第16話
「緑ちゃんの家行くの初めてだよね? というか高校に入ってから友達の家お邪魔するの初めてかも……」
「そうね。私も、誰かを招くのは碧が初めてだから」
放課後、私たちは緑ちゃんの家に向かっていた。学校からそれほど遠くないため、緑ちゃんは徒歩通学である。私は自転車を押しながら彼女の隣を歩く。
こうやって二人で図書館のほうに向かっていると、緑ちゃんの二回目の告白を思い出す。私たちの関係性は落ち着くべきところに落ち着いたな、という実感がある。時間が経てば、なるようになるのだ、という楽観的な姿勢は、私を私たらしめている考え方の一つだ。ケ・セラ・セラ……また歌い出しそうになる。
「ふふ、碧、その歌好きだよね」
「まあそうかも」
「またハモる?」
「うう……緑ちゃんのソロがいいな」
「碧と一緒じゃなきゃ歌わないよ? あ、ここ曲がるから」
図書館に辿り着く前の交差点で緑ちゃんが右に曲がる。あれ? と違和感を覚える。緑ちゃんの家は図書館のもっと北だと思っていた。……でも、なんでそう思っていたんだろう? 思い出せない。
「それとも、歌うの恥ずかしいの? 変人なのに」
「う……それもあるけど、道で歌うのが恥ずかしいかも」
逆に緑ちゃんは気にしないのかな。
「言われてみればそうかもね」
「緑ちゃんも変人なのでは……」声に出てた。
「ふふ、そうかも。碧に影響されてね」
ウインクする緑ちゃん。なんかテンション高くて可愛い。
「じゃあ今度、カラオケ行く?」
「それならいいかも。……私あまり最近の曲詳しくないけど」
「碧が歌える曲でいいよ。一緒に歌お、合わせるから」
カラオケ上級者の発言だ!
「緑ちゃん、よくカラオケ行くの?」
「部活の後行ったりするかな、ヒトカラとかはまだやったことないけど。ここ左ね」
飛び出し注意の看板があるところを左に曲がる。緩やかに上り坂になっている。
ヒトカラが選択肢に出る時点で上級者感があるなぁと思いながら緑ちゃんを見つめる。茶道部の友達と一緒に楽しそうに歌っている彼女の姿を想像する。
「なんだか華があるなあ」
「ん? ああこれ、この辺の小学生が世話してるの」
小さな公園の花壇に亀橋北部小学校の看板がある。微妙に話が噛み合っていないけど、まあいいか。
住宅街の中に入って、大通りとは違う静けさに包まれる。私たちの足音だけが聞こえている。
「そろそろ着くけど」
緑ちゃんが、私のほうを見る。そういえば、緑ちゃんはずっと前を見て歩いていたから、この道程で目が合うのは初めてかも。
「……両親共働きだから、今誰もいないから」
「……?」
緑ちゃんはやや顔を赤らめて言う。少しして、彼女の言おうとしていることを察する。文芸部の本領発揮といったところ。でも、緑ちゃんの次の言葉は、少し予想外だった。
「……警戒しなくていいの?」
「へ?」
緑ちゃんはちょっとむくれて言う。
「碧って、彼氏ができてもすぐ家に行っちゃうの? もうちょっと、警戒心とか持ったほうがいいと思う」
え……緑ちゃんが家来てって言ったから着いてきたんだけど……。と思いながら、これも緑ちゃんなりのいじりなのかもしれないと考え直す。
「えっと……」
「それとも、私だから、油断してた、とか?」
私は頭の中のデータベースを漁る。恋愛小説はあまりたくさん読んでないけど、人よりは知識があるはず。こんなときはなんて返したら…………と思ったけど、素直に伝えるのが一番かもしれない。
「えっとね、……うーん、緑ちゃんだから、大丈夫かな、みたいな。緑ちゃんは、私のことよく見てると思うし、嫌がることはしないだろうなって思って」
「ふーん、まあそうだけど」
私も反転魔法、試してみようかな。
「それとも緑ちゃんは、私が警戒しないといけないことを、考えてたりするのかな?」
彼女の顔がぽっと赤くなる。
「ち、違うから。ちょっと、碧を試してみたかっただけだから。……ごめん、もうしない」
「ふふふ。赤くなってる緑ちゃん可愛い」
「ああもう、余計なこと言うんじゃなかった……」
反転魔法、私も習得したかも!
