第7話 蒼穹の弟王子

 アルヴィアとシヴは、ビルスキルニル城下町に入る前にジオンが手配してくれた馬車を降りると、城を囲む森の中を密かに進んでいた。

 慣れた足取りですいすいと森を歩くアルヴィアは、同じように涼しい顔で隣を歩くシヴに眉を下げて小さく謝る。


「ごめん、シヴ。こんな遠回りさせて。城下町に私が顔を出すと、町の皆が驚くから……いつも城に帰る時は、森を通ることにしてるんだ」

「おれは森の方が落ち着くから、むしろいい。気にするな」


 シヴが流し目でアルヴィアに一瞥を寄越すと、すぐに視線を前に戻して前方に聳え立つ古城「ビルスキルニル城」を見つめる。そこでふと、シヴがその場で立ち止まって、「ビュン!」と風を切る鋭い音が響いた。


「おっと」


 シヴが小さく声を上げるのと同時に、シヴの眼前でやじりがピタリと止まった。シヴを狙って、前方から矢が飛んできたらしい。しかし、その射撃はシヴのすぐ隣を歩いていたアルヴィアが人間離れした疾さで矢を掴み取ったために、阻まれた。アルヴィアは片手に取った矢をバキリと折って粉々にすると、目を伏せて小さく息を吐く。


「また、ごめん……これは私の身内の仕業」

「そうか。矢から、おれの頸を確実に刎ねようという気概を感じた。なかなかの射手だと見受ける」

「うん。射撃の勢いも物騒なんだけど、口も物騒な子なんだ。大目に見てくれると助かる……」


 アルヴィアは苦笑交じりに頷いて見せると、すぐに矢の飛んできた方を振り向いて、よく通る声を張った。


「ジオンさんから事情は伝えてあるでしょう。出ておいで、ベルトラン。顔合わせ早々、私の婚約者の頸を飛ばそうとするなんて、何事?」


 すると、アルヴィアの声に応じるように森の奥から音もなく、瘦躯の人間が一人、姿を現した。

 背丈は、アルヴィアとジオンよりそこそこ大きい。腰まで届く長髪は、アルヴィアとは対になるような鮮やかな青色で、長い前髪の一房は三つ編みにして左側に垂らしている。そしてその白皙はくせきの面立ちは、髪と同じ色をした宝石の如き瞳が剣吞な眼差しをしているが、まさに花のようなかんばせ。目にした誰もが釘付けにならずにはいられない、まさに「傾国の麗人」と称しても過言ではないほどに美しい人間だった。


「……姉上」


 傾国の麗人の花の蕾のような唇から漏れ出たのは、男の低い声だった。美しい女の顔で男の声を発した人間が「姉上」と呼んで視線を向けた先にいるのは、アルヴィア。

 シヴが、微かに戸惑ったようにアルヴィアと美しい人間を見比べて首を傾げる。


「アルヴィアの……妹? 弟?」

「ははは、初見は混乱するよね。凄い美人さんでしょ? 紹介する。あの子はベルトラン・ミーミル・メリア。メリア王国第二王子にして、私の双子の弟だよ」


 アルヴィアはそう弟を紹介すると「ちょっと待ってて」とシヴに短く言い残して、ベルトランの方へと足早に歩いて行く。それと同時に、ベルトランも手にしていた弓矢を放るとアルヴィアのもとへ駆け出して来て、今にも噛みつかんばかりの勢いでアルヴィアの胸倉に掴みかかった。


