1-5. くす玉

「試作品? 知らねぇなぁ。どんな仮装にするかの話が決まった去年の時点でもそんな話……」

「じゃあその、機械仕掛けのくす玉を制作するためにプログラミングを学習している大道具パート員って誰だ」

「田中先輩だ……! 田中たなか莉々りり先輩……」

 と、西田先輩が鼻の穴を膨らませた途端、リシュー先輩が口を開いた。

「おいお前、後輩女子いる……」

 しかしリシュー先輩の忠告が終わる前に、西田先輩が声を発した。

「あのおっぱい……女子高生とは思えぬあのたわわに実った……」

 はい最低。万死に値する。だいたい男って何であんな脂肪の塊が好きなの。スーパーでも牛脂売ってるけどあれじゃ駄目なの。

 なんて、私が冷たい目線を西田先輩に投げているとリシュー先輩がやれやれという顔をした。

「その田中先輩ってのがプログラミング勉強してるんだな?」

「ああ。おそらく乳採用だ」

 そんな採用あってたまるか。

「ありがとうよ」

 リシュー先輩が西田先輩に礼を言う。

「いい話が聴けた」

「お前、この子連れて田中先輩のところ行く気か?」

 西田先輩が私のことを指差す。こいつ、さっきからずっと無礼千万、大変不愉快である。

「気をつけろよー。オンナの前でよその女の乳見てんじゃねぇぞ」

「そんなにすげぇ胸してんのか」

「もう、先輩まで!」

 私が声を上げるとリシュー先輩がニヤッと笑った。

「妬いてんのか?」

 は、はぁ? 

 そんなわけないでしょ。だいたい誰があなたみたいないい加減でズボラで適当でめちゃくちゃなサボり魔の幽霊部員、名ばかり副部長の目なんて気にするもんですか。どうぞおっぱいでも谷間でも見たいだけ見てください! まったく男って何でこんな……。

 するとリシュー先輩は何だか呆れたような、私のことを揶揄っているような顔をして頭上を見上げた。

「しっかりしろよ」

 もう! その言い方!

 まるで私が動揺しているみたいじゃないですか……! 



 遠回しに、外堀から埋めていこうなんて話をしていたリシュー先輩は、しかしあっさりと三年一組パープルの教室へと足を運んだ。理由の一つに、狙うべき相手がしっかり分かっていた、というのが挙げられるだろう。田中先輩から話を聞ければいいと思っているようだ。

 実際、三年一組パープルの教室に着いた先輩はいきなりドアの近くにいた女子生徒にこう声をかけた。

「すみません、大道具の田中先輩にお会いしたいんすが……」

 と、ドアの近くにいた小柄な女子生徒はちらりと私たちを……私たちの腕にある腕章を一瞥すると訊いてきた。

「新聞部?」

「ええ」

 リシュー先輩が頷く。

「取材で」

「りりぃ!」

 小柄な先輩が声を飛ばした。

「お客さぁん!」

「はぁい」

 と、のんびりした声が教室の中央からした。

 少しして。

 お……え……? こ、これはその……何というか……。

 歩くだけで、プリンみたいに……。

 巨、巨乳というやつだろうか? 

 人体のパーツの内、明らかに胸部だけ比率がおかしい女子生徒がゆっくりこちらにやってきた。とろんとしたタヌキ顔。変身しますと言われても納得しそう。

「新聞部だってぇ。取材らしい」

「はぁ、取材」

 田中先輩はじっとリシュー先輩を見つめる。それからちらりと目線を流して、私のことも。

「特に何も聞いてないけど……」

「アポなしですんません」

 リシュー先輩が頭を下げる。

「ただちょっと証言取りたくて。いや、そこの先輩にも一言いただけると嬉しいんすけど」

 と、ドアの近くにいた小柄な先輩も示すリシュー先輩。それから訊ねる。

「碓井先輩と山沢先輩って、何か共通項ありません?」

 二人の女子生徒は考えるまでもなく答える。

「総務長選挙で戦った」

「それ以外」

 リシュー先輩の短い追及に、まず小柄な先輩が口を開いた。

「同じ中学だったって聞いたことあるような……」

 すると田中先輩が口を開いた。

「うん、そうだね。私一応、二人と同じ中学出身なんだけど」

「どこっすか」

光丘ひかりがおか中学校」

「……大和やまと市の?」

 リシュー先輩がちらりと瞼の裏を見てからつぶやいた。すごい、この人県内の中学校把握してるのか? 

