第8話 激情家ミョルニル

「ここから東。近い位置に、村があるな」


 ふと、馬の足を緩めたシヴがアルヴィアに尋ねてくる。アルヴィアもシヴの隣に並ぶよう馬の足を緩めながら、シヴの問いに答えた。


「うん。私たちが目指す村はもう少し北にあるけど、この近くにもあるよ。よくわかったね、シヴ」

「喧騒が聞こえる。強奪者が弱者を貪っている、品の無い音だ」

「! ……まさか、その村も山賊に襲われているのか」

「その可能性が高い」


 おそらく、人間の何倍も鋭敏なグリフォンの聴覚を以て、シヴは耳をすましているのだろう。東の方向へ目を向けて淡々と語るシヴの横顔にアルヴィアは目を瞠ると、すぐに馬の足を止めて前を走っていたベルトランに声を掛けた。


「ベルトラン! どうやら、手前の村も襲われてるみたい。まずはそちらに向かおう」

「ああ? チッ、どいつもこいつも姉上のビルスキルニルの膝元で好き勝手しやがって! わかった、行くぞ」


 三人はすぐに方向転換して、馬を東の方向へと走らせた。すると、すぐに小さな村が見えてくる。アルヴィアは村を目にした途端、思わず眉をしかめた。遠目でもわかる。村からは微かに煙が上がっており、悲鳴も聞こえてくる。襲撃を受けている状況に他ならなかった。

 アルヴィアたちは村の手前で馬を降りると、足早に村の中へと入る。村の中では、村人たちが恐怖に呑まれて逃げ惑っており、錯乱状態の極みにあった。死体もいくつか転がっている。


 村の中心部では山賊たちが強奪の限りを尽くしていた。それを前にしたアルヴィアは、燃えるような真紅の目を冷たく細めて、山賊たちに視線を縫い留めたまま、そばにいるベルトランに平淡な声を掛ける。


「ベルトラン。剣を。ミョルニルでは跡形もなく罰してしまう」


 ベルトランは黙って頷いて、己の腰に携えていた剣を鞘ごとアルヴィアに手渡した。

 アルヴィアは剣をいつでも抜けるように両手で構えると、山賊たちのもとへと歩み寄りながら口を開く。


「我がビルスキルニルが膝元で蛮行を働く、無法者共よ」


 至極、穏やかにも聞こえる凪いだ声だというのに、アルヴィアがそのよく通る声を発すれば、山賊たちだけでなく悲鳴を上げて錯乱していた村人たちも水を打ったように静まり返った。一気に痛いほどの静寂に支配された村の中で、アルヴィアは歩きながら淡々と山賊たちに宣告を連ねる。


「即刻、我が下に投降せよ。さすればしばらくの間、そなたらの命は保証する。しかし」


 山賊たちが口の中で「あの赤髪」「第一王女だ。アルヴィアだ」「メリアの破滅の女ファム・ファタル」「ビルスキルニルの王が、何でここに」「鷲獅子王はどうした」と放心した様子で呟きを零す。山賊たちの顔は皆等しく、みるみるうちに蒼ざめていった。


「僅かでも抵抗及び逃走の意思を見せた場合。そなたらの罪の重さを裁判するいとまも与えられず、我が手を以て迅速に処罰を下されることを覚悟すべし」


 宣告と共に、アルヴィアはすらりと剣を鞘から引き抜いた。

 しかし、抜き身の剣を構えようとした矢先。アルヴィアの口端から「ごぽり」と大量の鮮血が溢れ出した。


「は……」


 思わずアルヴィアが目を大きく瞠って間の抜けた声と吐息を零すと、腰に提げていた天鎚ミョルニルがぶるぶると震えだし、同時に小さくとも激しい雷がバチバチと炸裂し始め、剣を持つアルヴィアの手を焼いた。

 アルヴィアは咄嗟に剣から手を放し、がくりとその場に片膝をついて、胸を両手で押さえながら激しく咳き込み、また大量の血を吐き出す。

 そこにすぐさま、驚愕した様子のベルトランと真顔のシヴが駆け寄ってきた。


「な!? おい一体どうした、姉上! 何なんだ、これは……!?」


 アルヴィアのそばに跪いて、その細い背中へと手をやろうとするベルトランを、アルヴィアは片手を掲げて制する。


「ち、かよるな、下手したら他者も焼かれる……ごほ、けほっ……ミョルニルの気に、触れてしまった、みたい。はは、私がミョルニル以外の武器を手にして……でもしたかな……?」

「はあ!? んなわけ……」

「どうやらそうみたいだな」


 思いがけずといったように否定の言葉を口にしかけたベルトランを遮ったのはシヴ。シヴは、アルヴィアに一瞥を寄越してくると、すぐにその鋭い視線をアルヴィアが対峙していた山賊たちの方へと向け、顎を振って見せる。


「それで。あれはどうする。アルヴィア」


 山賊たちは顔を蒼ざめさせながらも、突如跪いてしまったアルヴィアに釘付けになったかのように睨み据えて、じりじりと武器を構えてこちらに近づいてくる。おそらく、アルヴィアという脅威を退ける好機は今しかないと、本能的に察知したのだろう。

 シヴはそんな山賊共を静かに見つめたまま、アルヴィアの前に出て、淡々と尋ねてきた。


「おれがやってもいいか? 今のおまえは動けんだろう」

「……」


 アルヴィアは未だ激しく咳き込んで吐血しながらも、一度逡巡するように間を置いたが、すぐにシヴへと答えた。


「シヴは、絶対に私以外の人間を……殺してはならない。その約束は、守ってくれる?」

「当然。どんな約束だろうと決して違えず、守る。死んでも果たす。それがグリフォンであり、おれだ。婚約したときに誓っただろう」


 微かに顔だけでこちらを振り向いた、淀みのないシヴの返しに、アルヴィアは小さく笑みを零して頷いた。


「うん。そうだった——じゃあ、後は頼むよ。婚約者殿」

「任せろ。ベルトラン、おれの婚約者をしばらく頼む」


「あ、ああ……」と茫然と返事をするベルトランと、苦しげに吐血し続けるアルヴィアを背に、シヴは山賊たちに向き直る。


 刹那。シヴは山賊たちがまばたきをした一瞬で距離を眼前にまで詰め、山賊たちの間合いに入った。そして瞬く間すら与えず、「神業」に近い圧倒的な体術だけで山賊たちを蹴散らしていく。

 しなやかで柔らかなシヴの体術は、どろりと気配を消して山賊たちの懐に潜り込んだかと思えば。力強く突き上げた掌底で顎を激しく揺さぶったり、ゴウと風を切る凄まじい蹴りをこめかみや鳩尾へと確実に撃ち込んだりと、一撃一撃が確実に人間の急所を捉えることで、山賊たちの意識を続々と奪っていくのだった。

 そうして、あっという間もなくシヴは一人も人間を殺すことなく、山賊制圧を完遂させた。


「む……やはり手加減するのはすっきりせんな。楽しくない。アルヴィアとの殺し合いが一番いい」


 どこか不満げに鼻を鳴らすシヴに、アルヴィアは思わず小さく噴き出す。一方、ベルトランはあまりにもの一瞬の出来事に呆気にとられていたが、隣で蹲るアルヴィアがまた激しく咳き込み始めたので、止められていたのにも構わずアルヴィアの背中を何度もさすってやった。

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