第23話

 週明けの月曜、私はある作戦を実行しようと、彼女を待っていた。脳裏には週末の甘い記憶があるが、それを振り払い、朝の支度をする。

 教室の後ろの扉から碧が入ってくる。いつもと変わらない様子が、逆に甘い記憶を際立たせる。彼女は何人かと挨拶を交わしながら、席に着く。

 今回私が待っているのは、碧ではない。

 碧との関係性だけに集中できる平穏な環境を作るために、前もって対処が必要なのだ。

 しばらくして、赤星さんが来た。倉須くんと少し会話をした後、席について支度を始めている。私は席を立った。

「赤星さん、おはよう」

「緑おはよう」

 特に変わった様子はない。まだ、体育祭の後の出来事は伝わっていないのかな、と思いつつ、私は続ける。

「てか、ヘアピン変えた?」

 赤星さんは顔を上げる。

「さっすが緑。それに気づくとはね。……みなみは全然気づかないけど」

「私は4割バッターだから」

「……緑はもっと高いと思うよ? 特に得点圏打率が」

 付け焼き刃の野球知識では太刀打ちできないので、私は曖昧に笑って流す。赤星さんは特に気にすることなくリュックの荷物を机の中にしまい込んでいく。

「あのさ」私は用意していた作戦を繰り出す。

「推しについて語る会、やらない? スナバで」

「え?」

 赤星さんは顔を上げて、目を輝かせる。

「何それ、超楽しそう! いつやる?」

 すごい食いつきの良さだ。水族館に誘った時の碧を彷彿させる。

「ええと……木曜日とか、どう? 部活終わるまで、適当に時間つぶしとくから」

「うーん、そうだなぁ。……てか、今日は? 部活ないし」

 いきなりすぎるかなと思って少し先の日程を提示したけど、赤星さんが思ったよりも乗り気で、フットワークの軽さを存分に発揮している。

「緑、なんか用事あったりする?」

「ううん、大丈夫。わかった、じゃあ今日の放課後ね」

「みなみも誘おっか」

 立ちあがろうとする赤星さんを制止する。

「えっと……今回は、推しについてじっくり語りたくて……できたら二人の方がいいかも」

 赤星さんは少し不思議そうな顔をしていたけど、いたずらっぽい顔で笑った。

「……そういうことね。じゃあじっくり、語っちゃおっか」

 そんな彼女の様子がちょっと可愛いと思ってしまったのは、碧には内緒である。


「……というわけで、碧、今日は一緒に帰れないから」

「そっか。わかった」

 碧には、赤星さんと話す内容も含めて休み時間に廊下で伝えた。『推しについて語る』は建前なので、その話はしていない。私に『推し』がいることは彼女は知らないし、伝えていない。もし伝えたら、碧は「だれだれ?」って聞くだろうし、それに対して「……貴方です」とは言いにくい。『推し』というのは、碧に対する恋愛感情をそれとなくカモフラージュして、赤星さんや黄倉さんとの話題に昇華する便利な言葉だったりするのだ。

「それにしても緑ちゃん、結構策士だよね。行動早いし……」

「……別に。私は波風立てたくないだけ」

「そっか。そういえば私と電話した時も次の日鬼速フォロー入ってたよね」

 電話した時、というのは、私が碧に電話で告白の返事を聞いた時の話だ。

 碧は抜けているように見えて実は結構記憶力がいい。さすがの文芸部なので、あまり見くびらない方がいいことを私は最近学び始めた。

「だって、変な感じにしたくなかったし」

「……そう? 別に変な感じにはならなかったと思うけどなぁ。むしろ緑ちゃんが無理してないかって、心配しちゃった」

 碧の優しさが、じわじわと心に染み渡っていく。最近の私の回路は単純なので、すぐハグがしたくなってしまう。

 でもここは廊下で、他にも生徒は何人かいる。

「……あんまり優しくするの、禁止だから」

「え〜〜、緑ちゃんツンデレだなぁ」

 彼女に甘えっぱなしにならないように、人がいるところではツンツンしておくようにしよう。

 と思ったけど、席についたら隣の小林さんに、「何かいいことあった?」と聞かれてしまった。私は浮かれているのが態度に出やすいタイプなのかもしれない。


 放課後。私は例の新木くんの件が赤星さんに伝わらないか、気にかけながら一日を過ごした。正直結構気が滅入る。伝わるのは時間の問題だけど、タイミングが大事だ。

 私は教室でなんとなく時間を潰す。赤星さんは黄倉さんに一言何かを伝えて、同じように時間を潰していた。黄倉さんは不思議そうな顔を浮かべて、教室を出ていった。

 しばらくして、教室に人が少なくなると、赤星さんは私の席に来た。

「緑、じゃあ、デートしよっか」

「え……」

 彼女は冗談のつもりなのだろうけど、週末碧とデートした私には冗談になりにくかったりする。

「そうね、行こっか、デート」

 浮気にならないよね? と内心心配になりながら言う。碧には事前に伝えてあるし、これが原因で拗れるとかはないはずだ。

 赤星さんは嬉しそうに微笑んだ。

「っていうか、緑と二人で絡むこと、今まであんまなかったよね」

「確かに。……でも推しに対する熱量は、通じるものがあると思ってた」

「言えてる! みなみには、『わびさび』の心がないからなぁ」

 黄倉さんはわりとおおらかな性格をしていて、少し大雑把なところがある。対して赤星さんは、細かいところに気を配れたりする。体育会の部活で生き残るには、どちらの資質も大切なんだろうなと思う。

