第6話
図書館で本を読めないのは残念だけど、緑ちゃんという人間に踏み込めるチャンスなのかもしれない。そう思いながら、"
「お店の前を通るだけで幸せな気分になるね。夜はやってないのかな」
「パン屋さんは朝早いから、ランチしかやってないみたい」
「そっか。……って、緑ちゃん、顔赤くない? 大丈夫?」
緑ちゃんは体育で運動した直後よりもずっと赤い顔をしているので、私は心配になった。
「まさか……熱中症?」
「ち、違うから」
首を振って否定するけど、私の心配は拭えない。
「手、繋いでるのやっぱりちょっと暑いんじゃ?」
「それは、ちょっと暑いけど、……大丈夫」
「そこまでして繋ぐのこだわるんだ……まあいいけど」
木陰に入って信号待ちをする。緑ちゃんの様子を伺うけど、声をかけたさっきからずっと顔が赤くて、目を合わせてくれない。唇はきゅっと結ばれて、そこはいつもと変わらないけど、図書館を通り過ぎてから口数がちょっと少ない。でも、彼女の右手は、熱を帯びてもなお、何らかの意志を持って変わらず私の左手をつなぎとめている。
その時、後ろからけたたましいサイレンの音がした。拡声器から男性の声が響き、パトカーは赤信号を越えてどこかへ向かっていく。あたりは一時緊張に包まれたが、パトカーが遠くへ行くと何事もなかったかのように交通の往来を再開させた。
「珍しいね。何かあったのかな」
緑ちゃんはそれにはなにも答えず、代わりにほんの一瞬だけ握る手が強くなった。
青信号を渡りしばらく歩くと、コンビニが見えた。
「緑ちゃん。何か飲み物買ってく? 公園まであともう少しだと思うけど」
「うん。そうする」
その言葉を聞いて少し安心する。九月の雨上がりの午後とはいえ、蒸し暑くて体調をいつ崩してもおかしくない。エアコンの効いた店内で少し涼んで、各々好きな飲み物を買う。私にしては珍しく即決で緑茶を選んで、彼女は少し悩んでルイボスティーを選んだ。選択肢がなんかおしゃれだな。
お店を出て日陰でお茶を飲む。
「緑ちゃん、さっきまでそのルイボスティーと同じくらい顔赤かったよ。今はちょっとおさまったけど」
「……それは言い過ぎ。ちょっと暑かったから」
「でも、あのままでいたら、このポンコツあおむしに看病されることになってたかもよ?」
「……まあ、それでもいい」
冗談のつもりだったけど、緑ちゃんにしては珍しく弱気な発言に、私は些細な違和感を覚える。思えば、学校を出たところくらいから、緑ちゃんの様子はちょっとずつおかしい感じがする。
お茶を飲んで少し冷めた頭で考えると、私は緑ちゃんに夏休み前半避けられてた理由を聞きにここまで歩いてきていて、その状況も違和感がある。理由が些細なことならば、わざわざ場所を変えなくても図書館のベンチで話を少しすれば済むことだし、そのあと当初の計画通り図書館で時間を使える。公園まで移動するということは、相当な理由があったのだろうか、私には身に覚えのないことで、ゾッとするような感触を覚える。
まあ緑ちゃんはたまにちょっと不思議な行動をするので、今回もその一環だと自分に言い聞かせる。実際、普段あまりいくことのない亀ヶ塚公園に二人で歩いて行くのは非日常な感じがして楽しい。
状況の不気味さと、非日常の楽しさが共存する感じ。それを少しだけかき混ぜてみたくて、私は彼女に質問をする。
「緑ちゃん、話って、ここじゃできない内容なんだよね?」
「……うん」
たぶん、彼女は大事な話をしようとしている。それは私にとっていい話なのだろうか、悪い話なのだろうか。手を繋いでいたのは私を逃さないようにするためで、私は公園でシメられるのでは? それはないにしても、私の致命的なよくないところを指摘されて、私は友達を一人失うことになるのでは? 想像の地平が悪い方向に広がっていく。そもそも、避けられていた理由が、私にとっていい話であることがあるのだろうか。そう思うと、この状況が少しずつ怖くなってくる。もし私がその理由を聞こうとしなければ、この状況に陥ることもなく、いつも通り彼女と友達でいられたのかもしれない。思慮の足りない私の好奇心が、平穏な日常を破壊する恐怖の引き金になっているように思えてきた。
「……でも碧は、聞きたいんだよね?」
嫌な想像が膨らんでいたが、そう言った彼女の顔や様子を見た瞬間、私には今にも消えそうな蝋燭の炎が見えた。それは少しの風が吹いただけで消えてしまいそうな、小さな光だった。それを彼女は両手で守ろうとしているように見えた。そして私だけにその光を見せようとしてくれていた。私の方向から風を送ったら、今すぐにも消えてしまいそうなか弱い灯りだった。でもそれは私の暗い想像に、一点の光を灯した。私は、この光を、そしてそれを見せようとしてくれている彼女を、守らなくてはならないと直感した。
私が無言で頷くと、彼女は言った。
