第3話 メリアの悍馬
アルヴィアはとりあえず、まずはシヴと落ち着いて話をしたいと考えて、迅雷の台地のすぐそばにあるトネル砦へとシヴと共に向かっていた。
だが、トネル砦の蔦に覆われてすっかり古びた城壁が見えた所で、アルヴィアとシヴは揃って立ち止まる。何と、トネル砦の前には、雄々しく
はためく「八本足の馬」の紋章旗を見て、アルヴィアは思いがけず目を細めながら小さく噴き出す。
「流石。もう気取られてたか」
くつくつと笑っているアルヴィアを一瞥したシヴが、トネル砦にて待ち構えている軍勢に向かって顎を振って見せる。
「何だ、あれは。邪魔なら蹴散らすか?」
「いや、その必要はないよ。あの八本足の馬の紋章は、ハールバルズ辺境伯家の紋章だ。どうやらこの地の領主さまが、私ときみの間に起きた異変に逸早く気が付いて駆けつけてくれたらしい。ハールバルズ辺境伯はメリア王国一、話の解る人だから大丈夫。このまま砦に入ろう」
アルヴィアは肩に担いでいた天鎚ミョルニルを片手で構え、ボッ! と爆ぜるような音を立てて一振りしながら再びトネル砦に向かって歩き出す。シヴも一つ瞬きをして無言で頷くと、アルヴィアの後ろをついてきた。
アルヴィアたちがトネル砦に近づけば近づくほど、砦を守るように待ち構える軍勢から威嚇するような殺気が立ち昇って、軍の後方に整列した弓兵たちが矢を番える音が微かに耳に入る。同時にアルヴィアは、よく通る声を軍勢に向かって凛々しく張り上げた。
「攻撃態勢を解いて欲しい、ハールバルズ卿! 今の彼は客人だ! 私が保証する!」
まるでアルヴィアの制止の声を合図にでもしたかのように、一斉に無数の矢が放たれた。アルヴィアとシヴの頭上に矢の雨が降り注ぐ。しかしアルヴィアは、一度翼をはためかせたシヴを素早く片手で制すると、ひとりでに矢の雨の中へと躍り出て、猛烈な辻風を巻き起こして天鎚ミョルニルを頭上横一線に振るい、瞬く間もなく矢の雨を粉々にして見せた。
矢の雨を薙ぎ払ったアルヴィアは、片手でミョルニルを大地に打ち付ける。すると、びりびりと大気を震わす雷鳴の如き轟音が落ちた。
「なに、ジオンさん! 久々にまた私と手合わせしてくれるの? 最高の歓迎をしてくれるなあ」
アルヴィアは弾けるような笑みを浮かべると、一瞬前に矢を放たれたことを気にした風の欠片も無く、シヴの方を振り向いて手招きしながらトネル砦へと足早に歩いて行く。シヴもアルヴィアに頷き返すと、みるみるうちに己の大翼と鷲の鉤爪を変容させて、人間と同じ姿に
アルヴィアが軍のすぐ目の前まで近づくと、砦を囲っていた軍勢が一糸乱れぬ動きで分かたれて、砦への道ができた。その軍勢の中にできた道からは、一人の人物がゆったりとした足取りでアルヴィアに向かってふらりと近づいてきた。
「何を仰っておいでですか、アルヴィア殿下——今のは我がハールバルズの
溜め息と共にアルヴィアに掛けられたのは気だるげな男の声。
アルヴィアの前まで歩いてきたのは、容易く手折れそうな小枝の如き瘦せぎすの男であった。膝裏まで届く灰色の長髪が特徴的な男は、黒ずくめの貴族の正装に、つばの広い大きな帽子を目深に被っている。
アルヴィアより少し小柄な男が、大きな帽子のつばから珍しい紫色の瞳を片方だけ覗かせて、アルヴィアを見上げた。如何にも嫌そうな表情を隠しもしないその顔には、今や見慣れた道化師の如き奇妙な化粧が相も変わらず施されている。
「あと、その呼び方やめてくれます? 気持ち悪いので。さっきのようにハールバルズ卿と呼びなさい」
ハールバルズ卿ないし、ハールバルズ辺境伯——ジオンはまた大袈裟に溜め息を吐いて両腕を組んで見せる。そんなジオンの態度にもアルヴィアは懐かしさを覚えて、笑みを深めた。
「そう言わないでよ、ジオンさん。それにしても珍しいな? ジオンさん、滅多に迅雷の台地には来てくれないのに」
「好き好んで〝
「野次馬? ははは! 流石は〝メリアの
「上手くないですよ、それ」
「メリアの
若かりし頃のジオンは、東方ラムヌス各地の戦場にて神出鬼没した無敵の私兵団「スレイプニル兵団」を率いたことから、メリア王国内でも旧き英雄の名として「メリアの悍馬」と呼ばれることは少なくない。
アルヴィアは久しぶりにジオンとの手合わせの機会を設けられないかと、煽るように「メリアの悍馬」の名を呼んでみたが、呆れ果てたジオンの顔からして、脈は無いようだ。
また近いうち、ジオンの機嫌が良い時にでも誘おうと胸に留めたアルヴィアは、すぐに話を切り替える。
「まあつまり、私を心配して見に来てくれたんだ? ありがとう、ジオンさん。嬉しいよ」
