第15話

 一人一人名前を呼ばれて、教室の前に移動し、先生から答案を受け取る。先生から「頑張ったな」とか、「ちゃんと復習するように」などと一言が添えられる。私はいつもよりも緊張して、順番を待つ。教室もそわそわとした空気が充満している。

「くぅ。ちょっとこれはまずいな……」

 隣で倉須君が悔しそうな声を上げる。

「なになに、どうだったの?」

 彼の前の席の黄倉さんが振り返って言う。

「65点、下振れたわ」

「……なに、嫌味?」

「え、……みなみはもっとやばいの?」

「あー、もう明斗とは当分口きかない」

「ごめんて。スナバのラテ奢るから、許して」

「え〜、そんな誘い方やだ」

「めんどくさいやつだなぁ」

 席替えをしても近くになった二人のイチャイチャを横目に、そろそろ呼ばれる番だなと思う。苗字が「長津」だから出席番号は後ろのほうなのだ。

「内藤、は休みか。次、長津」

 一つ前の内藤君が休みだったから、急に名前を呼ばれてちょっとびっくりする。立ち上がって前に行こうとした時に、机の角に脚をぶつけてしまった。

「この調子でがんばれ」

 表情ひとつ変えずに化学の川谷先生が言う。点数は。79点。思わず声が出る。緑ちゃんに目標点数は8割と言われていたのに……。いつもだったらすごい嬉しい点数のはずだけど、悔しさが広がっていく。

