4-4. 懲戒
「総務長を守ってほしい?」
松田先輩含めた四英傑、そして
私たち新聞部は緊急会議を開いていた。招集された新聞部の全員が参加するミーティングだ。
一応、盗み聞きはしていたのだが。
私はリシュー先輩の報告を初めて聞いたようなリアクションをした。
リシュー先輩が口を開く。
「ああ。何でもな……」
と、先輩は事の顛末を話し始めた。
幽霊総務長。彼は学校に来なくなった大道具パートリーダーの手伝いをしていた……ように見えた。
しかしその実、彼はセミナーハウスに立て籠りながら受験勉強に勤しんでいたらしい。つまるところ、やはり当初多くの人が予想した通りの抜け駆けだったようで、彼は新聞部が「大道具のためにひっそり活動していた」という報道をしたことに乗っかって今もセミナーハウスの大会議室に立て籠りながら勉強に勤しんでいたらしい。
これの旨味は、「大道具の仕事を手伝っているんだから総務パートの仕事は大目に見てよね」が通用してしまうところだ。総務長は一応「総務パートのリーダー」であるために総務の仕事には一通り関与しておく必要がある。すなわち予算の管理、カラー冊子の作成、後夜祭たるカラーキャンプの開催、それから夏休み中に活動する各パートに冷たい麦茶を用意して配ること、各パートの手伝いから後輩の世話、そして次期総務長の育成まで全て行うものなのだが、山沢先輩はそれらの一切を放り投げてセミナーハウスに籠って大道具の作業を手伝う……フリをして勉強をしていた。くす玉の設計図云々は理工学部に行っている兄にやらせてインスタのグループDMで配ったらしい。要するに、総務長としての仕事を徹底的に手抜きで対応したのだ。そして我々新聞部の報道もあって、この行為に後ろ暗いことがなくなってしまった。
ただ、このセミナーハウスを占拠した、というのがよくなかった。
セミナーハウスの使用には一応、学校側の許可がいる。鍵の貸し出しや掃除、手入れなど、学校職員の許可がなければ行うことができないはずだった。しかし湘南高校と言えば「生徒の自主性を重んじるあまり教員の権限が極端に低い」ことで有名である。言ってしまえば、学校施設の鍵くらいならいつでも複製できるし、そのスペアキーを使って学校中の施設にアクセスすることはいくらでもできる。しかもそのこと自体、教師たちも見て見ぬフリをしている。湘南高校の生徒なら変なことに使うことはないだろう、そういう信頼の元にこれらの規制緩和は成り立っている。
だが夏休みを前にしたある日、学校側がこれらの規制を強化したのだ。
理由については明示されなかった。ある日、山沢先輩がいつものようにセミナーハウスに行くと学校の職員が待ち伏せしていて、山沢先輩を叱った上に彼が闇ルートから入手したセミナーハウスの鍵を没収。さらには「このことは懲戒の対象だから処分を待つように」と言われたのだ。
懲戒。つまりは謹慎か停学、ないしは退学。
いずれも受験生は避けたい。
しかし総務長の受難は続く。
次いで先日の佐藤先輩の一件だ。三年男子が一年女子に付きまとった。このことを学校側は重く見た。いかんせん、昨今のハラスメントに対する意識の高まりがある。佐藤先輩の行為はパワーハラスメント、セクシャルハラスメント、ひいてはストーカー行為など、様々な要件に引っかかる……そう判断されたのだ。
「被害女子生徒が明らかになっていたら。あるいは、被害女子生徒が何らかの声を上げたら。警察沙汰になってもおかしくなかった」
そうとまで言われたらしい。
「懲戒の対象になりかねん。俺が掛け合って何とかするが、しばらく大人しくしていろ」
佐藤先輩は担任の先生にそう言われたそうだ。
佐藤先輩と同様の理由で黒澤先輩もしょっぴかれそうになった。もっともこれは、被害者側に当たる金和先輩側が早い段階で「私たちの関係はクリーンです」と明言したので大事にはならなかった。が、やはり担任の先生から「最近はこういう理由で懲戒対象者が増えそうだから、大人しくしておいてくれ」と頼まれたそうだ。
最後に、七十八代マフィアこと松田先輩。
