1-6. 体育祭特集第一号

 山沢先輩に突撃取材をしたその日。

 最終下校時刻ギリギリの下校。校門を出てすぐに、リシュー先輩が告げた。

「大道具パートのみんなに飛んできた指示っていうのは全部山沢先輩が送ってましたね」

 すると山沢先輩は目線を上に向けるとつぶやいた。

「俺があのグループ作ったからな」

 そういえば、あの巨乳の田中莉々先輩が「碓井くんは連絡網を作る気さえなくなっていたみたいで、山沢くんが大道具のグループDMを作った」とかって言っていた。

 ……となると。いや、もしかして。

 私は訊ねる。

「グループDMで指示を出してくるっていう碓井さんのアカウントも……」

「実は俺のサブ垢だ。そもそもあいつ、インスタのアカウント持ってない」

 あっさり、山沢先輩は認めた。

「碓井の奴、総務長選挙に落ちてからすっかり廃人みたいになっちまってさ。碌に大道具の仕事もできないんだ」

 山沢先輩は寂しそうな顔をした。

「あいつさ、明るい性格で、いつもみんなを引っ張っていって、誰よりも熱意があったのに、推薦で上がってきた俺なんかに総務長の座を取られたのがよっぽど悔しかったんだろうな。学校にもずっと来てなくて」

 じゃ、じゃあ、幽霊総務長、じゃなくて……。

 幽霊大道具、だったのか。

「先輩、碓井さんの罪を被ってたってわけですか」

 私がそう訊ねると山沢先輩は曖昧に微笑んだ。

「リーダーが欠けると、途端に組織は機能しなくなる」

 山沢先輩は闇を削る街灯を見上げながらつぶやいた。

「頭がねぇと組織が回らなくなるんだ」

 俺が回すしかなかった。そう、小さな声でつぶやく山沢先輩。

「まぁ、俺で回せる範囲でなら回すさ。考えようによっちゃ好都合だしな」

 リシュー先輩がつぶやく。

「大変っすね」

 ……この人はどこまでも他人事みたいに。

 実際、他人事ではあるのだが。

「まぁ、俺にもさ」

 山沢先輩が私たちの方を見た。

「あの言葉が胸にあるから」

 ――あの言葉。

 そういえば、リシュー先輩が園江先輩の依頼を受けた時もこの問いがなされた。「あの言葉は胸にあるか」。あの言葉。どんな言葉だろう。

 もしかしたら何か有名な、格言か何かだろうか。

 私には知る由もない。だが、どうも山沢先輩の心の中にもあるようだ。

 さて、そういうわけで。

 私たちの仕事の進むべき方向が、しっかりと見えてきたのだった。



〈密かに眠る体育祭への想い! ドアの中で幽霊総務長は何を思っていたか〉

 その週の、体育祭特集第一号で。

 リシュー先輩は山沢先輩と藍崎先輩の確執の種、「ドアの中の幽霊」問題を記事にした。「幽霊総務長」の文言は、きちんと山沢先輩に許可を取ってから使った。

「いいじゃん。俺にピッタリ」

 かっくんこと山沢先輩はくすくすと笑った。何だか満足げに顔を撫でる猫みたいな顔だ。

「幽霊総務長ね」

 リシュー先輩は山沢先輩の立て籠りを、「密かに企む体育祭の準備」と匂わせる程度の記事でまとめた。それから大道具パートの碓井さんとの話も交え、どうもその「企み」というのが大道具に関係するらしいことを書いた。実際のところ、機械仕掛けのくす玉というのは秘密兵器だし、それに関して裏で指示を出していたのならそれは間違いなく「秘密裏の」体育祭関連の活動だった。タブレットに円が製図されていたことからも、くす玉に関する何かをやっていたことは確かだし、大道具のパートリーダーに代わってパート員に指示を出していたのは事実、嘘は書いていなかった。碓井先輩のことも、決して彼の評価は落とすことなく(『体調不良』という書き方をしていた。まぁ、強い失望感による鬱状態は実際体調不良みたいなものだ)、彼の立場上の欠損を仕方のないものだという書き方をしていた。上手くやったものだ。