「……わかった」
私には小さな炎を守るものとしての矜持がその言葉から感じられた。
亀ヶ塚公園に着いた。私たちはコンビニを出てからは手を繋がずに歩いた。駐車場を抜けて、公園の案内図のある看板の前に立つ。
「ちょっとだけ登るから」
「わ。山登りみたい」
「そんな大袈裟なものじゃないけど」
今年の夏は山登りに行けなかったから、私は少しテンションが上がる。緑ちゃんの一歩後ろをついて舗装された道を歩いていく。木陰の下は風が少し吹いていて涼しい。緑ちゃんはコンビニで休憩してからは熱がひいたのか、いつもの様子に戻っているように見えた。
途中で彼女は今まで歩いていた大きな道から、脇にそれる道に曲がっていった。舗装はされていないけど、公園の整備された道だから、険しい山道という感じではない。歩いてすぐのところで、開けた場所に出た。誰かが整備しているのだろう、花壇があって、コスモスの花が咲いている。フェンスの向こうには、亀橋の街並みが広がっている。そしてフェンスから花壇を介して反対側に、小綺麗なベンチがある。
私たちはメッシュのフェンスの近くから、街並みを見渡す。
「すごい、こんな素敵な場所あるんだ」
「でしょ。小学生の頃に見つけたの」
「あそこが、スーパーカメサダで、Kドラッグがあって…、あれが北校かなあ」
「そう。亀橋駅も、ちっさいけど見える」
「ほんとだ。図書館は影になってて見えないけど、街を一望できるね」
しばらく景色を楽しんでから、私たちはベンチに腰掛ける。景色を見ている時はあえて意識しなかったけど、今はそわそわと、心が落ち着かない。
緑ちゃんがリュックからさっきのルイボスティーを取り出して飲んでいるのを見て、私も緑茶を口に含んだ。花壇の周りを蝶が舞っている。
その時、驚かないでほしいんだけど、と彼女は言った。その言葉に、さっき碧に聞かれたから答えたんだけど、冗談とかじゃなくてね、という言葉が続いた。
「……私、碧のことが好き」
目を見て、言われた。思ってた展開と違って、驚いたけど、私は比較的すぐに答えた。
「……それで?」
「…………え?」
「?」
「……っぷ、『それで?』だって、やっぱ碧、面白い」
私は少々混乱していて、なにが面白いことになっているのか、よくわからなかった。どういうこと? となっている私に、緑ちゃんが続ける。
「……それでね、私、碧と、付き合いたい。碧と、もっと親密になりたい。……ただの友達じゃ、嫌なの」
その時私は初めて、緑ちゃんに告白されていることに気がついた。理解が追いつかない頭で聞く。
「……えっと、あれ、夏休み前半に、私を避けてた、理由?を話してくれるんじゃなかったっけ、あれ?」
「……うん、だから」
好き避けっていうか、と彼女はまた顔をルイボスティーみたいに赤くして小さく言った。
しばらくお互い繰り出す言葉が見つからなくて、私は彼女の顔を見るのをやめて、この小さな広場から見える景色をぼんやりと眺めた。そういえば、夏休み、図書館のベンチで私が熱中症になりかけた時も、緑ちゃん、顔を赤くして私に彼氏がいるかを確認しようとしていたな、と思い出す。あの時は頭がぼんやりとしていて、そんなに気にしなかったけど、緑ちゃんが顔が赤くなるのは結構珍しいことだった。考え直すと、緑ちゃんについてのいろいろなことの行動の理由が、繋がっていく感じがする。
……じゃなくて。彼女の方を見ると、まだ赤い顔で、私の方を伺うような顔つきで見ている。目は潤んでいて、今にも泣き出しそう。
「……私も、緑ちゃんのことは好きだよ」
と答える。すぐに、「……でも、ちょっと、考えさせて。すぐには答えられないかも」と正直に、今の気持ちを付け足す。
「……うん、わかった。すぐじゃなくていいよ。碧の気が済むまで考えてほしい」
不思議と、すっきりとした笑顔で、彼女は言う。
「……もう、まさか、こんな展開になるとは」
「……緑ちゃん、自分で言う?」
「ふふ。でも、碧が聞きたいって言うから……。場所は、前からここにしようと思ってた」
「……そうなんだ」
思ったより、いつもみたいに話せることができていて、何故だかそれが少し不思議に思えた。それから、しばらく雑談の時間が続いて、ひと段落したところで、彼女は立ち上がった。
「……帰ろっか。ごめんね、付き合わせて」
「……ううん。いいよ」
彼女は一瞬迷ったそぶりを見せたけど、手は繋がずに、元の道を戻った。特になにも言葉を交わすことなく、私たちは図書館の方へ戻っていく。ついたのは閉館一時間前で、緑ちゃんはそのまま家に帰り、私は図書館でお母さんが迎えにきてくれるのを待った。本を読もうとしたけど、あまり内容は頭に入ってこなかった。
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