三年生の一軍男子集団、七十八代マフィアが池谷京乃という女子生徒を苛め抜いた挙句転校させたという「池谷京乃転校事件」。このことが教師たちの話題に上がったらしい。かつて湘南高校二年六組だった池谷京乃が三年進級時に転校した。この
そしてややこしいのがここからだ。
何と、池谷京乃は
――
金和先輩の一件で学んだこの法則が、果たして適用されてしまった、というわけだ。
それはさておき、生徒間の噂では「七十八代マフィアのトップ、松田優は池谷京乃をいじめた主犯者」という認識が広まっている。生徒内の裏の権力者たる七十八代マフィアのトップともなれば、その程度の噂くらい、なんてことはないのだが、相手が教師になると話は違う。
「懲戒の対象になり得る」
そういう判断がなされたらしい。
「七月から今月にかけて四件、総務長絡みで懲戒処分の対象案件が出ている。まだ処分は下されていないが、対象になった総務長は思うように学校生活が送れない」
リシュー先輩が困ったような顔をして俯いた。
「総務長に不運が続いた……とも取れるが、どちらかと言えば……」
「誰かが総務長を狙って情報戦を仕掛けている」
岩田先輩がリシュー先輩の言葉を引き取った。
「そう考えるのは妥当かしらね。それも大人たちを巻き込んだ
「ひゅー、リシューやるじゃん」
ダブル鈴木の一人、吉高先輩が面白そうに手を叩く。
「いや、これ笑い事じゃなくね?」
これもダブル鈴木の辰人先輩。
「めちゃくちゃでかい案件じゃん。しかもこれ記事にしにくい」
「まぁ、これだけならな」
リシュー先輩が天を仰いだ。私がきょとんとしていると、リシュー先輩は視線を私の方に流しながら説明をしてくれた。
「一応湘南新聞は学校新聞って括りだから基本は校内のポジティブな話題とか、部活動の成績とかを発表する場なんだよ。総務長が違法に施設を利用していました、とか一年生に付きまといました、とか、その結果として懲戒処分の対象になりそうです、なんて話、あんまりしていいもんじゃない……」
「でも、今までだって
「思い出せ、どれも一応ポジティブな書き方だ。幽霊総務長は『総務長の秘めたる想い』金和先輩は『史上初の女子総務長のエッセイ』、三騎士は『総務長に訊ねる九つの質問』だ。
うーん、なるほど。
「で? 松田先輩はどうして自分たちを守ってほしいなんて話をしてきたんだよ」
辰人先輩に訊かれ、リシュー先輩は困ったように鼻から息を吐いて応じた。
「『総務長が懲戒に追い込まれている事実を取り上げて、生徒の世論を高め学校に抗議する一大勢力としてまとめ上げてほしい』そう言われた」
生徒の世論で学校を動かす。
そんな手段が通用するのも湘南高校だからこそだ。
生徒の自主性を過剰なまでに重んじる校風。生徒の権利が保障されすぎるあまり教師の立場が極端に低い学校。
教師が掃除の手伝いをしようとすると生徒が叱り飛ばす、そんな逸話さえある学校だ。逆に言えば教師はほとんどやることがないので超絶ホワイトな職場だと捉えることは可能だが、この環境は明らかに一般的な高校では見られない。そんな学校で教師側、学校側が一方的に生徒を、それも総務長を懲戒処分に追い込んでいると報せがあったら、生徒たちは反抗して抗議活動に出るだろう。冗談じゃなく、この学校では生徒が力を持てば大人たちを動かせる、そんな社会なのである。
「世論を操作するなんてそんなこと……」
と、岩田先輩が口を開きかけて、つぐんだ。
「できなくはない」
リシュー先輩は岩田先輩の言葉の尻を拾い上げ、それからふうとため息をついた。
「書きっぷり次第ではな」
岩田先輩が静かにリシュー先輩を見つめる。彼はそれに応じるように口を開いた。
「相手は七十八代マフィアだ」
続く言葉は、容易に想像できた。
「断る選択肢は、なくはないが、取りにくかった」
私はリシュー先輩の顔を見る。きっと苦渋の決断の顔をしている。そう思ったのだがしかし、不思議なことに彼の顔はしっかりしていた。既に決断をしてしまったような、そんな顔だ。
「真緒」
私はドキリとした。リシュー先輩が、岩田先輩のことを下の名前で呼んだ。
「こうなった以上、俺は記事を書かなきゃならない。書いた記事をできる限り新聞に載せたい。そして、最悪の場合は俺がこの件の全責任を被るようにしたい。だからこの一件、俺に任せてくれないか。今だけ臨時で俺を編集長にしてほしい」