それにしても、緑ちゃんたまにめんどくさいこと聞いてくるんだよなぁ。それもまた可愛いんだけど、返答にはそれなりに気をつかう。反転魔法はこういうときのために鍛えておくべきだな。
緑ちゃんの家に着いて、自転車をガレージの中に置かせてもらう。明らかにお嬢様の家で私は恐縮する。
「お邪魔します」
「誰もいないから、気を遣わなくていいよ」
「一応、焼菓子を持ってきたんだけど」
「ほんと? じゃあお茶しよっか。私の部屋2階だから」
といって階段を登る緑ちゃん。踊り場に海外のお土産と思われる人形やスノードームが置いてあって、風景画も飾られている。
「……ちょっと恥ずかしいな」
緑ちゃんが、部屋の前でつぶやく。
「お片付け終わるまで待ってようか?」
「それは大丈夫……改めて碧を部屋にあげると思うと……ね」
と言いながら部屋を開ける。
「わ……すごい」
裏葉色を基調とした壁紙で柔らかな雰囲気の中に、大きめのディスプレイとパソコンが存在感を放つ。
「IT企業のオフィスみたい! 見たことないけど」
「褒め言葉ということで受け取ったから」
「あ、このプリンタで旅のしおり印刷したの? マイPCにマイプリンタ……すごいなぁ」
「姉のお下がりだけどね。そこ座って。座布団も一ついるな」
小さなちゃぶ台もあって、座椅子が一つある。ここで漫画を読んだりするのかな、と本棚を見ながら思う。人の本棚見るの好きなんだよなぁ。昔の少女漫画雑誌とか、『カレーで学ぶ世界史入門』とか、意外な本を見つけると嬉しい気持ちになるから。
「……あんまりじろじろ見ないの」
「あ、ごめん、つい文芸部の悪癖で」
「まあ見られて困るものはないけど。……お茶入れてくるから、ちょっと待っててね」
「うん……手伝おうか?」
「いいの。碧はお客さんしといて」
言葉に甘えて座椅子にちょこんと座る。布団カバーはベビーブルーか、緑ちゃんの色選びとか、人物の解像度がぐんと上がる気がするな。目覚まし時計はシンプルなディジタル型、文房具はたくさん買うんじゃなくて、気に入ったものを長く使うタイプか。カレンダーは猫の写真のもの。……よく見ると、水族館行く日に星マークがついてる。これは見なかったことにしておこう。キーボードは黒くて高級感があって、打鍵感が良さそう。授業のプリントが綺麗にファイリングされている。
「碧。ちょっと開けてくれる?」
廊下から声がして、私は扉を開ける。お盆の上に食器とポットを乗せている緑ちゃん。メイドさんみたいで可愛い。
私はリュックから持ってきたお菓子を取り出す。
「はい。マドレーヌとクッキー。近所に美味しいお店があるんだ」
「わあ、ありがとう」
緑ちゃんは慣れた手つきで紅茶を入れてくれる。私はお菓子を取り皿の上に並べる。
しばらく、楽しい雑談の時間が続く。
真面目な私たちは雑談に区切りがつくと片付けをして勉強をする。課題がたくさん出ているから、計画的に進めないと大変なことになる。来週末は体育祭があるから、その練習も本格化しつつあって、時間が惜しいのだ。小さなちゃぶ台を二人で共有して課題と予習を進める。
「ふう」
私は伸びをして、そのままベッドの方へもたれかかる。1時間くらいは集中したかな。まだまだできそうだけど、ちょっと一息つきたい気分だった。家だったらゴロゴロしながら文庫本に手が伸びるタイミングだけど、緑ちゃんの部屋だから邪魔にならない程度の声量に抑える。
「碧、疲れた?」
「……ちょっとだけね」
「そっか」
緑ちゃんも一旦手を止めて、私の隣に来て、同じようにベッドにもたれかかった。
「あ、ごめん、緑ちゃんの邪魔しちゃった?」机の方に戻ろうとすると、緑ちゃんに引っ張られる。
「……私も疲れたから、いいの」
そして、また元の体勢に戻る。なんだか彼女に見つめられている気がして、ちょっと緊張する。
「……碧」
「うん、どうしたの?」
「あのね、来る時、試すようなこと言ってごめんね」
「え……うん、大丈夫だよ」
緑ちゃんは目を一瞬逸らしてから、また私の方を見つめた。
「ちょっと碧に意識してもらいたくて、あんなこと言っちゃった」
