第12話
今回は水筒のお茶があったのでコンビニには寄らなかった。公園に到着後、私たちは特に言葉を交わすことなくあのベンチを目指す。緑ちゃんの場所へのこだわり面白いなと思いつつ、指摘はしない。
「んー、着いたぁ。ちょうどいい運動だった」
ベンチにリュックを置いて、伸びをしながら言う。
「そうだね」言いながら、緑ちゃんも鞄を置いて伸びをする。
「いやぁ、相変わらずいい景色だなぁ」
私はフェンスの近くに駆け寄り街の景色を見下ろす。学校の屋上とはまた違う、自然豊かな景色が手前に広がっている。学校から離れた場所に来ると、特有の呪縛感から解放された感じがする。
緑ちゃんのほうを見ると、彼女はベンチに座って水筒のコップにお茶を注いでいた。そうだ、私も水分補給しよう。
私がリュックをベンチの隅に移動させ緑ちゃんの隣に座ると、彼女は一瞬身を強ばらせた。私は気にせずにお茶を飲む。
「ぷはー、生き返った」
さっきから私の独り言が多くなっているのは、緑ちゃんが無口モードに入っているから。そんな雰囲気もあって、私も少なからず緊張している。
「……碧」
緑ちゃんの声音には暖かい温度が含まれていた。私は彼女の方を見つめる。「ん、なに?」
「早速本題に入りたいんだけど、いい?」
私は頷く。
「……ちょっと、そんなに見つめないで。照れる」
「え、あ、ごめん」
頬を桃色に染め上げた緑ちゃん可愛いなあと思っていた私は、花壇の方を見るようにする。
「この前は電話だったもんね」
「……うん。そのままそっち見てて」
そして緑ちゃんは礫砂漠を歩くラクダみたいに、ゆっくりと話し始めた。
「私も、いろいろ考えたんだけど、……ね、……試しに、付き合ってみるっていうのは、どう? ほら、三ヶ月とか、期間を決めて。それで、三ヶ月後に、友達に戻りたいって、碧が思ったら、友達に戻ろうよ。三ヶ月だったら、そんな後に引きずるような別れ方にはならないし、友達に戻れると思うよ。……それとも、碧は、他に好きな人とか、いるの?」
私はぷるぷると小さく震えるような緑ちゃんの声音を聞いて、自分の中で、ある思いが固まっていくのを感じた。
「……いないよ」
私は、約束を破って緑ちゃんのほうを見つめる。彼女は何度も考えたであろう台詞を言い終えて、気恥ずかしそうに近くの地面を見つめている。ややあって、返事をしない私のことが気になったのか、緑ちゃんが私の方を見る。目が合って、線香花火のように、火花が散るのを感じ取る。私は微笑みながら言う。
「……わかった。付き合おうか、三ヶ月」
緑ちゃんは目を丸くする。
「……え? いいの? こんな変な告白の仕方で」
「なんで口説いた方が驚いてるの。緑ちゃんなりに、考えてくれたんでしょ?……私が断れないように」
「うう、ごめん……」
「うそうそ。そんなに項垂れないでよぉ。いい落とし所を見つけてくれたってことだよね?」
「うん、碧、大好き……」
またルイボスティーみたいに顔を赤くして、ほとんど泣きそうな表情で緑ちゃんが言う。
「わかった、わかった。もう、緑ちゃん、さては恋愛のことになると、ポンコツだな?」
「うわぁん、碧がポンコツって言うよぉ」
「のび太くんみたいなこと言わないの」
「碧がお姉さん属性を発動してドラえもんになってる……」
「包容力があるってことかな。緑ちゃんは妹属性だもんね」
彼女に歳が離れた姉がいることを知っていた私は両手を広げる。
「ほぉら、お姉ちゃんに甘えていいんだぞぉ」
「あんまり調子に乗らないの」
ありゃりゃ。赤い顔のまま、ツンとした口調で言われてしまった。今なら甘えてくれるかと思ったけど、違ったか。