「そう。よく知ってるね」

「あの二人は仲良かったんですか?」

 リシュー先輩が訊ねると田中さんが答えた。

「全然。ほぼ接点なかったんじゃないかな」

 リシュー先輩はメモを取る。

「碓井さんといえば、大変らしいっすね」

 メモを取り終えたリシュー先輩がそうつぶやくと、しかし田中先輩は首を傾げた。

「あー、ね。最近学校来てない……」

「いつからだっけ? ゴールデンウィーク?」小柄な先輩がつぶやく。

「だねだね。四月末?」と、田中先輩が一言。

「大道具の仕事どうしてるんすか」

 リシュー先輩が訊ねると小柄な先輩が応じた。

「あたしも大道具なんだけどさ、インスタのDMで指示が来るのよ」

「指示が」

 リシュー先輩がメモを取る。

「うん。碓井くん、総務長選挙落ちてからやる気失くしたのか一時期しょぼくれてて。大道具パートの連絡網作る気さえなかったみたいで、そしたら総務長のかっくん……山沢くんがインスタでグループDM作ってくれて」

 田中先輩の説明に小柄な先輩が続く。

「言うてこの時期ってみんなで何かすることって少なくて。ほら、大道具って鉄パイプで足場汲むじゃん? あの鉄パイプ、業者に発注してるんだけど、本数の相談とか予算の相談とか、そういうのする人とパーリーさえいれば後は割とどうとでもなるっていうか」

 さらに田中先輩が続く。

「だねー。私も去年の冬にインスタのDMでくす玉の設計図渡されて、『プログラミングが必要だから』とだけ言われて色々試作してる感じ」

「ふうむ」

 リシュー先輩が考え込む。すると小柄な先輩がつぶやいた。

「やりとりは、こんな感じー」

 と、先輩はスマホを開いてインスタの画面を見せてきた。「これ見ていいんですか」リシュー先輩が訊ねると「まぁ、見られて困るもんないし?」と田中先輩が微笑んだ。

〈うすい:総務会計係の石島いしじまが予算報告ほしいって言ってるからよろしく〉

 何だかとても、簡素というか、シンプルな、捉えようによってはつっけんどんな? そんな指示だった。まぁ、これで最低限の用事は済んでいる。

 と、画面を見せてくれた小柄な先輩はスマホを閉じるとこうつぶやいた。

「まー、碓井くん休んでちょっとラッキーって感じだよねー。あの人体育祭熱狂派だから」

 田中先輩も困り顔で頷く。

「あれは過激だったよね」

「活動時間延長されたら勉強する時間なくなっちゃう」

 なるほど。

 どうも三年一組パープルは体育祭に対し割とドライな立場でいるらしい。体育祭過激派という碓井先輩も、これじゃ肩身が狭かっただろう。

「まぁさー、体育祭楽しむのはいいことなんだけど」

 呆れ顔の女子生徒二人。

「何事も程度っていうのがね」

「受験勉強捨てたくないし」

「そもそもあたし、暑苦しいの嫌いだし」

「なるほど」

 リシュー先輩は微笑んだ。

「お話聞けて良かったです」



 その日の夕方。

 午後七時。最終下校時刻三十分前。

 私とリシュー先輩は一路セミナーハウスの大会議室に向かっていた。

 田中先輩たちに取材が終わったのが午後五時過ぎのこと。たっぷり二時間余裕があった。リシュー先輩が敢えて最終下校時刻直前を狙った理由が一つ。

「帰り際狙い打ちだ」

 どうもそういうことらしい。

「閉じ籠るって言ったって下校はする。泊まり込みじゃねぇんだ。そこ狙うっきゃねぇ」

 そういうわけで、私とリシュー先輩は空いた二時間を部室で過ごした。リシュー先輩にしては珍しく、部室のパソコンで仕事を始めた。

「男の人って……」

 多分、部室で二人きりになって三十分もしないうち。

 私は思わず、訊ねてしまった。何故なら今夜のご飯は何だろうなと考えて、冷蔵庫に立派なお肉があったことを思い出して、それが牛肉だったことを思い出して、牛脂が頭に浮かんで……。