「それがみなみのいいところでもあると思うけどね」

「バランス取れてて、いいコンビだと思うよ」

「えー、そう? やっぱ知性の緑が加わって三人のほうが最強じゃん? 天下とりにいく?」

 知性の緑だって。最近は煩悩の緑になりつつある気がするけど、その話はまだしないでおこう。

 それにしても、この様子だったら、まだ赤星さんには伝わっていないのかな。それだと進めやすいんだけど。


 二人で静かな廊下を歩く。いつもだったら碧が隣にいるから、不思議な感じがする。

「緑って徒歩通学だっけ?」

「そうだよ。赤星さんは電車通学だよね」

「うん、スナバは帰り道にあるからよく行くんだ〜」

 スナバはアメリカ西海岸のカフェで、数年前に駅前にオープンしてからは北高生をはじめ若者が集まっている。

「緑は家逆方向?」

「うん、だけど気にしないで。最近散歩にハマってるから」

「そうなんだ。大人な趣味だね」

 赤星さんは少し羨むような口調で続ける。「普段大体部活だから、こういう時間帯にお散歩できるの羨ましいなぁ」

「運動部は、大変だと思う」

「ほんとにそうだよ。この時期だと帰る時にはだいぶ暗くなってるし。もっとまったりしたいなぁ」

「茶道部、入る?」

 冗談まじりに聞いてみる。

「いいかも! お茶飲んでお菓子食べて!」

「カラオケも行くよ」

「最高かよ!」

 お茶の先生がちょっと厳しいのは言わないでおこう。

「でも正直なところ、私が文化部でまったりしてるのが想像できないってのもあるんだよねぇ」

「まあ確かに、テニス部が似合ってると思う」

「っていうか、文化部特有のノリ? みたいのがないというか、……そうだな、お淑やかさがないというか」

「……そう?」

 赤星さんは話の内容とは裏腹に、目をキラキラさせて言う。

「だってほら、緑とか、推しの長津さんみたいな、お嬢様感がないというか!」

「お嬢様感って、……そんなんじゃないけど」

 といいつつ、碧にお嬢様感あるドレスを着せてみたいと妄想してしまう。

「やっぱ私は、外で身体動かすのが好きなんだよねー」

「アクティブお嬢様を目指そう」

「なっちゃう? みなみに差をつけるか」

 自分で言っておきながら、アクティブお嬢様ってなんだろうと思った。碧は結構アクティブだから、アクティブお嬢様に該当するのかな。


 スナバで各々注文して、席に着く。写真を撮ったりした後、私は話を切り出す。

「えっと……推しについて語りたいんだけど……」

「っぷ! なにそれ! 本当にそのノリでいくの?」

 なぜか爆笑された。あれ、そういう話だったのではと私は少々困惑する。

「だって……そんな畏まることある? 真面目な会議かっ」

 赤星さんのツボに入ってしまったみたいで、彼女はしばらく笑っていた。そんなにおかしいかな。恥ずかしくて顔が熱くなる。

「でも今日は、真面目な会議だから」

「ひー、わかった、わかった。そだね、真面目に話そっか、『推し』について」

 笑い疲れた涙を拭いながら赤星さんが言う。

「じゃあ、まずは緑から。よろしくお願いします」

 そう言った後、むり、面白すぎる……と笑いを堪えるのに彼女は必死だった。私は咳払いをして、「碧が可愛すぎる」と言う。

「日本に天使がいるとしたら碧のことだと思う。あの子はダイヤモンドの原石で、磨けば磨くほど輝きが眩い光を帯びる。……ちょっと、笑いすぎだから。とにかく、素直で可愛くて、抜けてると思ったら意外と覚えてたりするのが可愛くてやばい。……はい。とりあえず私の番終わり……次は赤星さんね」

「緑面白すぎ……笑いすぎてむりなんだけど」

「もう、語り合う会なんだから、私一人で語ってもしょうがないじゃん。十時間はいけるって、前言ってたでしょ」

「ぷぷ。よく覚えてるね、わかったわかった」

 と言って、赤星さんは、笑い終えると、私と目があって、なぜかまたひと笑いした後、話し始めた。

「耕太郎は、イケてるんだけどイケすぎてない感じ? って言ったら偉そうなんだけど、庶民感覚忘れてない感じが、結構推せるんだよね。結局そういうタイプがモテるんだけど、確かにあれはモテるっていうか。腹黒いとこもあると見せかけて、割と純粋なとこもあって、日焼け止め渡した時も目キラキラさせて喜んでたし、そーいうのいいよねって」

