第22話
碧を抱きしめたまま、太陽が沈んでいくのを見た。熱くなった身体は太陽のようで、そのまま海に沈んでいきたいと思った。でも、暗くなる前に、駅に向かわないといけない。
「そろそろ、帰ろっか」
「うん」
肩のあたりに、碧の声が吸収されていく。
……夢みたいだ。
やや暗くなった公園を二人歩く。碧は私の左腕に掴まるようにして歩いている。密着度がかつてないほど高くて、意識を持っていかれると危ない気がする。私は前を見て、まっすぐ歩く。
「……緑ちゃん」
「……なに?」
ふふ、と笑い声が漏れる。
「呼んだだけだよ」
なにそれ、と言いながら、口元が緩む。いつもだったらもう少し自制心が働くけど、どうせここには私たちを知る人は誰もいない。羽を思う存分伸ばすことができる。
「あのさ」
「なぁに?」
いつもより甘い声で、碧が聞いてくる。
――いまなら、言えるかもしれない。
「……碧のこと、これからたまに、碧ちゃんって、呼んでもいい?」
「え……今までも、たまにそう呼んでたような……?」
「うそ、……バレてた?」
「バレバレだよ」
碧は楽しそうに笑う。そんなにバレバレだったんだ……。
「別にそんなの、緑ちゃんの好きに呼んでもいいよ。今なら特別に、『はらぺこあおむし』呼びも許可します。一ヶ月限定だけどね」
「期間限定に魅力を感じるけど、私の意志は最強だから誘惑には屈しません」
「さすが緑ちゃんだ。理性の塊だね」
碧からしたらそういうふうに見えてるのかな。
「へぇ。それにしても『碧ちゃん』呼びか。やっぱりお姉さんに甘えたくなったのかな?」
「……うるさい。同級生でしょ」
「私の方が一ヶ月先だからちょっとだけお姉さんだよ?」
「碧がお姉さんは私的には解釈違い」
「そうなの? じゃあ、妹属性? 私長女だからいけるかな」
「……姉妹関係とは、ちょっと違うし。言うなら、師弟関係というか」
「そっか、緑ちゃんは師匠だもんね?」
そして碧は、楽しいことを思いついた、という笑顔を向ける。
「でも、お師匠様、弟子にちゃん付けして甘えちゃうんですか?」
「……っ」
痛いところをつかれる。私が育てた弟子とはいえ、最近は鋭い一撃を加えるようになってきている。
「それはちょっと、貫禄がないような気がしませんか……?」
「うう……」
ニコニコと楽しそうに碧が言う。私は、何か弁明しようとして、
「で、でも……もう、キスもしちゃったし、貫禄なんて……」
「ふふっ」
碧がぎゅっと腕を掴みながら笑う。
「師弟関係なのに、弟子にキスしちゃうなんて……いけないお師匠様ですね」
……なんか、そういう
「……弟子が可愛すぎるのが悪い」
というと、「え〜〜!」と驚きの声をあげて、
「緑ちゃん、今日は大胆だね?」
といじってくる。誰ですか、この子にいじりのテクニックを授けたのは。弟子の成長が怖いです。
ここは開き直るしかないだろう。ほめ殺し作戦だ。
「ニットスカートもすごい似合ってるし、ハートマークで笑いを取ろうとした碧尊すぎるし、夕陽に照らされた碧は宝石みたいだった……」
でも碧はそのまきびしをヒョイとかわし、
「あれれ? 私のことは、ちゃん付けで呼んでくれるんじゃ……?」
とカウンターを仕掛けてくる。ぐぬぬ。
「それは、特別な時しか呼ばないから」
「今は、特別な時じゃないの?」
「特別な時でも、たまにしか出ないから。自販機の当たりと同じくらい」
「あれ、当たるの見たことないけど……」
確かに。毎回いいところまではいくんだけど。
「……安売りするのは、ちょっと違うかなって」
「むう。もっと甘えてほしいんだけどなぁ」
たぶん、碧の言われるがままに甘えてしまうと、骨抜きにされてしまうから、私は理性の糸を手放すわけにはいかない。
碧が、また楽しそうな顔を浮かべる。
「でもでも、このタイミングで『碧ちゃん』呼び宣言をするってことは、普段からそうやって呼びたいって思ってたってこと?」
「え……まあ、そうだけど」
碧はきゃーって言って喜ぶ。何がきゃーなんだか、と思っていると、
「それ、めっちゃ、いい! 緑ちゃんの考察が深まりそう!」
何やら、文芸部のスイッチを入れてしまったよう。
碧、さっきのキスからやたらテンション高いし、なんか他にも変なスイッチを押してしまったかもしれない。
宣言をしたことで、かえってちゃん付けするハードルが上がったような気がするけど、気にしないようにしよう。
そんなことを考えながら歩いていると、道に迷った。目の前に暗いトンネルが聳えるのを見て、私は地図アプリを起動する。来る時には通らなかったトンネルだ。
「あれ。一本違う道に入っちゃったな」
碧との会話に夢中になってて、道の確認が疎かになっていた。私も少なからず浮かれていたみたい。
「見た感じ、これを真っ直ぐ行っても行ける。引き返すよりは近いかも」
二人してトンネルを見る。あまり車通りも多くないけど、暗くて危険な感じがする。
「このトンネルを通ったら近いんだよね」
「それはそうだけど……」
女子高生二人で通りたい道ではない。碧はこういうの冒険したがるかな、と思っていたら
「やっぱり、引き返そうか」
と案外すんなり言った。
「いいの? 今日ずっと歩きっぱなしで、疲れてない?」
「私は大丈夫だよ。歩けるうちに歩いておいて、カロリーを消費しなきゃ」
「ごめんね。私がちゃんと道見てたらよかった」
「え〜。そんなこと言ったら私も見てなかったし」
それに、と碧は続ける。
「……緑ちゃんと一緒にいる時間が増えて嬉しいし」
あわわ。
暗い道でよかったと思った。
この顔は碧には見せられないから。
行きと同じ明るい道を通って、無事に駅まで着いた。帰りの切符はもう買っていたから、二人で改札を通ってホームのベンチで電車を待つ。お互いさすがに疲れたのか、口数は多くない。でも繋がれた手を通して、心はずっと暖かかった。
車内ではちょうど二人がけの席が空いていた。碧を窓側にして、並んで座る。しばらくして、碧がこくりこくりとしているのを見て、
「眠っててもいいよ。着いたら起こすから」
「……いいの?」
頷くと、碧は私の肩に頭を預けた。細い髪の毛の先が首筋をなぞる。しばらくして、小さな寝息が聞こえる。
世界で一番大切な存在が、肩のすぐ隣にいる。
駅に着くまで、私は頭を冷やすのに必死だった。甘い想像が目と鼻の先に差し迫り、それを追い払うために私は冷たい水の事を考えた。熱せられた鉄球と接するには、氷の塊が必要だった。滝行に勤しむのも悪くないかもと、そのとき人生で初めて思った。それくらい、彼女の熱は魅惑的だった。
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