2.金和紗織は応援します

2-1. 乙女の嗜み

 水面みなもの睡蓮もかくやと言わんばかりの瑞々しい女子高生である私たちの、一番熱中する話と言えば恋愛純愛偏愛談義、いわゆる恋バナである。隣の席の男子が最近気になる、中学の頃からの彼氏と今日で何カ月目、部活の先輩の腹筋が堪らん、二人以上集まればずっとそんな話ばかりである。

「剣道部って上半身裸で素振りする練習あるんでしょ?」

 私の仲良しグループの一人、梁島はりしま瑠璃るりちゃんが剣道部でマネージャーをしている市木いちぎ美早子みさこちゃんに訊ねる。

「あるけど……臭いよ?」

「でもそれがいいって人もいるじゃん?」

「どこが。私は宮崎みやざき先輩がかっこいいなぁ、って思ったから剣道部に入っただけ。それ以外の男子の汗の臭いとか公害でしかない」

 宮崎先輩と言えば、四月の新入生歓迎会が開かれた多目的ホールの舞台で、部活紹介の一幕にて目を見張るような殺陣を演じた剣道部の美男子である。祖父が地元横浜で剣道場を経営しているらしい。

「あは。公害とかウケるー。まぁ、宮崎先輩確かにイケメンだけどサッカー部うち佐川さがわ先輩には勝てないよねー」

 佐川先輩。彼は湘南高校という進学校にいながら自身の地元のサッカーチーム、川崎フロンターレの育成チームに入っているとかで、将来が有望視されている男子である。

「フェン部もイケメン多いよね。同じ剣を扱うスポーツなのにどこで違ってしまったんだ」

 美早子ちゃんがため息をつく。

「剣道部は宮崎先輩が最強だけど他がやばい。人間というより獣」

「その点フェンシングって何だか騎士道、って感じでかっこいいよねー。何かあっても剣で守ってくれそう」瑠璃ちゃんが頬杖を突く。

「剣道部だって侍、って感じでいいんだけどねー。宮崎先輩だけ」美早子ちゃんも瑠璃ちゃんに倣って頬杖を突いた。

「花生の周りはかっこいい先輩とかいないの?」

 瑠璃ちゃんに訊かれ私は答える。

「うーん、梶山かじやま先輩とか?」

「えー、知らなーい。どんな人?」

「フェンシング部内最強。でもお茶目なの。二年五組ブラウンの仮装パート」

「はーやば。部活で実績あって仮装かそパとか絶対イケメンじゃん」

「花生ちゃんはその人が気になってるんだ」

 美早子ちゃんにそう訊かれ、私は首を傾げる。

 まぁ、梶山先輩は確かにイケメンだけど、イケメンすぎてあれというか、何だか雲の上の人みたいで、気になるというよりは遠くに見える大仏様という気配の、ありがたくもあり神々しくもある……。

「あ、これは他に気になる人がいるな?」

 美早子ちゃんが私の顔を覗き込む。

「誰?」

 すると瑠璃ちゃんも私の顔を覗き込んでくる。

「フェン部?」

 フェン部……まぁ、確かにかっこいい人多いけど。

「じゃあ新聞部だ」

 美早子ちゃんがそう、笑う。

「花生、新聞部兼部してたもんね」

「そうだけど……」

 と、言いかけて頭に浮かぶ。

 手抜きサボり魔パッパラパー、自堕落怠惰だらけきりの馬鹿馬鹿間抜けの大間抜け、成瀬利秋ことリシュー……。

「違うし!」

 私は思わず、声を上げる。瑠璃ちゃんと美早子ちゃんが驚いた顔をする。

「どした?」

 瑠璃ちゃんに訊かれ私は応じる。

「私はまだ恋とか、分からん」

 本音であった。

「え? あれ……」

 と、私のトンデモな反応は放置して、唐突に美早子ちゃんが廊下の方を見て声を上げた。私も瑠璃ちゃんもつられてそちらの方を見る。

金和かなわ先輩だぁ!」

 美早子ちゃんの見つめる先。一年三組ホワイトの教室の前の、音楽室へと繋がる廊下。

 ふわふわのボブカットを揺らしながら歩く長身の女子、金和かなわ紗織さおり先輩がいた。彼女の周りだけ何だか夏の日差しのように明るい。事実隣にいる友人と思しき女子生徒と談笑しながら歩くその姿はまるで周囲の女の子という花々を照らす眩い太陽のようでもあった。私たちと同じ教室にいた数名の男子も、ボケっとだらしない顔をして金和先輩の方を見る。

 中学時代は陸上部のエースだったらしい。身長百七十はありそうなスラッとした長身に細いが程よく肉の付いた脚。たらんとしたかまぼこ目は笑うときゅっと細くなるのだが、直前まで美しかった表情が一転かわいらしくなる変化は水に浸けると色が変化する和紙のようで同性の私の心さえつかむ。