「てめぇ、婚約の話は正気か? もともとどうかしてたその腐った脳みそ、ミョルニルのいかずちにでも打たれて更にイカれちまったか?」

「至って正気だよ。もう婚約については決定事項だ。いずれ近いうちに王都にも報告して、顔合わせにも行く。そこには勿論、ベルトランも同行してほしい」


 アルヴィアは胸倉を掴まれたまま、ベルトランを表情のない目で睨み上げる。それに微塵も臆さないベルトランは、強く歯を食いしばって低い声を絞り出した。


「このクソ姉が……こうと決めたら、てめぇはラムヌスが滅んでも動かねぇ。んなこたぁ、生まれた時から知ってんだよ」


 心底呆れ切った様子で吐き捨てるベルトランに、アルヴィアは悪戯が成功した子どものような顔で小さく笑う。


「うん。ベルトランもジオンさんと同じく、すぐ解ってくれると思ってた」

「ほざけ。言っとくが、俺は何一つとして納得してねぇからな? しばらくは就寝中と背後に気をつけろ。隙見てぶん殴ってやる」

「ええ? 無理はしないほうがいいって、ベルトラン。昔、私の肩を殴っただけで指の骨が折れて、夜通し泣いては寝込んでたくらいなんだから」

「黙れ!」


 ベルトランがアルヴィアの胸倉から手を離して突き放すと、次はシヴを冷たい視線でぎろりと睨み据えた。


「こうなったら、『ラムヌス最悪の災禍』だろうが何だろうが、ぶち壊れるまで利用してやるだけだ。おい、てめぇ。名を名乗れ」


 ベルトランの鋭い視線を受けたシヴは相も変わらず無表情のまま、ベルトランの前まで歩いてきて口を開く。


「婚約者のシヴだ。どうぞよろしく、アルヴィアの弟」

「死ね。その呼び方二度とすんな。ベルトランと呼べ」


 鷲獅子王を前にしても留まるところを知らないベルトランの口の悪さに、姉のアルヴィアは密かに噴き出し、シヴは一瞬微かに目を瞠ったが、すぐに「わかった。ベルトラン」と素直に頷く。

 ベルトランが盛大な舌打ちを鳴らしながら、険しい顔でシヴを指差した。


「シヴ。てめぇが何を思って、姉上みてぇなラムヌスいちのクソ王女に婚約を持ちかけたかは知らねぇが、愚かにも姉上の婚約者に成ったからにはてめぇも姉上と同じく俺の駒だ。馬車馬以上に働くことを覚悟しろ、カス」

「ああ。ベルトランはアルヴィアと違って、騒がしい人間だな。なかなか加虐心を煽られる」

「おいてめぇ、今何て言った? 話聞いてんのか? その口、やじりで引き裂くぞ」

「はい、そこまで。仲良くするのもいいけど、それより」


 次はシヴの胸倉に掴み掛かろうとしたベルトランを押さえて、アルヴィアは首を傾げながらベルトランに視線を向けた。


「ベルトラン。レーニエ兄上の姿が見えないけど。何かあった?」


 アルヴィアの問いかけに、ピタリとベルトランが動きを止めてアルヴィアを一瞥すると、小さく息を吐いてアルヴィアの手を振り払い、背後に放った弓矢のもとへと歩いていく。


「……レーニエのクソ兄上にも無論、姉上の婚約の件については伝えてある。が、ついさっき近隣の村で山賊が出たと知らせが入ってな。そういうことでクソ兄上は、渋ってやがったケツを俺がぶっ叩いて山賊追捕に行かせてる」

「山賊? またか……どうも近年は治安が悪くなりつつあるね」

「国家の主要軍事力であるはずの王国軍が腑抜けどころか腐ってきやがったせいで、メリア自体がなめられてんだよ。無法者共にも、近隣諸国にもな。……今から俺は兄上んとこに向かうつもりだが」


 放っていた弓矢を拾い上げたベルトランがアルヴィアを振り向く。アルヴィアはベルトランへと力強く頷いて見せた。


「勿論、私も同行する。シヴも一緒に行こうか。第一王子のレーニエ兄上にも早く会ってほしいし」

「わかった」


 すんなり頷いて見せたシヴにアルヴィアは微笑みを返すと、二人は既にビルスキルニル城の方へと足早に歩き始めていたベルトランの背中を追う。


「レーニエ兄上と合流したら、早急に婚約の件を王都に報告すべきだね。私がもう鷲獅子王にかかりきりじゃないってことを、東方ラムヌス中に知らしめないと」


 ベルトランのすぐ隣に追いついたアルヴィアは、いつになく神妙な顔で小さく呟く。その呟きを耳にしたベルトランが歯を食いしばってアルヴィアを鋭く一瞥するが、すぐに視線を前に向けて低い声をアルヴィアに返した。


「てめぇ自身が東方ラムヌスの秩序にでもなったつもりか? バカ姉上が。腐れ王国軍の方には、今度俺が直々に訪ねて何が何でも矯正してきてやる。だからそう事を急くんじゃねぇ。やるなら何でも慎重にだ。シヴとの婚約の件諸々もな」


 ベルトランが、軽くアルヴィアの頭を叩く。


「一人で何でもかんでも背負い込もうとすんな。姉上は、メリアの兵器やら、東方ラムヌスの秩序維持の道具じゃねぇだろうが」


 アルヴィアは静かに目を伏せて、誤魔化すように息を吐き出して笑った。


「……ベルトランはやさしいなあ」

「おい茶化してんじゃねぇぞクソが。脳みそ揺らすぞ」

「茶化してないって。ほんとのこと」


 ベルトランが本気で頭を叩こうとしてくるのをひらりと躱すと、アルヴィアは歩く足を速めてベルトランの前に出る。シヴが密かに、アルヴィアとベルトランを見比べるような視線を寄越すのを背中に感じて、アルヴィアはその視線に気づかないフリをした。

 こうして三人は、山賊追補に向かった第一王子レーニエと合流するため、ビルスキルニル城から馬を走らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る