「うんうん」

「まあでも、恋愛感情とはちょっと違うかな? 近すぎないくらいの距離から推すくらいが私的にちょうどいいっていうか。とは言っても、正直ね、どちらかといえば、彼女はできてほしくないけど。……って私語りすぎ?」

「いやいや、そういう会だから」

「そっか、そういう回か!」

 赤星さんは目を輝かせて、彼のいいところや悪いところを語りに語ってくれた。私も碧との共通点を見つけては共感したり、赤星さんの純情に思いを寄せたりした。最初は楽しそうに笑っていた赤星さんも、次第に推しについて熱量を込めて語るようになって、当初考えていた流れの通りになった。

「ふー、ごめんね? なんか私ばっかり話しちゃった気がする」

「ううん、全然。私も共感できるところ多かったから」

「えー、私、緑の話もっと聞きたい」

 と言うので、私は碧のことを大いに話した。初対面からいきなり距離を詰めてきて、塩対応しても気にせず友達になろうとしてくれたこと。いきなり山登りに誘われたこと。ひたすら漫画喫茶で漫画を読んだこと。勉強会をしたこと。図書館で私を待っていたこと。……二人で水族館に行ったこと。おそろいのキーホルダーを鞄につけていること。赤星さんは、いいなあと言いながら楽しそうに話を聞いてくれた。

 でも、付き合っていることは言っていない。三ヶ月の限定的な関係性だということも。告白をして、一度振られて、なんとか付き合えたことも。水族館の帰りにキスをしたことも。

 あえて話の核心には触れないように、輪郭をなぞるように碧の話をする。

 そして、少し間をおいて、彼女を見つめる。今はもう、赤星さんは笑わない。

「……最近、碧への気持ちが昂りすぎてて」

「うん」

「ちょっぴり、恋愛感情も含まれる気がしてきた」

 私は続ける。

「『推し』って、恋愛感情とは違うと思ってたけど、もはやこの情熱は、『推し』だけじゃ説明できない気がしてきて……そういうのって、変かな?」

「変ではないんじゃない?」

 赤星さんは即答する。

「こうだからこれは推しで、こういう理由だからこれは恋愛感情って、簡単に分けられるものじゃないと思うよ。耕太郎への思いだって、恋愛感情ないかって言われたら正直むずかしいし。緑がそう思ってるんだったら、どっちの感情も嘘じゃないんじゃない」

 私は彼女の言葉に頷く。

「そっか……そうだよね。ありがとう」そして微笑んで続ける。「実はね、推しについて語りたいのもそうなんだけど、ちょっとこのことについて赤星さんに相談したくて。……赤星さんなら、語り合えるかなって思ってたから」

「えー、なにそれ。照れるんだけど」

「あんまり大っぴらに言える話じゃないかなって思ってて、悩んでたんだ」

「あー、みなみはちょっと面白がるかもなぁ。……いや、女の子に恋愛感情向けるって話じゃなくて、緑が真面目に語ってる様子がさ」

「それ、赤星さんも同じだったけど」

「ぷぷ、そうか。だって最初は、まだこのノリに慣れてなかったから、しょうがないじゃーん」

 今回で彼女とは随分打ち解けた気がする。彼女もいつも以上に警戒心を解いて、本心で喋ってくれている感じがある。

「へー、にしても、長津さんも罪な女だねぇ。知性の緑をたぶらかして」

 最近はむしろ私がたぶらかしている気がするけど、言わない。

「でも碧は、それがいい」

「沼ってるなぁ」

「水溜まりかと思ったら底なし沼だった」

 くすくすと赤星さんが笑う。

「あー、そっか。緑は恋をしてるんだねえ。お姉さんキュンキュンしちゃった」

「笑いすぎだから」

「ライクじゃなくて、ラブなんだもんね?」

 イジるような感じで、でも自然に、赤星さんが聞く。私は頷く。

「……だからね。もし赤星さんに、なにか噂が入ってきたら、気にしないでいいから」

「……ん? わかった」

 一瞬キョトンとした顔をした彼女。いずれその意味がわかるときが来るかもしれない。でもこれで、布石を打つことができた。

「ああ、語った語った。じゃあ次は、恋愛相談会?」

「うん……お願いします」

「っぷ、やっぱこのノリ、新鮮でウケる」

 余計なことで友人との関係を拗らせないように布石を打つためのイベントだったけど、普段碧のことをあけすけに話せる人はいないから、とても貴重な機会だった。ここで碧を褒めちぎることで、普段はツンツンした感じでいこう。碧にはクールな緑さんを印象付けておかなきゃ。弟子に貫禄を見せるのも師匠の仕事なのだから。

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