第18話
体育祭はつつがなく終わった。個人的には目標であった「転ばない」を達成できたので文句なしだ。怪我したら明日の水族館デートに支障をきたしてしまうから。あとは緑ちゃんと一緒にいるときにカメラマンに写真を撮られた。卒アルとかに載るのかな。クラスTシャツで撮ってもらった2ショット、写真写りが悪くないと良いけど……。
結果は8クラス中4位。まあまあ悪くないんじゃないかな。倉須くんや吉川くんなどの運動部男子を中心に頑張っていた。女子では赤星さんや黄倉さんが目立っていた。特に黄倉さんは持ち前の運動神経を爆発させていた。明るくて運動できて活発な女の子。私も楽観的なほうだけど、少し方向性が違う感じがある。運動部の明るさと文化部の明るさの違いというか……。簡単に分類できるものではないけれど。
閉会式での学年主任のお話は、「毎年秋の体育祭が終わると受験勉強を始める人が多いです」という内容だった。ぐええ。高校生活にも慣れてきたと思ったら、すぐ受験の話になるのが自称進学校の辛いところ。まだ行きたい大学も学部も決まっていないのに……。そういえば、緑ちゃんは進路についてどう考えているんだろう。あまり聞いたことなかったな。
着替えて教室に戻って、ホームルームが終わってしばらく雑談をして時間を潰したのち、緑ちゃんと帰ろうと廊下に出たとき、ちょっとした事件が起こった。
「あの、野坂さん」
緑ちゃんと私が振り返ると、隣のクラスの男子(たしか、新木耕太郎という名前だった)が少し顔を赤くして立っていた。
その後ろには、隣のクラスの女子たちが教室の扉から顔を出しながら、スマートフォンを向けている。
ストイックな生徒は部活の自主練へ、一般的な生徒は帰宅の途についている時間帯。夕暮れ時というには早いが、影は少しずつ伸びている。そんな中に投げ込まれた彼の一言。そして、体育祭の終わり、カメラを向ける女子たちという状況からして。
……なんとなく、察してしまった。
隣のクラスの新木くんは、今日の体育祭でも女子たちから黄色い声が上がる人気者ぶりを披露していた。彼の率いる8組は、堂々の二位だった。
「えっと、言いたいことがあって」
「……なに?」
緑ちゃんの声音は、とても無機質なものだった。中立的で、公平で、でも、壁のような一線を引いた声。私との会話ではまず出てこない声色。初対面の時は、こんな感じだったような気もするけど。
「隣のクラスだけど、ずっと目で追っていて、勉強頑張る姿とか、先生に対する態度とか、ずっと憧れてて、一緒に高め合えたらなって、思って…………単刀直入に言うと、……好きです、付き合ってください」
お辞儀をするように頭を下げて、右手を差し出す新木くん。すごい、初めて見た。隣に私もいるし、後ろには同じクラスの女子もいるのに、勇気のある人だなあ、と私はのんきに考える。
緑ちゃんはどうするんだろう、と思って目線を投げる。彼女は呼吸ひとつ乱さずに、彼の様子を見ていた。顔には出ていないけど、頭の中はフル回転しているんだろうな、というのを察することができた。
「……ごめんなさい。私、受験に集中したいから、今は恋愛には興味ない」
端的に言った後、彼女は後ろにいる女子たちに言った。
「動画撮るのやめて」
女子たちはモグラ叩きで叩かれたモグラのように教室の中に引っ込んだ。すぐに、「きゃー」という黄色い声が上がる。
同じクラスの七組の生徒たちが、なんとなく事情を察して気まずそうに脇を通って帰っていく。
新木耕太郎くんは弱々しく顔を上げて言う。
「そっか……まずは友達からってわけにもいかないみたいだな」
彼女は無言で小さく頷く。
「……わかった、なぁ、一つ教えてくれないか? 俺には、何が足りなかった?」
まっすぐな瞳で、彼は緑ちゃんに聞く。ドラマのワンシーンみたいな出来事がすぐ隣で繰り広げられている。