 リシュー先輩の筆のおかげもあって、藍崎先輩の怒りは収まったようだ。

「体育祭のためにこっそり活動してたってことだな? それも体調不良のパーリーを庇って」

 記事のことを話しに行くと藍崎先輩は納得いったようないかないような顔をして頷いた。が、やがて鼻から息をつき、身を落とす。

「まぁ、俺も熱くなっていたのかもな」

 後で謝らないとな。そうつぶやいた。そんな藍崎先輩を見て、リシュー先輩が私に目配せをしてくる。

 第一のミッション。

 最初の醜聞退治ゴシップバスター

「山沢活平は総務長にあるまじき人物である」

 火消し完了コンプリート



「ほぉ、上手く片付けたじゃん」

 昼休み。学校の食堂にて。

 前のように私はお弁当、リシュー先輩はパンを食べていた。園江先輩は少し早めにお昼を食べてしまったとかで、デザート代わりだとお菓子を持ってテーブルに座っていた。それも立派な、じゃがりこのLサイズ。お昼食べた後にまたLサイズのお菓子を食べるのか……と、私は先輩のお菓子を見て思った。

 園江先輩はリシュー先輩の書いた新聞記事を見て満足そうに頷いた。先輩はじゃがりこをぽりぽり食べていて、空いているもう片方の手で読んでいた新聞をリシュー先輩に返してきた。

「ありがとうな。助かったわ。やっぱりお前に頼んで正解だったよ」

 リシュー先輩はガリガリと頭を掻いた。

「つってもこれ、執筆カロリー高すぎて連発はどうにも苦しいっす……九人分もできるかどうか……」

「いや、今回この事件に関わってたのは一組パープル九組ネイビーだろ?」

 園江先輩は食べ終えたじゃがりこの箱をぐしゃっと潰す。

「一つの事件に複数人絡んでることもあるからさ、九人分とはいかねーよ、多分」

「多分、じゃあなぁ。それに一人の総務長に複数案件絡むことだってあるだろうし」

 リシュー先輩はまだ頭を掻いている。

「まぁ、引き受けた以上はやり切りますが……」

「その調子で頼むよ、リシューちゃん」

 園江先輩がバシバシとリシュー先輩の肩を叩く。

「信頼してるぜ」

「はい」

 リシュー先輩がそう、返した時だった。

「後輩をしっかり指導しているようだね」

 重く響く、低い声。

 私たちが振り返ると、そこには灰色のスーツをビシッと着こなした高年の男性がいた。男性……いや、先生だ。

 目の前の先生はそう、一目見ただけでは教師だと判別がつかないくらい立派な、重厚なオーラを放っていた。大きな会社の社長、と言われても納得できる。

柳生やぎゅう先生」

 園江先輩が姿勢を正す。リシュー先輩も、あのだらけきった顔をきゅっと引き締めている。

 私はと言えば、聞いたことのある名前にちょっと脳内で検索をかけていた。柳生、柳生、柳生……そして、ついに引っ掛かる。

 ――柳生校長? 

「校長先生?」

 私が素っ頓狂な声を上げると、しかし目の前にいる高年の先生は笑った。

「君は一年生だね。元気な声でよろしい」

 そう、私のことを温かい目で見つめてくださる。

「君は成瀬利秋くんだね。新聞部の」

 さらには、リシュー先輩のことまで。しかも名前と部活まで! 