岩田先輩はしばし黙った。が、すぐにデスクの引き出しから鍵を取り出すと「編集長デスクの鍵よ。失くさないでね」と渡した。
リシュー先輩は静かに頷いた。岩田先輩から鍵を受け取る。
そこにいたのは普段のだらしない先輩じゃなかった。
決意を固めた、信念のある先輩の顔だった。
岩田先輩とリシュー先輩はお互い見つめ合った。それから、そっと岩田先輩が、リシュー先輩を送り出すかのように彼の頬に触れた。
……何でだろう。
堪らなく胸が苦しくなる。リシュー先輩と岩田先輩の近しい関係性を見ていたくない。そんな気持ちにさせられていた。苦しい。嫌だ。そう考えて、息を止める。
そんな私の気持ちを余所に、岩田先輩が頷く。
「どういう策があるか知らないけど、上手くやって、リシュー」
*
「どうにかするって」
新聞部室を出た後。
校舎の方に歩きながら、私は前にいるリシュー先輩の背中に問いかけた。
「どうにかするって、どうするんですか」
するとリシュー先輩は振り返って答えた。
「やれるだけやってみるつもりさぁ。なぁに、最悪痛み分けよ」
「痛み分けって……」
私は続ける。
「そんなことしたら、先輩だってただじゃ……」
と、言いかけた時だった。
リシュー先輩の顔が、一瞬だけ曇った。
それから。そう、それから。
「花生はここまでかもな」
そう、発せられた。
その言葉で、私の心が即座に凍りつく。
「コンビ解消だ」
胸の氷にヒビが入り、大きな音を立て始めた。崩壊まで、時間はかからなかった。
「よく頑張ってくれたな」
リシュー先輩が微笑みかけてくる。それから、私の肩にポンと手を置いた。
「頼りになる後輩だったぜ。ありがとうな」
「えっ、ちょっと」
ようやく、私は硬直した胸から声を出した。
「意味が分かりません。どうしてそんな急に……」
「でかいヤマだからだ」
リシュー先輩は、目も合わせてくれない。
「もしかしたら、お前も巻き込む」
「な、何をする気なんですか!」
私は声を荒げた。
「危ないことしないでください! 何ですか、巻き込むって……」
「本件には、裏で糸を引く奴がいる」
リシュー先輩がポツリとつぶやいた。
「でかい相手だ」
それから、我が親愛なるリシュー先輩は。
ポケットに両手を入れ、何だか鼻唄でも歌い出しそうな雰囲気で、私に背を向けた。
「で、でかい相手なら尚のこと一緒にやりましょうよ! 先輩一人じゃ、どうしたって……」
「駄目だ」
リシュー先輩がきっぱりと断る。
「花生を巻き込むわけにはいかねぇ」
私は押し黙る。何も言ってはいけないような気がした。
「大丈夫さ。最悪ってのは意外と起こらないもんなんだ」
そしてそのまま、歩き出す。
私は声をかけようとした。先輩を、あの阿呆を、止めようとした。何をする気か分からない、馬鹿馬鹿間抜け、阿保んだら、トラブルメーカーの聞かん坊を止めて厄介ごとから手を引かせようと、そうしようとした。
しかし声は出なかった。私は片手を……先輩を止めようと上げかけた片手を、そっと下ろした。
どうしよう。先輩がいなくなってしまうかもしれない。
そう思った。
これは冗談じゃなく本当に起こり得る。懲戒処分になりそうだった生徒を庇って活動するなんて、先輩も巻き込まれて懲戒処分になってもおかしくない。そんなことになったら、先輩は……先輩は、リシュー先輩は。
そして、この時になってようやく気づく。
私は、何て馬鹿なんだろう。
この想いに、今更気づくなんて。
失いそうになって……目の前でいなくなりそうになって初めて、自覚するなんて。
もう、考えられない。彼のいない学校なんて。この人のいない世界なんて。
そうして、私は悟る。
私、津嶋花生は成瀬利秋に恋をしていた。彼を愛していた。彼に夢中だった。
でも、もう、届かない。
彼は私の届かないところに行ってしまう。
それでも彼の背中は、ご機嫌だった。
いつの間にか、夕暮れ。
リシュー先輩の背中は、まるで夕日に向かって踊っていくかのようだった。
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