「ごめんごめん、緑ちゃんがもっと甘えてくれるかと思って」
「甘えたい……けど、頑張って自重しなきゃ……」
「心の声漏れてるって」
目が合って、二人して、笑い合う。緑ちゃんの目尻から、涙がキラリと光る。
しばらく、お互いの気恥ずかしさを紛らわすために、とりとめのない話をした。心の中がずっとぽかぽかと暖かい。これから、緑ちゃんとさらに深い関係になれるのかと思うと、とても嬉しい。普通の友達にはできないような深い話、率直な思いを吐露したり、手を繋いで色々なところに出かけたり。お互いがお互いを一番の特別な存在として認め合うこと。そんな親友、もとい恋人がいるということは、毎日をキラキラと輝くものに変えてくれるかもしれない。
話の区切りがついたところで、緑ちゃんが言う。
「……暗くなる前に、そろそろ帰ろっか」
「うん」
荷物を持って立ち上がる。私が先に出発しようとすると、「待って」と後ろから声がかかる。
「……手、繋いで帰ろ」
「うん!」
嬉しさのあまり少し大きめの声が出る。緑ちゃんは微笑みながら、私の手を取る。指を絡めるようにして、手が繋がれる。
「きゃー」
久しぶりの手繋ぎの嬉しさと、気恥ずかしさのあまり、私は彼女の右腕に顔を寄せる。緑ちゃんの握る手の力が一瞬強くなる。そして、私の手の甲を確かめるように、手を繋いだまま指でなぞる。
「碧、前見ないと危ないから」
「うん……思ったけど、手を繋ぐの、公園の大きな通りに出てからでもよかったんじゃ?この道ちょっと細いし、舗装されているわけじゃないし」
「そうだけど、こっちのほうが、スリルがあって楽しくない?」
「ふふ、そうか」
楽しそうに微笑みながら言う緑ちゃんは、いつかの放課後を想起させる。ああ、これでよかったんだなあと私はしみじみと感じ入る。
大通りに出て、私たちは手を繋ぎながら元来た道を帰っていく。時々、彼女の横顔を眺めては、肩のあたりに頬を近づける。そのたびに、緑ちゃんに「ちゃんと前を見て」と注意されるけど、そのこともむしろ楽しい。
「私、誰かと付き合うの初めてなんだよね」
「え、碧そうなの?」
「意外?」
「うん、碧の魅力がわからないなんて、皆どうかしてる」
「嬉しいこと言ってくれるなあ」
ほんとは何度か付き合わないかと言われたことはあるけど、「本が好きだからごめんね」と断った話は、ここであえてする必要もないか。
「……緑ちゃんは?そういえば、緑ちゃんの恋愛話聞いたことないかも」
「そうかもね……気になる?」
「うん。嫌じゃなかったら、聞いてみたい」
わかった、と彼女は返事をしてから、砂漠のオアシスに小石を投げ入れるみたいな口調で言った。
「中二の時に一度だけある。二ヶ月だけね、男の子と」
「そうなんだ」
なんで二ヶ月で別れちゃったんだろう、と疑問に思ったけど、聞いていい話なのかなと迷っていたら、緑ちゃんは続けて言った。
「夏祭りに行ったんだけどね、初めて手を繋いだ時、『なんか違うなぁ』って思ったの。それから何かと理由をつけて手は繋がないようにして、頑固に振る舞って、二ヶ月後に振っちゃった」
「へえ」
「その時に、今度はちゃんと好きな人と付き合おうと思ったの」
「ふうん、なるほど。……待てよ。と、いうことは」
私は緑ちゃんのほうを見る。
「私の手は、『なんか違うなぁ』にならなかったってこと?」
「まあ、そうなるね」
ちょっと照れくさそうに緑ちゃんは認める。
「私のぷくぷくな手が良かったってこと?」
うん、としぶしぶ彼女は頷く。
「ぷくぷくおててが好きってこと?」
「碧、しつこい」
「ふふふ」
「まあ、『ぷくぷくたい』みたいで可愛いのは認めるけど」
