出発しようぜ」
「そんなことって、大切なことなんだからね」
「ほらっ、琴葉。早くいこう!」
「もうっ! わかったわよ!」
鏡の前で全身チェック! わたしはアイルを抱えると部屋を出た。
「お母さん、出かけてくるね!」
「あら、どこへいくの?」
「ちょっと、近くまでかな?」
「そんな大きな抱きまくらをもって?」
「え? あ、う、うん。果奈ちゃんが見たいって言うから!」
「果奈ちゃんと遊ぶのね。お昼どうするかだけでも、あとで連絡してちょうだい」
「うん、わかった。いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
ウソついちゃった。でも、理由がそれくらいしか思いつかなかったしなぁ……ごめんね、お母さん。
わたしはアイルを抱えて家の近所にある商店街へきた。
抱きまくらに周りの人たちが注目している感じがして恥ずかしいけど、これもアイルの夢を叶えてあげてキララちゃんの抱きまくらを手に入れるためだもの、がんばらなきゃ!
「外に出たのはいいけど、良いことってなにをしたらいいのかなぁ……アイルは思いついた?」
「なにも思いつかないな。考えがあって商店街まできたんじゃないのか?」
「人がたくさんいる場所のほうが、なにか見つかるんじゃないかなって思ったんだもん」
「ふーん」
アイルはいいかげんな返事をしているけど、返品は明後日なんだから、もう少し緊張感をもったほうがいいと思うんだけどなぁ……。
「琴葉ちゃーん!」
うしろから声が聞こえたので振り向く――と、お友達の果奈ちゃんがこっちに向かって走ってくる。今日もカラフルな着こなしがかわいい。
「果奈ちゃんもお出かけ?」
「うん。お兄ちゃんの誕生日が近いからプレゼントを探しにきたの」
「そうなの! 果奈ちゃんはやさしいね」
「えへへ。琴葉ちゃんは抱きまくらなんてもって、どうしたの?」
「えっと……」
なんて答えよう……クリーニングに出すとか? ダメダメ、果奈ちゃんにウソをつくことになっちゃう。
なにか話題を変えないと――果奈ちゃんが気になる話題は……そうだっ!
「そういえば果奈ちゃん! キララちゃんのイベント!」
「あー! そうなの! キララちゃんのイベントすごく楽しみにしていたのに……本当に中止になっちゃうのかなぁ」
「だよね。わたしもキララちゃんと握手するのを楽しみにしていたからショックだよ」
上手くごまかせたかな?
「ねぇ……ところでその抱きまくらなんだけど」
えぇええ! 話、戻すのぉおおお!
「え? う、うん」
どうしよう……。
わたしがあせっていると、果奈ちゃんからスマホの着信音が聞こえてきた。
「あ! ちょっとごめん。お母さんからだ!」
果奈ちゃんがスマホで通話をしているあいだに、なにか理由を考えたいけど……ぜんぜん思いつかないよぉ……。
「琴葉ちゃん、ごめん! お父さんが近くにきているみたい。呼ばれちゃった」
「え? あ、ううん。だ、大丈夫」
「それじゃあね!」
果奈ちゃんは大きく手を振りながら走っていってしまった。
「助かったぁ……」
「ぼくは琴葉がなんて言うのか楽しみにしていたけどな」
「むぅ! アイルのいじわる! こうしてやる!」
抱きまくらのアイルをギュッと強めに抱きしめると、腕の中であばれだした。
「こ、こら! やめろ!」
「きゃっ!」
アイルがあまりにも激しく動くからバランスをくずし、地面に向かって倒れそうになる。
瞬間――。
わたしの体は、なにかふわっとした物の上に倒れた。
気がつくとアイルがわたしの体を守るように下になっている。
「大丈夫か! 琴葉!」
「アイル……助けてくれたの?」
「まったく、あまり悪ふざけをするなよ」
アイルって、いつもはいい加減な感じなのに肝心なときにはしっかりしているんだよね……そんな一面はキュンとしちゃうかも。
「うん。助けてくれてありがとう……あれ?」
「どうした琴葉? けがでもしたのか?」
「ち、ちがうの! アイル、大変!」
白黒でプリントされているアイルの姿に色がついている。アイルは自分の体を見ることができないから気がついていないんだ。
「どうしたんだよ?」
「あのね! まくらにプリントされているアイルの姿に色がついているの!」
「え?」
「ちょっとまってね」
わたしはポシェットから出した鏡をアイルに向けてみせる。
「ほんとうだ! ぼくの洋服にだけ色がついてる!」
パーカーが黄色でズボンは緑色。色がつくだけで、だいぶ印象が変わってみえた。
「アイルの洋服ってそんな色をしていたんだね」
「これって変化だよな……でもどうして突然」
「あ! もしかして」
「なんだよ」
「ほら! わたしが倒れそうになったとき、アイルは助けてくれたでしょ? それって良いことをしたってことだよね?」
「そ、そうか……それなら、ぼくが良いことをすれば夢が叶えられるということが、あきらかになったわけだ!」
「うん!」
これで、残りあと二つ……時間はまだあるし、これならなんとかなりそうね!
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