「……別に、何かが足りないから付き合わないわけじゃない」
彼女はつまらなそうに言って、付け加える。「……あなたにはもっと素敵な人がいると思う」
どこまでも中立的で感情が読めない声。
「それじゃ、……碧行くよ?」と言って彼女は踵を返す。私は彼の苦い表情を一瞥したのち、私は緑ちゃんを追いかける。
「はぁ……ごめんね、あんなとこ見せて」
「いや、緑ちゃんが謝ることじゃないよ」
「まぁそうなんだけど、私がやんわりとかわしてたのが、かえって良くなかったかなぁ」
階段を降りながら彼女はポツリと言う。
「緑ちゃん、やっぱモテるんだねぇ。去年の文化祭の後もやばかったって噂で聞いたよ」
「もう……噂は変なかたちで広まるからなぁ」
凄く憂鬱そうに緑ちゃんは言う。
「でも今回は、ちょっと面倒なことになるかも……」
「え……そうなの?」
「さっきの耕太郎くん、赤星さんの推しなんだよね……」
「あ……」
俗にいう修羅場ってやつかな。
「スナバで10時間語れるほどの熱量あるって」
「それは相当だね」
私は緑ちゃんについて10時間語れるかを考える。10時間も喋ると疲れそうだから、小説ならいけるかもな。……ふふ。
「ちょ、なに笑ってるのよ」
「あ、ごめん、緑ちゃんの小説が……」
「なにそれ、何の話なの……」
「うう……」
「まぁ碧が一人で笑ってるのはいつものことだからいいけど。はぁ……これから気まずくなるの嫌だなぁ」
「えっと、黄倉さんと相談してみるとか……?」
「うん、……そうだね」
「気まずくなったら私たちのグループに来てもいいよ。小林さんも大歓迎だと思うし」
「……ありがと。……はぁ、ほんと、めんど……」
うなだれてる緑ちゃんも珍しいなぁと思いながら、私は心の中がポカポカとしていることに気がつく。たぶん、耕太郎くんをしても付き合えない緑ちゃんに、私が選ばれているというちょっとした優越感というか、誇らしさというか、謎というか……。冷静に考えると、緑ちゃんは私じゃなくてもいくらでも選択肢があるわけで、ドラマで見るような青春を謳歌することもできるわけで。よりによってこのポンコツあおむしを選ぶのは大分もの好きな気質の持ち主だ。……あれ、緑ちゃん本当に私でいいの? ぽかぽかと優越感を味わっていたと思ったら、だんだん自信がなくなって心が冷えてきた。……これが交互浴?
ふと、緑ちゃんと目が合う。彼女は微笑んで言う。
「……碧の表情の変化見てたら、なんだか悩むのが馬鹿らしくなった」
「え……それ褒めてる?」
「もちろん」
そして昇降口を出ると、彼女は伸びをする。
「やっぱり、碧と一緒にいるのが楽だなぁ」
「むぅ。……ドキドキしないってことかな」
「違う違う、そうじゃなくて」
彼女は微笑んで言う。「一緒にいて楽しいってこと」
冷えた心が、緑ちゃんの言葉でちょっとずつ暖かくなっていく。……これが外気浴?
「よし! 明日は水族館だね」
「八時に亀橋駅の改札前だから。……碧、寝坊しないでね?」
「しないよ。アラーム10回セットするから」
「……十度寝まではできるな」
「そういうこと」
「明日は碧のお洒落が楽しみだなぁ」
「嫌なことを忘れると定評だよ。……良いことも忘れるけど」
「それって碧が忘れっぽいってだけなんじゃ……」
「えへへ、そんなわけでまぁ、ポンコツあおむしのお洒落に乞うご期待! 緑ちゃんのおでかけコーデも楽しみだなぁ」
「……うう、ハードルを上げられた……」
さっきよりは随分と表情が柔らかくなって、感情豊かな緑ちゃんの声。明日も会えるとわかっているお別れの時間は、いつもより寂しくなかった。
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