「次、野坂」

 私はとぼとぼと自分の席に戻る。先生の「惜しかったな」という声が聞こえる。緑ちゃんも悔しそうに、答案を受け取っていた。

「あおむし〜、どうだった?」

 私は点数が見えるようにバッと答案を見せる。

「え、めっちゃすごいじゃん! あおむしってそんなに頭良かったっけ?」

「失礼な。私もやるときはやるんだよ」

「見直したぜ、くっそー、明日からは勉強頑張るぞ」

「碧ちゃんお勉強できるんだねぇ」

 黄倉さんに優しく声をかけられて、少し動揺する。

「……あ、いや、緑ちゃんに、色々教えてもらってて、だから」

「へぇ〜、いいな。そういえば最近一緒にお散歩したり、仲良いよねぇ」

「俺も緑茶さんに教えを乞うか……」

「その前に明斗は私にスナバで化学教えるんでしょ。パンプキンフラペチーノのトールでチョコソースをアーモンドトフィーシロップに変更で」

「急に呪文を詠唱するな!」

「碧ちゃんも来る? 明斗が奢ってくれるって」

「私はまだMP足りなくて呪文使えないから、タイゼリヤ派なんだよね。……ドリンクバー5人前で」

「どんだけ飲むつもりなんだ……って、それ俺の財布にダメージ与える魔法だから!」

「ごめん、ハーバー・ボッシュ法でアンモニア生成したから許して?」

「緑の革命起こしてるんじゃねえよ」

「ぷ、何それ、普段二人ともそういう話してるの? ウケる」

 なぜか黄倉さんのウケを獲得できて、ちょっと照れくさい。倉須君もそんな顔をしている。

「碧ちゃん、変人とは聞いてたけど、面白変人だね」

「それは褒めてるのかな……?」

「どっちも褒め言葉じゃん! 私変なひと好きだよ?」

「変態が好きってことか?」

「変人と変態は違うから」

「両生類の変態の話? あれ、生命の神秘を感じるよね」

「……碧ちゃんそれはちょっとあざといかも」

「え、あ、なんかごめんなさい」

 黄倉さんが私をじっと見つめる。「いや、もし天然でやってたら……この子、恐ろしい子……」

「?」

「明斗、このタイプには気をつけなさい。将来魔性の女になるから。魔性の女には気をつけなさい。それは将来人生を狂わせる女になるから」

「急にマザーテレサの名言みたいなこと言ってきた……」

「マザーテレサとマリアテレジアって響きが結構似てるよね」

「ほらね」

「お、おう……」

 ふう、と黄倉さんが息を吐く。「緑茶さんがハマるのもなんとなくわかった気がする」

「え、緑ちゃんが?」彼女の話にはすぐ飛びついてしまう。

「あの子、最近私と二人でいるときの話題が大体碧ちゃんのことなんだよね。『碧可愛い、やばい……』みたいなことをずっとぶつぶつ言ってるの」

「え、あの緑茶さんが、そんな限界オタクみたいなことを……?」

「……あ、やば。これ、箝口令敷かれてるんだった、聞かなかったことにしとてね」

「無茶いうなよ、本人めっちゃ聞いてるけど」

「うん、……わかった。知らなかったふりは得意だから任せて」

「この子、……恐ろしい子……」

「政治家とか向いてそうだな」

 それにしても、緑ちゃんが裏でそんなことを言っていたとは……。格好のいじりネタを入手してしまったが、黄倉さんから聞いたとは言えないので、使えないのがもどかしい……。最強の武器が必ずしも使い勝手が良いとは限らないのに似ているな。

 というか黄倉さんも、緑ちゃんのそういう言動を聞きながら、「最近一緒にお散歩したり、仲良いよねぇ」ってしらばっくれてたのかな。これもあまり深追いしないほうがいいか、気づかなかったふりをしておこう。


「緑ちゃん」

 化学の授業が終わった休み時間、私は彼女の席に行く。席替えがこの前あったばかりだけど、私と緑ちゃんの相対的な席の位置は変わっていない気がする。倉須君ともまた隣になったし、黄倉さんも近いし、あまりくじが混ざっていなかったんじゃないかな。

「テストの結果、惜しくも79点でした。『泣く』に値する点数だよね」

「どれどれ……ああ、ここの計算ミス、もったいないね」

「そうなんだよ、あれだけ警戒していたポンコツミスを本番でも見せてしまった……」

「そう。……でも、いつもよりは良かったんでしょ?」

 そう言って、緑ちゃんは私を見上げるようにして言う。いつも彼女が私の席に来ることが多いから、こんなふうに話すのはちょっと新鮮で、ドキドキする。

 私が頷くと、「だったら、碧がそれだけ成長したってことだよね」と暖かな声音で言う。

「えぇ〜、そうか、そうだね、めっちゃ嬉しい!」

 てっきり8割を凡ミスで取り損ねたことをいじられるかと思ったけど、優しく努力を認めてくれたのがとても嬉しい。この辺の飴と鞭というか、バランス感覚が緑ちゃんのいいところなんだよなぁ。

 それに、裏で私のことを可愛いって言ってたみたいだし。

 そんなことは全く表に出さずに、私のことをからかって楽しそうにしてたのに。

 やっぱ緑ちゃん、すっごく可愛いなぁ。

「ふふ」

 好きな人に認めてもらったのが嬉しくて、思わず笑みが溢れる。……じゃあ私も。

「緑ちゃんは、どうだったの?」

「私は95、クラス2位タイっぽい」

「え……レベチだった……」

「やっぱ最後の問題解けなかったのが反省だなぁ」

「緑ちゃん天才、すごい、賢い……うう、私が褒めても嬉しいのかなぁ」

「ふふ、まあ今回のテストで言えば私の指導で碧の点が上がったのが一番嬉しかったかな」

「そう言ってもらえたら何よりです。やっぱ緑ちゃんの指導力は……」緑ちゃんは手で私の言葉を制止する。

「褒めすぎ注意だから」

「はい……ごぺんなさい」

 ちょっと照れた感じの緑ちゃんもやっぱり可愛い。この前ファミレスに行った時も褒めすぎを注意されたな。でも、褒めすぎたくなるくらい緑ちゃんが素敵なんだもん。

 私が緑ちゃんを見つめながら内心もじもじしていると、ぽつりと彼女は言った。

「計算ミスとかは、早めに復習したほうがいいから……また、勉強会とかしよ」

「いいね! 図書館行く?」

「それでも良いんだけど……」

 緑ちゃんは顔をあげて、私を一瞥して、小さな声で言う。

「私の家……来る?」

「わ! いいの?」

「うん、水族館のこととかも話したいし……」

「そうだね! わぁ、初めてだなぁ」

「じゃあ、明日ね?」

「うん! 計算ミスして良かった!」

「そうはならないでしょ……」

 緑ちゃんは呆れたように言ったけど、最後は唇に笑みを浮かべていた。それを見て、私も嬉しくなって、ほとんどスキップしながら席に戻る。運動音痴だから脳内でだけど。

 

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