「それって駄菓子の?褒められてるのかな」
「もちろん」
ぷくぷくたい。美味しいから、お祭りで貰うと嬉しいけど。
「碧は、どう?私の手」
「え、それはもちろん。たとえるなら絹のように繊細で、トリュフチョコのように甘くて……」
「文芸部の本気は、そんなもん?」
いたずらっぽく微笑んで、私を煽るように緑ちゃんが言う。
「ごめん、私まだ『本気』を出してなかった」
「そうこなくっちゃ」嬉しそうに言う。
ふう、と息を吐いて、頭をフル回転させる。緑ちゃんが目をキラキラさせて私を見ている。
「緑ちゃんの手は、砂漠だって触れた瞬間風光明媚で自然豊かな風景に変わるほどの生命力と同時に、熟練の職人の織り上げた伝統工芸品みたいに繊細な技術が備わっていて、その精緻なテクスチャはアプリオリで文化相対主義でアバンギャルドで主客二元論でポストモダンで……」
「わかった、わかった。途中から現代文のテストで出てきた単語になってるし」
「うう、私には紙とペンと集中できるスペースが必要」
「気持ちは伝わったから。もう」
しばらく私たちは何も言わずに歩く。でも手は口ほどにものを言う、というか、手を強めに握ってみたり、力を緩めたり、指先を触ったり、なぞったり、つまんだり、飽きもせず、久々の再会を喜び合っていた。ぷくぷくたいみたいな私の手を、生命力あふれる伝統工芸品みたいな絹チョコの緑ちゃんの手が、優しく包み込むのが、しみじみと幸せ。
図書館に着いた。バスの時間を確認すると、タイミングよく五分もしないうちにバスが来るとのことだったので、私はそのままバス停で待つことにする。同じくバスを待っている年配の女性が手を繋ぎっぱなしの私たちに一瞥を投げる。私はそれには気づかなかったふりをして、手を離すことはしない。
バス停から少し離れた木陰に入って、バスが来るのを二人で待つ。緑ちゃんはバスに乗るわけじゃないけど、一緒に待ってくれている。
「いいお散歩だったなあ。私のお散歩史に残るレベル」
「そうね。私のお散歩史の教科書にも将来載ると思う」
「歴史の転換点だね」といってお互い笑い合う。
車道の端を同じ北高の生徒が自転車で進んでいく。このあたりは北高の生徒がよく通るから、わざわざ少し遠い亀ヶ塚公園を緑ちゃんが選んだ理由がなんとなくわかった。
「あ、バス来たみたい」
しばらくして、信号で止まっている目的のバスが見えた。緑ちゃんは、繋いでいた手を離して、肩の高さでハイタッチをする。そして、もう一度私の手を掴む。
「また、来週ね」
「うん、じゃあね」
「今日のこと、忘れないでね」
「忘れるわけないじゃん」
「碧のシナプスが心配だから」
「あ。……あれ、なんだっけ、私はどうしてここに……?」
「忘れたら、私、アポカリプス起こすから」
「うそうそ。地球の未来のためにも覚えとくよ」
「絶対ね」
緑ちゃんはバスの扉が開くまで私の手を掴んでいた。この人最後の最後まで私をいじっていたなぁと口元を緩めながらバスに乗る。窓から、緑ちゃんが見えて、手を振るので、振り返す。バスが発車して、少しずつ、彼女の姿が見えなくなっていく。寂しいけど、手に残った彼女の微熱が心を暖かくする。
そのときの私はまだ知らなかった。三ヶ月という期間の短さを。関係性はそう簡単に前に戻せないことを。そして、人を心から愛するということを。
知らないからこそ、無邪気に、何の憂いもなく、彼女の手を取りながら、幸せを噛み締めながら、笑い合うことができたのだということを。
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