「男の人って何でおっぱい好きなんですか」

 するとリシュー先輩が笑った。

「お前まだそんな話気にしてたのか」

「気になります」

 なんて口にするのは、少し恥ずかしかったけれど。

 でもこういう機会でもなければ、男の子のこと、知る機会とかないだろうし。

「自分にないものは欲しくなるんだよ」

 リシュー先輩がカタカタとキーボードを叩きながら、答える。ちらりと我が身を振り返る私。やはり何だか納得がいかない。

「じゃあ、そもそも胸がない人っていうのは男子からしたら対象外ですか」

「お前さぁ」

 リシュー先輩がいきなり、パソコンの向こうから真剣なまなざしを投げてくる。

「たった一つの要因だけでその人に恋するのか?」

 私はムッとして先輩を見つめる。

「金持ちだから、とか、背が高いから、とか。それだけで好きになるか? 金持ちも高身長も世の中にはゴマンといるぞ。みんな好きになるのか?」

 そうは、ならない。金持ちでも嫌な性格していたら嫌だし、高身長でもそれは然りだ。

 するとリシュー先輩はパソコンに目を戻しながらつぶやいた。

「恋する時ってのはな、マルッと好きになるんだよ」

 一瞬だけ。

 呼吸が止まった気がした。

「つぶらな瞳も、じゃれた声も、小さな手も、ちょっとあざといところも全部な。一つだけじゃ決まらねぇし、一つくらい欠点があってもそれがかわいいんだ」

 つぶらな瞳、じゃれた声、小さな手、ちょっとあざとい。

 それらの特徴を並べられて私は笑う。

「岩田先輩もそうだったんですか?」

 リシュー先輩が呻く。

「お前なぁ……」

 気のせいだろうか。

 キーボードの打鍵音が、少し強くなった気がした。



 さて、ところ変わってセミナーハウス。

 大会議室の前、リシュー先輩がドアをノックした。

「せんぱぁい」

 やはり、間の抜けた声。いつものリシュー先輩だ。

「山沢せんぱぁい」

 どんどんどん、と遠慮のないノック。私は訊ねた。

「そんな簡単に出てきてくれるんですか?」

 リシュー先輩はドアを叩きながら応じた。

「閉じ籠ってるって話だけで誰かが様子を見に行ったって話は聞いてない。多分三年生は誰もこのドアを叩いていない。みんな勉強に体育祭に、それにこの時期は部活動の引退試合なんかもあるよな。自分のことで手いっぱいだ。そもそも湘南生はお互いへの関心が薄い」

「だったら最初から突撃すればよかったじゃないですか」

「何の下準備もなしにか? 一応教えておくが、取材ってのはコミュニケーションだ。相手のことを知っておかないと質問の一つも出てこないぞ」

 そういうものなんだ……なんて納得してから、リシュー先輩にしてはいやに真面目な話だと一人驚嘆する。この人ちゃんとすることもできるんだ。

「本件においては、多分誰も山沢先輩と向き合っていない」

 リシュー先輩は静かにつぶやいた。

「交流を絶ったのは山沢先輩のように見えるが……三年一組パープルのよそよそしさ、見ただろ? 誰もがみんな無関心なんだよ、きっと」

 すると、そんな先輩の言を裏付けるように。

 こちらのノックに応じて、ドアの向こうから声がした。

「はい」

 静かな、落ち着いた声だった。と、ドアが開けられる。

 その向こうにいたのは。

 猫みたいに目が吊り上がった……そしてとても目力の強い、リシュー先輩より少しだけ背が高い、男子生徒だった。

「夜明けを駆ける流れ星」三年一組パープル総務長、山沢活平その人だった。

 彼の向こう、会議室用の長机にはいくつかのノートと、学校支給のタブレット、そしてリュックが無造作に置かれていた。ノートはかなり使い込まれていて、タブレットには円の書かれた座標軸、それからリュックは半開きだった。タブレットを見て私は思った。図だ。製図してる。もしかして……もしかして? リシュー先輩はそれらを一瞥するとつぶやいた。

「先輩」

 リシュー先輩の声が山沢先輩を捉える。

「碓井先輩に代わって大道具のパーリーの役目果たしてましたね?」

 山沢先輩はちょっと驚いたような顔をした。

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