第14話 殺し愛の誓い

 シヴがビルスキルニル城にやってきて、半月は経った。


 アルヴィアはシヴとの婚約の件を、王都ソラニエの王城にて現在は病床に臥せっている父王に書簡を送って報告したのだが、返ってきたのは父王ではなく王妃からの「鷲獅子王を討伐せぬ限り、征禍大将軍せいかだいしょうぐんアルヴィアの今後一切のソラニエへの立ち入りを禁ずる。婚約は断じて許さぬ。我が命を無下にした場合は、征禍大将軍せいかだいしょうぐんアルヴィアに重刑を下す」という激情が込められた書簡であった。もともとアルヴィアは王妃との折り合いが長年悪かったが、今回の件で完全に軋轢が生まれてしまったらしい。


 おそらく、アルヴィアが「国王陛下より、直々にお言葉を賜りたい」と王都ソラニエへ直訴しに参上しても、下手をすれば王都全体を巻き込んだ暴動が勃発してしまう。それだけは避けねばならない。

 王妃からの書簡の内容に、珍しく、いつもは誰よりも穏やかなレーニエが静かな怒りを露わにして「俺ならソラニエに入れる。王妃殿下に、俺が直接文句言ってくるわ」と言い残し、先日ソラニエへと発ってしまった。


 ここ十数日の出来事を振り返ったアルヴィアは、自室の執務机に行儀悪く腰掛けながら、王妃からの書簡を読み返して何度目かもわからない溜め息を重く吐き出した。


「また、王妃からの書簡を読んでいるのか」


 ふと、そばの長椅子で城の書物を読み漁っていたシヴが、アルヴィアを流し目で見上げてくる。

 アルヴィアは小さく苦笑を零して、手にしている書簡とは名ばかりの紙切れをひらひらと振って見せた。


「まあね。王妃殿下と、どうやったら上手くいくのかなあって、考えてた。これは十年以上前からの悩み」

「実の親子でも、解りあえないことはある。無理にとは言わんが、あまり気に病むな」

「うん……そうだな。そろそろについても、シヴには話しておこうか」

「? これ、とは」


 小首を傾げるシヴに、アルヴィアは視線を遠くに向けながら、至極静かな声で語り始めた。


「実は私とベルトラン、国王陛下の亡くなった妾の女性の子なんだ。つまりはもともと庶子で、王位継承権は無いはずの身。そして、のレーニエ兄上とは腹違いの兄弟、ってこと。正統な嫡子であられるレーニエ兄上と初めてお会いできたのも、十歳をいかないくらいの年頃だったかな」


 アルヴィアが語った事実に、無表情のシヴが微かに目を丸くした。そのままアルヴィアは、「当代のメリア王室の情勢、結構複雑でね」と話を続ける。


「庶子である私とベルトランには幼い頃、確かに王位継承権は無かったんだ。だけど、十年以上前……ちょうど、私が天鎚ミョルニルの適合者として覚醒したくらいの時期かな。国王陛下が、王族やメリア中の貴族の反対を押し切って、私とベルトランに王位継承権を擁立させてしまった。どうにも国王陛下は、私かベルトランを次のメリア国王にしたいらしいんだけど、私たちにはそもそも後ろ盾がない。しかも、無理やり王位継承権争いに入れられたせいで、王妃殿下や色んな王族貴族の目の敵にされてるんだよね」


 アルヴィアは天井を仰いで、口元に小さく笑みを浮かべた。


「そして私は、フレスヴェルグの遺産の適合者だから。メリアの第一王女となったことで、私の存在があっという間もなく東方ラムヌス中に知れ渡った。近隣諸国、王族、貴族、数えきれないほどの無数の勢力に、昔から、今この瞬間も。ずっと……『お前という存在が、邪魔だ』って突きつけられ続けてる」

「……先日の、この城に侵入しようとした不審人物も、それらの勢力に連なる人間か」

「流石は察しがいいね。そう。所謂『暗殺』ってやつ。もう日常茶飯事だよ。あの人はたぶん、王妃殿下のとこの人じゃないかな。昔、王城で見たことある顔だった」


 アルヴィアは、眉間に微かに皺を寄せた、どこかぎこちない微笑みを浮かべて乾いた笑い声を小さく零す。そんなアルヴィアを一瞥したシヴが、どこか呆れ果てたように鼻から息を漏らして、いつもより固い声を発した。


「おれという『ラムヌス最悪の災禍』を唯一殺せる人間を。全人類をこのおれから守ろうと十年も戦い続けているおまえを、只人如きが暗殺しようなどと考えるとは。片腹痛いな」