 そう、彼女こそは湘南高校全女子の憧れ。彼女がしたファッションは翌日には周りの女子が真似し始め、彼女がしたメイクはまだ化粧に目覚めていない女子にコンパクトを握らせる。ファッションリーダー、流行の発信地、そして……。

 湘南高校始まって以来初の、総務長。

 それまでの「総務長と言えばクラスの中心にいる男子がなるものだ」という常識を一気にひっくり返した、九人の英傑の中の紅一点、湘南女子こと湘女しょうじょの伝説、それが金和紗織なのである。



 さて、今回私とリシュー先輩が取り組む醜聞ゴシップは、そんな英雄豪傑の中に咲く一輪の花、「あまけるいかずち」こと三年四組ブラックの総務長、金和紗織先輩に関するものである。

 これについては細かい説明を省こう。まず簡潔に噂そのものを提示する。以下のようなものだ。

四組ブラック総務長、金和紗織は三年五組ブラウン総務、澤田さわだ香帆かほの彼氏こと、三年四組ブラック競技パートパーリーの前野まえの昌義まさよしを奪ったらしい」

 ここに来て、醜聞スキャンダルらしい醜聞スキャンダルが出てきたといったところか。

 よりシンプルな表現に直すと、「金和紗織は澤田香帆の彼氏、前野昌義を奪ったらしい」ということになる。

 澤田先輩と言えば、そう、園江先輩が我らがリシュー先輩を釣る際に名前を借りた、あの「会計の失点をゼロにするから総務パートにしてくれ」と宣言した女傑である。リシュー先輩は彼女に頭が上がらないらしい。

 リシュー先輩と澤田先輩は繋がる。澤田先輩と前野先輩は繋がる、と、いうことはリシュー先輩と前野先輩は? 

 そういうわけでリシュー先輩に前野先輩について訊ねると、彼はこう返した。

「恩義がある。文芸部で色々助けてもらってさ。応援団長もやっているから、新聞部の方で取材をさせてもらったこともある」

 多数の部活を掛け持ちしているリシュー先輩。前野先輩とは文芸部と新聞部の取材において接点を持っているようだ。

「お世話になっている先輩たちにまつわる醜聞ゴシップ……」

 新聞部室。私とリシュー先輩と園江先輩がいる。わざわざ園江先輩にここまで足を運んでもらったのには、理由がある。

「俺、この件はさすがに……」

 ほとほと困り果てたリシュー先輩は、すなわち園江先輩にそういうことを伝えたかったようだ。六月。梅雨時の新聞部室は蒸し暑い。

「澤田先輩と前野先輩に関する話を第三者目線で書くのは難しいっす……」

「それはつまり?」

 園江先輩が眼光鋭く訊き返す。

 リシュー先輩はやはり困り果てた顔で返す。

「新聞ってのは本来中立的な立場で書くもんなんす。それがこう、あまりにも身内に寄り過ぎた話となっちゃ、どうしても客観的には……」

 すると園江先輩はひとつ、鼻からため息をついた。

 それからこう告げる。

「リシュー、お前いくつ兼部してる」

 リシュー先輩は答えた。

「七つです」

「よし、その七つの部活にそれぞれ、五人程度の先輩が存在するとする」

 私はと言えば、先輩男子同士のヒリつくやりとりを横からただぼんやりと見ているだけだった。特段できることはないだろうし、あったとしたらそれは……二人がヒートアップした際に、仲裁に入ることくらいだろうと、そう思っていたからである。