寂しそうな目で、緑ちゃんは言った。「ただの友達じゃなくて、恋人っぽい感じを出してみたかったの」
「……そっか」
普段は私をいじってくる緑ちゃんが、私の前で弱みを見せてくれる。その状況に、私はドギマギする。
「じゃあ、今度の水族館は、デートっぽい感じにしようね」
「うん! あ、そうだ、ちょっとお化粧の勉強する?」
私が返事をする前に、彼女は立ち上がり、化粧箱の中を漁り始める。
「化粧……緑ちゃんの前ではしたことなかったな。緑ちゃんしてるんだ?」
「まぁね。バレない範囲でだけど」
化粧箱が変形して鏡が現れた。
「はい、いらっしゃい」
そうして緑ちゃんのお化粧講座が始まり、私は色々と教えてもらった。中学の時少しだけ化粧の練習をしてた時期があったけど、面倒になって最近はイベントごとがないとしていなかった。だから、改めて基本から教えてもらえるのは嬉しかった。色々おすすめを聞いて、一度では覚えられなかったからメモを送ってもらった。緑ちゃん世話焼きだよなぁと感心する。
「……ふふ、今度の水族館ではおしゃれして来てね」
「うん、この土日で色々集めて練習してみるね」
「やった、パワーアップした碧ちゃん見れるの楽しみだな」
緑ちゃんは楽しそうに微笑む。……何気にちゃん付けされている。
「……あんまり期待しすぎないでね。私ミス・凡ミスグランプリ最終選考だから」
「碧は素で可愛いから、ちょっとアクセントつける感じでいいよ」さらりと言うので照れる。緑ちゃんが紅茶を入れてくれる。「ぬるくなっちゃったけど、飲む?」
「うん、ありがとう」
二人で紅茶を飲む。緑ちゃんは一仕事終えたといった感じでリラックスしている。その様子を見て、私も気が抜けて、またベッドに寄りかかる。緑ちゃんも、私の隣に座る。ちょうどさっきと同じ体勢になる。
「……碧」
「……うん?」
意を決した、という様子で彼女は言う。
「……ハグ、してもいい?」
「……え」
緑ちゃんは照れた様子のまま、私の返事を待っている。
「あ、うん、いいよ」
「むぅ。そういうんじゃなくて」
緑ちゃんはまた拗ねたように言う。
「……もっと、恋人っぽい感じがいい」
「え……難しいなあ。……はい」
私は座ったまま、両手を広げる。緑ちゃんは満足げに頷いて、腕の中に収まる。これでよかったんだ、という驚きと一緒に、緑ちゃんの甘い香りが鼻腔に広がっていく。
「碧、あったかいね」
耳元に吐息がかかる。思わず声が出そうになるのを、すんでのところで抑える。
「……緑ちゃん、今日甘えんぼさんだね?」
「……うん。だって、普段できないことをしなきゃ」
そして彼女は首元で息を吸う。
「……碧ちゃん、好きだよ?」
「……私も、好き」
「私のこと、好き?」
「うん」
「……そっか、えへへ」
ハグの力が一瞬強くなる。熱い吐息が首元にかかる。思わず、「んっ……」と声が出る。「……あ、ごめんね」と言って、緑ちゃんは離れる。
改めて緑ちゃんの顔を見ると、顔が一段と赤くなって、目元には涙が浮かんでいた。
「あれ、……緑ちゃん、泣いてる?」
「え、うそ。……ほんとだ、ごめん、なんか」
その言葉を端緒にして、涙の粒がこぼれ落ちる。私はポケットからハンカチを取り出すけど、その頃には彼女は自身のハンカチで目元を押さえている。
「……嬉しくて、夢みたいで、……うう、今日ちょっと不安定かも、ごめんね」
いつもとは違う緑ちゃんの様子に、私はこころをくすぐられる。
「えへへ、私とハグできて嬉しかったってことかな?」
「……そうだけど、改めて言葉にされると、なんか……」
「緑ちゃん可愛いなぁ。……おいで? お姉さんがヨシヨシしてあげるよ」
「あんまり調子に乗らないの」
緑ちゃんはそう言いながらも、私の腕の間に収まる。おろしてる長い黒髪を私は大事に撫でる。彼女は私の鎖骨に顔を埋める。お上品な黒猫ちゃんをなでなでしてる感じで、私も癒される。いつもとは違う様子の緑ちゃんが見られて、嬉しいな。意外と甘えたがりなんだな。友達のままだったら知らなかった、彼女の一面を知った一日だった。
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