「ふふ……案外、私は普通の人に殺されて。誰にも知られずぽっくりいっちゃったりするのかも」


 アルヴィアが自嘲交じりの声色でそんなことを呟くと、不意に、ガタンと大きな音を立ててシヴが立ち上がった。

 少し驚いたアルヴィアは、仰いでいた天井から視線を前に戻そうとする。それと同時に、アルヴィアが腰掛けていた執務机の上で「バキッ!」という嫌な音が響く。視線を前へと完全に戻すと、アルヴィアのすぐ眼前には、大きな両手をアルヴィアの座る執務机につき、アルヴィアを正面から囲い込むような姿勢となったシヴがいつの間にかいた。

 互いの脚が密着して、互いの体温が嫌でもわかってしまうほどに触れ合う。


「今のは、聞き捨てならん発言だな。……正直、微塵もおまえに心配はしていないが、この際だ。一応言っておく」


 アルヴィアを囲ったシヴが、獲物を狙っているような、琥珀色の猛禽の眼を不気味なほどに大きく見開き、恐ろしいほど抑揚のない声を淡々と連ねる。


「アルヴィア。おまえがおれ以外の誰かに殺されることなど、おれは断じて許さない。おまえが死ぬ時。それが誰かの手によるものであるならば、おまえを殺すのはおれだ。おれしかいない。たとえ、万が一にでもおまえがおれ以外の誰かに殺され、その魂が竜の吐息の深奥に隠れようとも。おれはベルトランやレーニエたちも含む、全人類を皆殺しにした後、竜の吐息の奥底まで翼でけ、どこまでもアルヴィアの魂を追い詰めるだろう。そして必ず、おれがアルヴィアを魂ごと殺しなおす」


 シヴが、アルヴィアの細い首筋に手をかける。


「誓え、アルヴィア。絶対に、おれ以外に殺されるな。おまえを殺すのは、おれだ」


 随分と珍しく口数の多いシヴの猛禽の眼は、熱い殺意が沸騰したかのように火花となって弾け、迸っていた。アルヴィアの首をじわじわと締め付ける大きな手も、随分と熱い。

 シヴの強烈かつ熱烈な殺意に中てられたアルヴィアは、思わず小さく息を呑んで、堪え切れない凄絶な笑みを浮かべながら力強く頷いた。


「うん、誓う。私を殺すのは、シヴしかいない——ふ、はは。それにしても、随分と情熱的だね?」


 アルヴィアは思いがけず、はしゃぐように笑い声を上げる。一方シヴは、一度目を伏せて細く息を吐き出すと、みなぎっていた殺意をするりと容易く収め、ほんのり痕のついたアルヴィアの首筋を解放しながら小さく鼻を鳴らした。


「好きだろう、おまえ。情熱的なのが」

「シヴ。きみってさては最高だな?」

「今更気が付いたのか? 遅すぎる」


 軽口を叩き合いながら、シヴはまた元居た長椅子へと座りなおす。アルヴィアは、離れて行ったシヴへと、俯きがちに小さく声をかけた。


「ありがとう、シヴ。元気出た」

「そうなのか? それは何よりだな」


 きっとシヴは、ここ数日心労が溜まって柄にもなく弱気になっていたアルヴィアを察して、あんなことを言ってくれたのだろう。アルヴィアが、一番欲しかった言葉を。

 シヴ自身が、あの言葉通りのことを望んでいるのかは、本当の所はわからない。それでもアルヴィアにとっては、何よりも魂を燃やしてくれる、最高の──「かけがえのない言葉」に違いなかった。


「姉上! いるか!?」


 ふと、いつもより大きめのノック音と共に、そのノック音を掻き消しそうな勢いのベルトランの声が扉の向こう側から響いた。アルヴィアは執務机から立ち上がって、「いるよ。どうぞ」と返す。すると、荒々しく扉が開け放たれ、額に汗を滲ませたベルトランがアルヴィアの元まで行くのももどかしい様子で、大声を張った。


「南部のラテール平原で異常事態発生だ! ちょうど近くの砦に駐屯していた王国軍が、その異常事態を発生させた『異能』らしき力を操る何者かに応戦したが……早馬の報告によると王国軍は劣勢にある。ラテール平原は、ソラニエに通ずる街道も近い。どうする!?」


 アルヴィアはすぐさま執務机に散らばった数々の書簡を仕舞うと、傍に立っている衣装掛けに掛けていた外套を素早く羽織り、既に立ち上がっていたシヴと息を切らしているベルトランそれぞれに視線を向けた。


「未知の『異能』……そしてよりにもよって、王都ソラニエに繋がる街道が近いラテール平原が戦場か。どうにも胸騒ぎがする。すぐにラテール平原へと応援に向かおう。ベルトランの私兵の従軍は必要ない。人間が多ければ多いほど、ミョルニルの邪魔になる。シヴも同行してくれると助かるんだが」

「ん。無論同行するつもりだった」

「ありがとう。では、今すぐ出立だ」


 こうして、アルヴィアとシヴ、ベルトランの三人は、メリア王国軍が「異能を扱う何者か」によって劣勢を強いられているという戦場、ラテール平原を目指して馬を走らせた。

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