第19話 世界で一番強欲な私ときみ
小型化したミョルニルをベルトに提げながら廊下を歩いていたアルヴィアは、ぴたりとその場に立ち止まると、勢い良く背後を振り向く。すると、そのすぐ目の前には幽霊の如く痛いほどの静けさを纏ったシヴが立っていた。
「うわ」
「む。驚いたか?」
「いや、そんなに。だって、さっき談話室の近くにもいたでしょ。シヴ。盗み聞きとは良い趣味してるね。私もよくする」
「……気付いていたのなら、言え」
それきりシヴは顔を横に向けて無言になった。アルヴィアは小さく笑みを零して、片手を腰に当てながら小首を傾げて見せる。
「どうかしたの? シヴ」
「……さっき。またジークフリートに口説かれていただろう」
「ああ、うん。まあね」
「それにしては、随分とすまし顔だが」
「そう? なら良かった。実はジークフリートさんと話してる時、ずっとシヴのことを考えてたからさ」
「は」
「シヴにバレてなかったってことは、ジークフリートさんにもバレてなさそうかな」
屈託なく笑うアルヴィアにシヴが胸を押さえて「う……」と呻き、何故だか一度その場に跪いて黙り込むが、すぐにいつもの真顔で立ち上がって見せ、小さく息を吐く。
「な……んで。おれのことを考えていた」
「だって、ジークフリートさんが羨ましくて。私もシヴと殺し合いたいから」
少し目線を逸らして、苦笑を零すアルヴィア。それを見たシヴが微かに目を細めると、アルヴィアに向かって深く頷いて見せる。
「おれもだ。おれがこの世界で一番殺し合いたいのは、おまえだけだからな」
そんなシヴの真っ直ぐとした言葉に、アルヴィアは息を呑んで目を丸くするが、すぐに片手の拳で口元を覆って、くすくすと笑った──嬉しくて、堪らなかった。
「うん。そっか……最高だな。シヴは」
「だろう」
どや顔を決めているつもりなのだろう、それでも無表情のままなシヴにまた噴き出して、アルヴィアはひとしきり笑った。
直後、シヴが突然その場にまた跪いたかと思えば、アルヴィアの左手をいつもの態度からは考えられないほどやさしい手つきで取って、そのまま手首へゆっくりと口づける。
アルヴィアは思いもよらなかったシヴの行動と、普段他者には滅多に触れさせない手首の筋を包んだシヴの薄くて柔らかな唇の感触に、反射的に耳が熱くなるのを感じながらたじろいだ。
「ん、わ……びっくり、した……」
「……どういう意味か、知ってるか?」
「え。意味?」
「いや──十年おれと殺し合っていたおまえが知るはずもないか。気にするな。以前、ご教授賜ったレーニエの入れ知恵だ。おれも、詳しい意味はよく解らん」
アルヴィアの少し震えの混じった声を聞いたシヴが、すまし顔のまま上目遣いでアルヴィアを見上げてくる。
「……シヴも、こういうこと。するんだ?」
「おまえの婚約者だからな。あと、これは上書きだ」
先刻、ジークフリートから手にキスされたことを思い出して、アルヴィアは微笑む。
ジークフリートにも婚約の話を持ち込まれはしたが、彼は挨拶の意味が強い手の甲へのキスだったので──何となく。シヴからの手首へのキスの方が特別な感覚を覚えて、何故だかわからないがアルヴィアは勝手に嬉しさが溢れるのと共に頬が緩んだ。
「……上書きかあ。いいね、それ。ありがとう、婚約者殿」
「どういたしまして。婚約者殿」
立ち上がったシヴの腕を軽く引いて、アルヴィアはまた廊下の先を歩き出す。
「さ、そろそろ部屋に戻って休もう。シヴ、明日はくれぐれもジークフリートさんを殺さないように頼むよ? 殺したら、私がきみを即座に殺す」
「気を付ける。だが、やはりおまえとの殺し合いも捨てがたいな」
「じゃあ、ジークフリートさんとの後に
「ああ。いいなそれは。楽しみが出来た」
アルヴィアとシヴの、楽しげな会話が古城の石壁にこだまする。
ビルスキルニル城の夜は、あっという間に更けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます