第16話 母なる大地に愛されし者
既に王国軍全軍が本陣まで撤退し、アルヴィアは一人で最前線に出た——はずだったのだが。
「
「烏滸がましい自覚があるのはいいことだ。だが、ベルトランは本陣で何かあろうとも、そう易々と死んでくれるような男ではないだろうし。何よりおまえ以外の人間なぞ、どうでもいいからな。おれは」
「きびしいなあ」
案の定、アルヴィアについてきて隣に立つシヴに、アルヴィアは思わず苦笑を零す。
「それよりもおまえは、他者を気にしている場合じゃないぞ」
ふと、珍しくシヴがアルヴィアに警戒を促すような声をかけてきた。アルヴィアは顔を傾けて、シヴの横顔を見つめる。相変わらず表情筋は死んでいるが、それでもシヴは、いつもより険を帯びた顔つきをしているように見えた。
「もしかすると、今からおまえが相対する何者かは——『魔法使い』といった、生易しい存在ではないかもしれない」
シヴは西方ラムヌスの出身だ。東方ラムヌスしか知らないアルヴィアの何百倍も西方ラムヌスや「魔法使い」という存在については詳しいに違いない。アルヴィアはシヴの言葉に神妙な顔をして頷きながら、一歩前へと踏み出した。
「承知。細心の注意を払う。そしてここからは、シヴ。きみは手出し無用で頼むよ」
アルヴィアは片手で天鎚ミョルニルをいつもより緩く構えると、地形が変わり果てたラテール平原を足早に前進する。足を進めるのと共に、アルヴィアは深く息を吸って、大音量で凛々しい声を張り上げた。
「私はメリア王国が第一王女、アルヴィア・シンドラ・メリアと申します! ニーベルンゲンの使者よ! 先刻は我が軍と弟が大変失礼を致しました! 僭越ながらではありますが、そのご無礼をこのアルヴィアに謝罪させていただきたく、こちらに参上致しました次第でございます。どうか、お姿を現してはもらえませんでしょうか!」
アルヴィアが口を閉ざすとしばらく、しんと辺りが静まり返る。アルヴィアは一つ瞬きをして、天鎚ミョルニルをすぐ手が届かない位置にまで放った。
ミョルニルが遠くの地面に落ちた瞬間、大地が地鳴りの轟音を立てて蛇の如く隆起し、アルヴィアを真正面から襲った。
「ミョルニル」
しかし、アルヴィアは瞬時にミョルニルを呼び寄せ、目にも留まらぬ疾さでミョルニルを振り上げると、眼前に迫った蛇の如き大地の塊を木っ端微塵に粉砕して見せた。
次いで、留まることを知らないのか、あちこちの大地が蛇の如く長大に隆起し、アルヴィアを囲い込むと、息を吐く間もない猛撃を浴びせ続けてきた。その姿が呑まれてしまうほど無数の大地の塊に襲われるアルヴィアであったが、アルヴィアはミョルニルを以て、いとも容易く猛撃を蹴散らしていった。多方面や死角からの攻撃も、ミョルニルの凄まじい雷撃で隆起した大地を砕く。
無傷で、大地からの猛撃を見事捌いて見せたアルヴィアは、ミョルニルを大地に「ドオン!」と雷鳴の如く突き立てて、また大きく声を張った。
「これで、少しは満足していただけただろうか?」
アルヴィアの声に応えるように、平原を覆いつくした土煙の中から、拍手の音が聞こえてきた。同時に、アルヴィアの前に一人の長身の男が現れる。
男は、低くとも自然と耳に心地いい明るさを含んだ声で、感嘆した。
「いやあ、素晴らしい。まさに神業。メリア王国の第一王女殿下は、フレスヴェルグの遺産を己の肉体の一部のように扱われるとお聞きしていましたが……想像以上でした」
背中まで届く黒髪の頂にはターバンを巻き、眉は太めで凛々しく、瞳は翡翠のような珍しい色をしていた。顔つきは非常に精悍で、男らしくもあるが、どこか高貴さを感じるような不思議な雰囲気をしている。
異国風のゆったりとした装束を纏ってはいるが、随分と逞しく鍛えられた体格のいい男だと、アルヴィアは男の小さな所作ですぐに察した。
アルヴィアはミョルニルを地に置くと、片手を胸に添え、男に向かって恭しく頭を下げる。
「改めて、我が軍のご無礼を謝罪させてください。誠に申し訳ございませんでした。お怪我はありませんか? どうか、メリアの城にてお詫びの歓待をさせてください」
「ああ、いえ。その件については微塵も気にしていないので、そう頭を下げないでください。確かに怪しい恰好だったうえ、面倒に思ってしまって逃げ出したのは事実ですから。それよりこちらこそ、いきなりあなたに襲い掛かるような真似をしてしまって申し訳ない。どうしても、あなたが本当に
男の言葉に、アルヴィアは密かに目を見開きながら、緩やかに顔を上げる。すると、男も恭しく片手を手に添えて、軽く一礼して見せた。
「申し遅れました。私はここより南に位置するニーベルンゲン国より参りました。ニーベルンゲン王の使者で……」
「使者ではないだろ」
不意に、アルヴィアの横から無機質な声がかけられて、男の声を遮った。アルヴィアが目を瞠って、すぐ隣を振り向くと、そこにはいつの間にかシヴの姿があった。
シヴは男を指さして、抑揚のない声で淡々と言う。
「あれは、紛れもなく〝王〟。そして——フレスヴェルグの遺産が一つ。『宝剣グラム』の適合者だ」
シヴの確信めいた声に、アルヴィアはますます真紅の瞳が零れんばかりに目を大きく見開く。そして、視線をシヴから男の方へ移すと、男は老若男女問わず、あらゆる人間を一気に惚れさせてしまいそうな妖艶な笑みを深めて、小首を傾げて見せた。
「流石は〝王を選定せし者〟、グリフォンの生き残りだな? 鷲獅子王よ」
「な……なぜ、それを……!」
シヴが鷲獅子王だと見抜かれていたことに、アルヴィアは掠れた声を漏らして驚愕した。
男はにかりと歯を見せる眩しい笑みを零すと、よく通る声で名乗り上げる。
「改めまして、ごきげんよう。俺はニーベルンゲンが国王。ジークフリートだ。俺は王だが、堅苦しいのは全くもって好まないので、どうか気軽に接してくれ! ああ、あと……こんな所で話し込むのもなんだし、まずは場所を変えさせてもらってもいいか?」
使者の男——否、新興国ニーベルンゲンの国王その人だと名乗るジークフリートは、土煙が晴れ渡ってきた中。朗らかにそんな提案を出した。
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