第18話 強欲な肥沃王の甘い誘い

 深夜のビルスキルニル城、談話室にて。

 アルヴィアは一人、長椅子に腰掛け、ミョルニルの手入れをしていた。同じフレスヴェルグの遺産である宝剣グラムが間近に在るせいか、ミョルニルの音に落ち着きがないのだ。そんなミョルニルを宥めるように、アルヴィアは丁寧にミョルニルの手入れを進めていく。


「こんばんは。良い夜ですね、アルヴィア殿下。こちら、お邪魔しても?」


 不意に声をかけられて顔を上げると、すぐそこでジークフリートがこちらを覗き込んでいた。どうやら、気配を消すのも上手い王らしい。アルヴィアは先刻耳打ちされた「ジークフリート王は相当の遣り手と見える。気ぃ抜くな」というベルトランの言葉を思い出しながらも、にこやかにジークフリートに頷いて見せた。


「こんばんは、ジークフリートさん。よかったら是非。どうぞ」

「ああ、ありがとう」


 ジークフリートもにこやかに笑みを返して、何とアルヴィアの隣へと腰掛けてきた。それに多少驚きながらも、アルヴィアはミョルニルを手入れする手を止めなかった。


「突然、不躾な話をしてしまうのだが。アルヴィア殿下のメリア王国内での扱いは、随分と酷いもののようだな。王族や貴族には心無いことをいいように言われ、いざというときは『メリアの肉壁』と成れなどと。そして遂には『対鷲獅子王兵器』としてという、軍を率いることすら一切禁じられた孤独な任に無理やり縛り付けられ。王都ソラニエへ入ることすら、現在は王妃殿下に拒まれているとか」


 アルヴィアは思わず呼吸が止まりそうになったのを堪え、何とか平静を装う。


「……そうでもないよ。それにしても、ジークフリートさんは物知りだな?」

「はは。グリフォンのシヴまでとはいかないが、俺もがよくてね」


 あまりにも、メリア王国の内情を知り過ぎている。メリア内に、しかもメリアの中枢まで一体何人もの間諜を忍び込ませているのやら。おそらく、メリア王国だけでなく、東方ラムヌス諸国の全てに間諜を誰にも知られることなく潜ませているのだろう。

 それを本能で察したアルヴィアは、ジークフリートという王の底知れなさを思い知って、微かに冷汗が滲んだ。


「それで、だ。アルヴィア殿下が置かれている——兵器として扱われ、人間として扱われないような地獄の現状を、俺なら変えることができる。俺の国に居れば、決してそんな地獄は生まれない。だから、俺と共にニーベルンゲンに来てほしいんだ。俺は、あなたという魅力的な女性を、死ぬまで誰よりも幸せにできる自信があるからな」


 ジークフリートの大胆な口説き文句に、アルヴィアは思わず苦笑を零す。


(しあわせ……そんなもの、どうだっていい。ただ私は、シヴを──)


 そこまで反射的に考え至って、アルヴィアは己の思考を散らすように小さく首を横に振ると、隣に座るジークフリートを流し目で見上げた。


「そう。それで? ジークフリートさんは私を幸せにして。私を通して何が欲しいの?」

「あなただ、アルヴィア殿下。俺は、あなたの


 アルヴィアの意地悪な問いにも、淀みなく答え切ったジークフリートに、アルヴィアは思わず笑い声を上げた。


「……強欲だね、ジークフリートさんは。自分で言うのも何だけど。私の全てが欲しいってことは、メリア王国だけじゃなく。東方ラムヌスの均衡すらも好きにしたいってことだ」

「ああ。その通りだ。最も欲しいのはアルヴィア殿下の心だが、ついでにそれ以外のモノも全て俺は欲しい。強欲な男は嫌いかい?」

「いや。強欲な人は嫌いじゃない。むしろ好きな方だよ。だけど」


 アルヴィアはジークフリートに顔を向けて、真っ直ぐ見据える。


「私の全部が欲しいのなら、それはシヴのことも含むよ。そこについてはどうするつもり?」


 ジークフリートは肝心なところで、微笑みを湛えたまま、目を伏せた。


「それは、明日になれば自然と解るさ」

「肝心なところは引き延ばすね? つれないな」

「つれないのはアルヴィア殿下も同じだろう? 俺はあなたの気持ちを一番知りたいんだがな」

「……それも、明日になれば解るかもしれないね」


 そこまで返して、アルヴィアはミョルニルを手に立ち上がると、ジークフリートに軽く一礼した。


「ごめん、ジークフリートさん。私は先に失礼する。ジークフリートさんも、明日に備えて早めに休んだ方がいい。シヴとの決闘は、下手したら簡単に死んじゃうから。くれぐれも気を付けて。それでは、おやすみ」

「……ああ、ありがとう。肝に銘じておく。お休み、アルヴィア殿下」


 アルヴィアは笑って小さく手を振ると、そのまま談話室を後にした。


(つい、意地の悪いことを言ってしまった……シヴが聞いたら、笑うかな。いやでも、シヴが笑ったところ──私、見たこと無い)


 一人残されたジークフリートは、アルヴィアの背中が消えていった闇をじっと見つめて、恐ろしいほど端整な笑みを浮かべているようだった。


(シヴはどんな顔で……笑うんだろうか)


 薄暗闇に完全に呑まれたアルヴィアは目を伏せて、内心で微かに自嘲する。


(私ではきっと。シヴを笑わせてあげることは、できないだろうな……それでも、私は)


 夜に支配された城内をほのかに照らす燭台を横切ると、廊下の先の暗闇はより濃密に、深く澱んで見える。


(シヴを、殺す──そして彼には、愚かな人間にも、耐えきれないほど悲痛な憎悪にも、死者にも、にも囚われない。そんな、大空をかけることを楽しめる自由な『ただのグリフォン』に戻って欲しいから。だから私は、『鷲獅子王シヴ』を何としても、殺さなければならない)


 しかしアルヴィアは、真っ直ぐと廊下の先にある澱んだ暗闇を見据え、闇に向かって歩き続けた。


(そうしたらきっと。この十年で確かに私が垣間見た、そこらにいる無邪気な少年みたいな……が還ってくる。私はそんな彼を殆ど知らずに、死んだっていい。ほんの一瞬だけでも、本当のシヴと殺し合えるのなら)

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