第11話

 中間テストは次の週の水曜日に始まって金曜日の午後に終わった。今回は緑ちゃんの指導を受けた化学を中心に手応えがあった。かつてない手応えと言っていいかもしれない。本を読む時間は犠牲になってしまったけど、その分勉強はできるようになった実感がある。先達せんだつはあらまほしきことなり。その道に詳しい人に教えてもらうのが上達への一番の近道かもしれない。

 家に持って帰っていた教科書や資料集を廊下のロッカーに入れる。帰りはリュックが軽くなるな、と思って嬉しくなる。テストが終わった開放感も相まって。

 今日は緑ちゃんと亀ヶ塚公園に行く日だ。私はいつもの自転車通学じゃなくて、バスを使って通学した。帰りは亀橋図書館から家の近くまで行くバスに乗る予定。バスの本数は少ないけど、図書館ならいくらでも時間を潰せる自信がある。

「碧、帰ろっか」

 通学鞄を持って私の席に来た緑ちゃん。あくまで、いつもと同じ自然なトーンを保っているように思えた。裏返せば、私は緑ちゃんにいつもとは違う雰囲気を期待しているということ。

 またあの亀ヶ塚公園に行くという意味。緑ちゃんの、嫌じゃなかったら、という発言。「あの日」に関連する話題になるだろうと私は想像していた。そして、緑ちゃんのすっきりとした笑顔にあてられて、私の気持ちは揺れ動いていた。

「うん、ちょっと待ってね。……ふふ、また緑ちゃんとお散歩できるの、嬉しいなあ」

「お散歩?二人とも、どっか行くの?」

 左側から声がした。振り向くと、黄倉みなみさんがいた。

「……うん、二人とも、運動不足だから」

 緑ちゃんが言う。私は普段黄倉さんとはあまり話さないから、反応が少し遅れた。緑ちゃんは、一年生の時自身のことを人見知りだと言っていたけど、二年生になって、学級書記に選ばれてからは、誰とも分け隔てなく話していると思う。

「文化部の宿命なんだよ」

「いいなあ。楽しそう。あー、私も部活サボって行きたいなあ」

「みなみ。早く。掃除行くよ」

 赤星さんが教室後ろのドアの近くで言う。

「ま、テストも終わったし、久々に部活行っちゃりますか」

 じゃね、お散歩楽しんできてね。彼女は私の肩をポンと叩いて、赤星さんのほうへ向かっていく。派手な人だからちょっと怖いかもと思ったけど、凄く優しい人みたい。ああいう子がモテるんだろうなあ。 

 帰り支度が終わって、緑ちゃんと廊下を歩く。テストが終わった放課後の校舎は、どこか肩の荷が下りたように軽やかな雰囲気が広がっていた。今日は帰っても勉強しなくていいんだぞ、やったね、みたいな。

「碧、テストはどうだった?手応え的に」

「ばっちりだよ。私、できなかったところは忘れるようにしてるから、できた記憶しかない」

「ハッピーな記憶形態だなぁ」

「緑ちゃんは?」

「まあ、いつも通りかな。化学は、ちょっと難しかったかも」

「え。そうなの?」

 言ってから、そういえば最後の方の問題はよくわからなかったことを思い出す。

「たぶん、最後の問題はどっかの大学入試の過去問から出てる」

「ああ、私、いつもよりはできてたからハッピーな記憶しかなかった」

「あれは満点を簡単に出させないための問題だろうね。基本と標準問題が完璧なら、八割は取れると思うけど」

 碧の指導係として、満点取りたかったんだけどな、と彼女は悔しそうにこぼす。どうやら、すごくレベルの高い話をしているみたい。

「まあ、終わったことを気にしても仕方ないか」

「そうだよ。緑ちゃんもハッピーな記憶装置を持ちなよ」

「それに関しては、碧が先生になりそう」

 ふふ、と笑いながら緑ちゃんが言う。

「でも、そうだよね。私にできるのは、与えられた現状で、ベストを尽くすことだけ」

 ややあって、独り言のように、自分に言い聞かせるように、緑ちゃんは真剣な面持ちで言う。昇降口から見える外の景色は、太陽の光がキラキラと反射して眩しい。外から、私たちを誘うように、新しい風が吹く。


「やっぱりちょっと涼しくなったね」

 図書館へと向かう道を歩きながら、私は言う。頬を通り過ぎる風の持つ熱が、この前行った時よりも優しくなっているように思えた。

「そうだね」

「これでもう熱中症いじりはされなくなるな」

「でも涼しくなっても油断せずに、水分を取るのが大事なんだよ。……って碧、今自分からいじられにいった?」

「……う、結果的にそうなってしまった」

 ふふ、と緑ちゃんが笑う。テストが終わった清々しさと、緑ちゃんとお散歩ができる楽しさで、感覚が麻痺して、むしろいじられたくなっているような気もする。って、だめだめ。こんなのだから万年いじられキャラなのだ。