「人の話聞いてました?」
舌打ちするジオンと、それにも構わず笑っているアルヴィアのもとへ、完全に人間の姿へと変化したシヴが近づいてきた。アルヴィアはシヴを振り返って、一つ頷いて見せると、ジオンへとシヴを紹介する。
「それより、ジオンさんに紹介。彼が鷲獅子王のシヴ」
「どうも。おれが鷲獅子王だ。名はシヴ。よろしく頼む、
シヴは相変わらずの鉄仮面の如き無表情ではあるが、案外、気安い様子で軽く片手を上げて見せながらジオンへ自己紹介をした。
ジオンはシヴの「梢のような人間」という呼び方に僅かに眉を動かすが、小さく息を吐いて胸に片手を添えると、恭しい動作でシヴに一礼をする。
「……ジオン・ベルヴェルク・ハールバルズと申します。この迅雷の台地も擁する、ハールバルズ辺境伯領の領主です、一応。俺は〝人類の天敵〟ともあられる恐れ多い方とあまりよろしくはしたくありませんので、ほどほどに……それで? いい加減この状況について詳しい説明を伺いたいのですが。アルヴィア殿下」
顔を上げたジオンは、ぎろりとアルヴィアを睨む。
アルヴィアは満面の笑みを浮かべて真紅の目を細めると、隣に立つシヴの肩に手を置いて、シヴを己の方に軽く引き寄せた。
「シヴの方から申し込まれてね。私、シヴと婚約した!」
「は?」
道化師の如く、口端が少しつり上がっているように見える灰青色のリップが引かれたジオンの薄い唇から、間の抜けた声が零れ落ちる。
アルヴィアは構わず、言葉を連ねた。
「そういうわけで、婚約とかその他諸々、シヴに色々聞きたいことがあるから。まずはトネル砦で彼と話をさせてくれないかな? ジオンさん」
「……フー……」
屈託のない笑みを浮かべたままのアルヴィアを前にして、ジオンが深い吐息を吐き出しながら一度軽く天を仰ぎ、その後に片手で頭を抱えると「このじゃじゃ馬姫が……」と小さく呟き、絞り出すように低い声を出した。
「……正気ですか?」
「正気でしかないよ。ジオンさん」
「……」
アルヴィアは笑みを浮かべていた顔から打って変わって、至極真剣な表情でジオンを真っ直ぐに見据えた。その視線を受けたジオンが、一つ間を置いて黙ると、顔を覆っている細い指の隙間から、紫色の瞳を鋭くシヴに向ける。
「鷲獅子王シヴが、メリアの民に手を出さない保証は?」
ジオンの鋭い視線を受けたシヴが、淡々と答えた。
「アルヴィアと婚約を結ぶ際、『アルヴィアが生きている限り、アルヴィア以外の遍く人間は絶対に殺さない』という契約も共に結んだ。我らグリフォンはたとえ何があろうとも、死しても、契約を決して違えることはない。生まれながらにそういう〝祝福〟をこの身に宿しているからな。そも、それが無くともグリフォンはおまえたち人間と違って、容易く約束を破るなどといった低俗な生き方はできん」
抑揚の無さすぎる声色からは出ていなかったが、やはり、シヴの発言の端々からは明らかに人間への嫌悪が滲み出ていた。
シヴの答えを聞いたジオンは顔を覆っていた片手で顎を擦り、微かに片方の口端を吊り上げて皮肉めいた笑みを浮かべる。
「……西方ラムヌスでは、人間であってもそのような呪いじみた体質を持つ者も多いと聞きます。なるほど。グリフォンという存在も、随分と〝高潔な呪い〟をお持ちなようで」
「高潔な呪いか。面白い事を言う。おれはその言い回し、結構好きだぞ。ハールバルズ卿」
シヴは素直に感心した様子の口ぶりで、真顔のまま頷いた。
そんなシヴの横顔を流し目で見ていたアルヴィアは、思わず小さく笑みを零す。
(流石のジオンさんでも読めないかあ。シヴの独特の調子は)
アルヴィアが思った通り、おそらく思いもよらなかったのであろうシヴの返答に調子を崩された皮肉屋のジオンは、また片手で目元を覆いながら俯きがちに深い溜め息を吐いた。
「はあ……わかりました。お二人共、砦の中にいらっしゃい。ですが、俺も聞きたいことが山ほどありますので、お二人の話には同席させてもらいますよ」
ジオンは気だるげにそう言いながら、くるりとアルヴィアたちに背を向けてトネル砦へと歩き出した。併せてジオンが片手を軽く掲げると、砦を囲んでいた兵たちの緊張が一斉に解けて、軍勢が砦の後ろへと退き始める。
「ほらね? あの人、めちゃくちゃ話が解る人でしょう」
「ああ。人間にしてはな」
アルヴィアとシヴも互いに一度顔を見合わせると、すぐにジオンの後を追ってトネル砦へと向かった。
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