「いつも新聞、拝読させてもらっているよ。今回のもよかったね。総務長にかかった疑惑を払拭してくれたようだ。いい記事だったよ」

「ありがとうございます!」

 恭しく一礼するリシュー先輩。

 それから、柳生校長は園江先輩をじっと見ると、こう告げてくる。

「園江くんはいい総務長だ。君たち、幸せ者だね」

 私とリシュー先輩は、ポカンと柳生校長を見上げた。

「立派な先輩に導いてもらえる。高校生活という多感な時期を、素晴らしい先達者に導いてもらえるのはとても幸せなことだ」

 だから、そう。

 柳生校長は幸せそうに目を細める。

「その時間を、大切に」

 そう言い残すと、先生は静かに去っていった。そして今頃気付く。

 先生の手に、トレイとお皿。

 あの人、ここでご飯を食べていたのか。

「柳生校長は月に一回くらいのペースでこの食堂で昼飯を食う」

 私の目線に気づいたのか、園江先輩がつぶやいた。

「生徒や学校関係者と近い距離でいたい。そう願ってのことらしい」

「いい校長っすね」

 リシュー先輩がぼんやりと口を開いた。

「しっかしこうしてエンカウントすると何だか不思議な気分になるな……高揚するっつーか」

「だよな」園江先輩も頷く。

「すげー人なんだ」

「……どう、すごいんですか」

 純粋に気になったことを、私は園江先輩に訊ねた。私はこの学校について知っているようで知っていない。前にも話したが、新聞部の仮入部期間で過去十年分の新聞を読んだので、よりミクロなことは知ってはいるのだが……中学生の頃、湘南高校の学校説明会に風邪を引いて行けなかったので、基礎的な情報そのもの、つまりマクロな情報は大きく欠落しているのだ。それこそ、頻繁に話題になる「あの言葉」も、それから校長の実績も、学校の文化も、知らないことの方が多い。まぁ、部活の実績や進学実績程度の、数字に出る情報は新聞部の新聞で知ることができるので知識としては持っているのだが。

 そんな私の問いに、園江先輩は静かに応じてくれた。

「柳生校長こと柳生やぎゅう匡則ただのりって言やぁ、伝説の総務長だ」

「伝説の総務長?」

 私は再び素っ頓狂な声を上げた。

「この高校の出身者なんですか?」

「ああ。元々厚木あつぎ高校の校長だか何だかだったのが、俺が一年の頃に湘南に帰ってきたんだ。神奈川県の教育委員会じゃ割と有名な人だぜ? 授業や課外学習で使うための学校支給のタブレットを公立高校生徒全員に配布する案件を成立させたり、県営の自習室を市立図書館内に作らせたり、数々の改革を行ってきた人だからな。そしてその活動の根っこにあるのが……」

「『湘南高校での思い出だ』って公言してますよね」

 リシュー先輩が続く。

「『湘南高校で先輩が後輩を導く姿を見て、自分も人の成長の助けとなるような仕事をしたいと思った』……でしたっけ」

「NHKの取材が来た時そんなこと言ってたな」

 と、頷く園江先輩。

「柳生匡則。伝説の総務長。当時学生運動で荒れに荒れていた生徒たちと学校とをまとめ上げて、無事にその年の体育祭を成功させた英雄の中の英雄」

 私は食器返却口の人だかりの方に、あの先生の後姿を探しながらつぶやく。

「立派な人なんですね……」

「俺尊敬しててさ」

 園江先輩が、ぽつりと。

「せっかく湘南に来たんだ。目一杯楽しんで、目一杯勉強して、そんで柳生校長みたいな大人になりたい」

 そう、つぶやきながらも瞳に熱い炎を灯す園江先輩の顔を見て、すごいなぁ、と、私はそう思った。

 私と二つしか歳が違わないのに、もう人生の目標がある。憧れている人がいる。それは立派なことだった。羨ましいことだった。素敵なことだった。

 だから、私も。

 いつか憧れの人に、会えるのかな。

 そんなことを思っているとふと視界の端にリシュー先輩が入ってきた。

 もう! あなたではないでしょうに! 


『ドアの中の幽霊』 了

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