 今なら、何か。逆転できるネタは。

 一つ思いついた。

「でも涼しくなってる理由は、それだけじゃない気がするなぁ」

 自分でもわかるくらい下手くそな演技で、緑ちゃんのほうを見ながら言う。

「なにその口調」怪訝な表情をする緑ちゃんに構わず、私は続ける。

「手のひらが、前の散歩の時より涼しいなあ。前回は誰かさんが、ずっと離してくれなかったからなあ」

 私がしようとしていることの意図に気がついて、緑ちゃんは一瞬目を丸くする。

「不思議だなあ。今回は無いのかなあ。まあ、涼しくていいけど」

 緑ちゃんはちょっと頬を赤くして、ぷいっと前を見ながら言った。

だめ」

 私は努めて緑ちゃんをいじるような口調で喋ったから、前みたいに深刻な感じにならずに、自然な感じで手を繋ぎたいアピールをしつつ、会話を進めることができた。

 ていうか、何いまの。緑ちゃんの反応可愛い。

 自分の企みが上手くいったのと、緑ちゃんの反応が可愛くて私の頬がにへらにへらと緩みきっている時、ある種の隙が生まれていた。そこを見逃さない百戦錬磨の緑ちゃん。反撃の狼煙が上がる。

「それはそれとして、碧の今のいじり方、なんというか、可愛いね」

 思わぬところを指摘される。私が緑ちゃん可愛いと思っていた時に、反転魔法のような発言だ。

 緑ちゃんはこちらを見て、ニヤリと笑う。

「頑張って私をいじれそうなポイントを探してくれたんだね」

「え、あ、その、うう……」

「ふふ。いじるの慣れてない子のいじり方で、なんだか母性がくすぐられちゃった」

 あれ、これ何が起こってる?

 ありのまま今起こったことを話すと、私は緑ちゃんをいじろうとしたら、いじられ返されていた。

 何を言っているかわからないかもしれないけど、私も何をされているかわからなかった。

「すっごい遠回しの猫パンチが飛んできた気分。いじり初心者の碧ちゃんも可愛いなぁ」

「うう、参りました……」

「参りましたまではしなくていい。若人が権力に従順でどうするの」

 緑ちゃんがすごい楽しそうにイキイキとしている。

 もういいや。これはこれで。

 いじることに関しては、緑ちゃんの方が数段上を行っている。私の生兵法では怪我をするのも致し方ない。

 しばらく緑ちゃんはニコニコしながら歩いていたけど、信号待ちのタイミングで、ポツリと言った。

「まあ、正直、ちょっとは効いたけどね」

 そして私をピシッと指差す。

「その調子でチャレンジを続けることね」

「は、はい!」

 なんで私はいじる対象から直接フィードバックもらっているんだろう。

 状況の面白さに、二人して笑い合う。


 図書館を通過すると、お互いに会話が少なくなってきた。緑ちゃんは前みたいに顔が赤くはなっていないけど、どこか緊張しているみたい。私はそのことをいじるような無粋なことはしない。いじられキャラは、実は空気を読むのに長けてたりするのだ。

 そんな緑ちゃんを見ていると、つられて私も少し緊張してきた。前回は話題が不透明だった分、悪い方向に想像が膨らんでしまって、自縄自縛感があったけど、今回は話題がある程度想定できる分、どんな展開になるのかという仔細を想像して緊張している。

 まあ、考えてもしょうがないし、何かあったらその時考えよう。ケ・セラ・セラ。思わず鼻歌が出る。

 緑ちゃんが一瞬私を見て、クスリと笑う。

 私は気にせずに下手くそな鼻歌を続ける。

 そこに、緑ちゃんがさりげなくハモリを入れてくる。

 即興のハーモニーが出来上がる。

 私は少し頬が熱くなるのを感じながら、再度サビに突入する。

 緑ちゃんのハモリ、音量は抑えているけど、澄んだ綺麗な歌声で、意識を吸い込まれそうになる。いかんいかん。主旋律に集中する。

 サビまで鼻歌を完遂させて、私は歌うのをやめて余韻を味わう。

「……緑ちゃん、すごい歌上手くなかった?」

「ふふ、才女ですから」

「自分で言うんだ……」

「碧も、元気があってよかったよ」

「それ、褒めてる?」

「もちろん、思わずハモりたくなるくらい」

 嫌味のない感じで言われると、私はそれ以上なにも言えない。

 しばらく、お互い何も話さない。時折、思い出したかのようにどちらかが話題を出して、何回か往復があって、すぐに会話が終わる。花火大会の途中にあがる花火みたい。

 この花火は、どんなクライマックスを迎えるのだろう。

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