「七×五で三十五人、先輩がいるな」

「は、はい……」

 園江先輩が何を言わんとしているのか、リシュー先輩は分かりかねているようだ。

「最低でも三十五人、もしかしたらそれ以上。ほぼ一クラス分だな」

「ええ」

「同期や後輩も同規模いるとしたら、ほぼ三クラス分くらい、お前は中立的に記事を書けないということになるな」

「……ええ」

 リシュー先輩も私も、朧気ながらに言いたいことが見えてきた。

「一部の集団に対して報道を避ける。これは果たして中立と言えるのか?」

 リシュー先輩が「ギクリ」という顔をした。なるほど園江先輩もいい詰め方をする。

「ほ、ほら、それは、他の新聞部員がカバーしてくれますから……」

「なら、新聞部内に偏りはないんだな。ある部員が書けない記事は他の部員が確実に記事にできるんだな」

 リシュー先輩は言葉に詰まる。

 そんな調査したこともないし、あくまで部員の肌感覚の話でしかない。先輩に対して何か根拠を示しながら話すには、いささか力が弱すぎる論だと言わざるを得ない。

「他の部員に頼るより、自分が努力して中立になれた方がいいんじゃないか?」

 ぐぬぬ……。リシュー先輩が拳を握る。

 しかし彼は彼で、抵抗を試みる。

「そんな理想論、とても現実にできるとは……」

 と、言いかけたリシュー先輩に。

 園江先輩がハッキリと、問いかける。

「あの言葉は胸にあるか?」

 そして、そう。あのぐうたらノーテンキのリシュー先輩は、苦しそうに目を閉じると、こう告げたのだった。

「やります」

 園江先輩は満足そうに頷いた。

「総務長を失墜せんとする醜聞ゴシップ、今回もしっかり退治してくれ」

 かくして二つ目の任務ミッションと、相成った。



「さっさと済ませるぞ」

 新聞部の腕章をしたリシュー先輩は、園江先輩が立ち去るやそう、私に声を飛ばしてきた。

「さっさと済ませるって言ったって」

 私はリシュー先輩に応じながらやはり腕章をつける。

「何から着手するんですか」

 するとリシュー先輩は私の方を見た。

「澤田先輩から崩す」

「崩す?」

 私の問いかけにリシュー先輩は「言葉の綾だ」とイライラ返してから新聞部室の窓枠に足をかけた。

「仮に本件に被害者がいるとしたらそれは澤田さんだ。被害届が……なんて言い方はおかしいか。まぁとにかく、被害の実情があるか、それを調査する」

 なるほど。

 そうして窓の外に出たリシュー先輩の背中を見て、私は叫びそうになった。

 ――また私より先に出てる! 



 そういうわけで三年五組ブラウン

 結局ここに来るなら園江先輩と一緒に行けばよかったんじゃ……と思ったのだが、どういうわけか園江先輩は教室にはおらず、放課後の静かな教室の中には数名の女子生徒がいて、彼女たちはどういうわけか頭を寄せ合って会合を開いていた。手元にはペットボトルが三本。それぞれ好きな飲み物を飲みながらの会議のようだ。

「おっ、リシューじゃん!」

 私たちが教室の入り口に姿を見せるなりそう声を飛ばしてきた令嬢こそ、澤田香帆先輩その人だった。手元にあるのは、DOUTORのカフェオレ。

「どしたのー。隣にかわいい女の子連れて」

「はじめまして。津嶋花生と申します」

「あら礼儀正しい。リシュー、いい子捕まえたね」

「捕まえたって……ただの後輩っすよ」

「ふうん」

 リシュー先輩はぼりぼりと後頭部を掻いてから続けた。

「ちょうどよかった。澤田先輩に用があってですね……」

「何と! いいねリシュー。じゃあ私の頼みごと聞いて」

 な、何が「じゃあ」なのか全く分からなかったのだが、しかしその後リシュー先輩はすぐに「うす」と頷いたので恐らくそういう力関係なのだろう。先輩後輩の関係と言えど、このおちゃらけバカチン聞かん坊なリシュー先輩をここまで手なずけているとは恐れ入る。

「あのねー。今ちょうどカラー冊子のことで会議してて……」

 カラー冊子。それはそのカラーの三年生が印刷する、クラス冊子兼後輩たちへの自己紹介目録である。冊子の中には各パート毎にまとめられたクラスメンバーの自己紹介と、「お金持ちになりそうなのは?」「いい旦那さんになりそうなのは?」といった寄せ書きアンケートなんかもある、後輩たちにも見える形の青春の思い出と言える代物だ。

「私はさぁ、いい紙使うのは最小限にして、予算をとにかく抑えたいのね?」

 澤田先輩がリシュー先輩に言って聞かせる。

「でもこの明吉あけよしがぁ、写真も印刷できるいい紙使いたいって言うのー」

「だってせっかくの思い出じゃん! 一面ドカーンといい写真あったら楽しいじゃん!」

 明吉先輩という方は、何だか夏目漱石とか太宰治とかを両手で抱えて図書館でもうろうろしていそうな、文学少女然とした女子生徒だった。手元にあるのは午後の紅茶ミルクティー。どうもこの人と澤田先輩がぶつかっているらしい。

「私だって一枚も使うなとは言ってないの。ただね、全二百五十ページ中の二十五ページをそんな高価な紙にするのはいかがなものかと言ってるの」

「だって必要なんだもん!」

「まぁまぁ……」

 そう、揉め合う二人の間に入った小柄で短髪な女子の先輩を、私は少しだけ知っていた。能上のがみ先子さきこ先輩。女子バレー部のマネージャーさんだ。私たちフェンシング部が練習する第二体育館、その近くにある水道に、ウォータージャグの水を汲みによくやってくる先輩である。手元には爽健美茶。何だかこの人らしいチョイスだ。

 明吉さんと澤田さんは変わらずバチバチやり合っている。

「そんなさぁ、一生に一回しかないことなのにケチケチして思い出に影が落ちても……」

「だーかーら。使うのはいい。もうこの際だから最小限じゃなくてもいいや。でも使うページ数は再考して」

「いくらなら出してくれるの?」

「そんなこと言ったら予算いっぱいいっぱい使ってくるでしょあんた!」

「まぁまぁ二人とも……」

 あーだこーだと議論する三年女子三人を見て、リシュー先輩が鼻根をつまみながらつぶやく。

「こりゃ話聞くどころじゃないな」

「ですね」

 そう、私が苦笑いすると、何となくこちらの空気を察してくれたのか、能上先輩がニコッと、やはり困ったように笑った。

 仕方ないので私たちは、先輩たちの議論が終わるまで待つことにした。

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