1-3. 過激派
「まぁ、立候補かどうか訊くんだったら手っ取り早いのは……」
三年生のいる四階から下へと降りる際中。
リシュー先輩が山々を回るお遍路さんのようにぶつぶつとつぶやいた。
「山沢先輩当人に訊くのが情報としての純度は一番高いかもな。でも素直に訊けるかなー。閉じ籠ってるって言うしなかなか部屋に入れてもらえない気も……いや、やろうと思えば待ち伏せとか手はないわけじゃねぇが……」
「
「コネがねぇ。アポイントメントもなしにいきなり飛び込んできて『総務長についてお聞かせ願えませんか』なんて通るか?」
「うーん、確かにちょっと度胸が要りますねぇ」
できなくはないけれど。それに無作為に捕まえた人間に対して意見をもらっても、それは出典を明らかにできない情報だ。つまり純度が低い情報になる。新聞部の活動として残すのに、そんなものは使えない。使おうと思ったら数を集めてアンケート形式にするのがいいだろうけど……その手間をかけるくらいなら当人か当人に近しい人間に接触する努力をした方がいいだろう。
「仕方ねぇ」
すっと、リシュー先輩がスマホを取り出す。その動作から、何となく先輩が次に何をしようとしているのか悟る私。
「奥の手使うか」
先輩がそうつぶやいたので私は返す。
「使われるんでしょうに」
「いつもはな」
そう強気に返したリシュー先輩は、しかし困り顔だ。
そんな「
〈もしもしリシュー?〉
リシュー先輩はスマホをスピーカーモードにして電話していた。話の内容が私にも分かる。
「岩田部長」
そう、リシュー先輩が先程「使う」と宣った奥の手とは新聞部部長にして演劇部部長、
〈んもう、私が恋しくて電話かけてきちゃったの?〉
リシュー先輩が軽く舌打ちをする。
「んなわけあるか」
〈でもあなたから電話なんて私に告白してくれて以来じゃない〉
リシュー先輩が「くそっ」と呻く。私はといえば、知っている。
リシュー先輩と岩田先輩は同じ中学の出身で、当時恋人同士だったということを。
リシュー先輩の方から岩田先輩に告白して付き合うようになったということを。
そして高校進学に当たり、岩田先輩の方からリシュー先輩を振ったということも。
普通元カノと同じ部活に入ろうとするかなぁ? そんな疑問はずっと、私の中にあるのだが口にはしない。当人同士の関係性というものも、あるのだろうし。
とはいえしかし、リシュー先輩は岩田先輩と接触することを嫌う。一つに気まずいのだろう。そしてもう一つに「これ以上借りを作りたくない」というのもあるかもしれない。しかし今回ばかりはそうも言っていられなくなったのか。あるいは単に考えなしか。
「至急で頼りたい案件が出てきた」
リシュー先輩がイライラと口にする。
「
〈なぁに、口づけ?〉
「お前わざとやってるだろ」
〈うふふ。じゃあ今度ね〉
一瞬、リシュー先輩が顔を赤くした。が、すぐに電話口に怒鳴りつけるような調子で言い付ける。
「ふざけてねぇで
〈取り次いだわよ〉
あっさりと、岩田先輩。
〈私んちのマンションの下の階、
「……もう連絡付けたのか」
〈ちょうどLINEで話してたのよ。たまたまね。ついでに『うちの子が取材に行っていいですか?』って今訊いたの。すぐにOK出たわ〉
岩田先輩は顔が広い。広いなんてレベルじゃないくらい広い。おそらく学校中に知り合いがいるのではなかろうか。一緒に歩いているとほぼ二秒おきくらいに周りの人間から挨拶される。先生も先輩も、もちろん私たち後輩も問わず、岩田先輩が通ると必ず挨拶をしてくる。彼女の知人網は「岩田ネットワーク」通称「i-NET」などと呼ばれている。聞くところによると定時制にさえ知人がいるどころか、学校近隣の住民たちとも顔が通じているらしい。藤沢本町駅(※湘南高校最寄り駅)で八百屋の小沢商店さんに声をかけてもらっている岩田さんを見たこともあるくらいだ。
〈次の休み時間、図書館で待ってくれているそうだわ〉
岩田先輩のその言葉に、リシュー先輩はため息をつく。すると電話口で岩田先輩がつぶやく。
〈あら、お礼の一言くらいあってもいいんじゃない?〉
「ありがとう」
リシュー先輩がいやいや礼を言うと岩田先輩は続けた。
〈『好き』は?〉
「言うかボケ」
〈あら、昔はおはようとおやすみの度に言ってくれたのに……〉
「切るぞ」
通話を切るリシュー先輩。私は訊ねる。
「本当におはようとおやすみの度に言ってたんですか」
「……中学生って馬鹿な恋するだろ」
「言ってたんだ……」
*
さて。
湘南高校の図書室はそのあまりの規模により図書館と呼ばれている。ちょっとした市立図書館並みの蔵書、設備を誇っているからだ。
一時間目の授業が終わり、二時間目へと繋がる休み時間。十分間しかないこの枠で、私は素早くリシュー先輩と合流すると図書館の中へと足を踏み入れた。ここで簡単に湘南生の習性について触れておく。
前にも話したが三年生は選択授業だ。受験に必要な科目の授業を受けに行く。必然、時間割も自分で組むことになる。授業と授業の間に空き時間が生まれることも珍しくなく、多くの三年生はその空き時間に進路指導室にある自習室か、この図書館で勉強をする。図書館は校舎から独立した二階建て。一階部分に大きな六人掛けの机が多数、そして吹き抜けになった二階には勉強用のブース型の机が多数ある。どうも
ざっと一階の大机を見て回るリシュー先輩。女子生徒の姿はない。ならば、と螺旋階段を上り二階へ。彼女はすぐに見つかった……というか、見つけてきた。
「リシューくん?」
リシュー先輩がぴょんと耳を立てる。
「真緒ちゃんから聞いてるよ」
二階入ってすぐの場所にあった自習机。そこで参考書を広げ勉強していたらしい彼女は、ブースからひょいと顔を覗かせてこちらを見ていた。緩くパーマのかかった二つ結びのおさげがかわいらしい、優しそうな微笑みを浮かべるその人こそ、岩田先輩が紹介してくれた松中美穂先輩のようだった。
リシュー先輩は頭を下げた。
「すみません、急に」
すると松中先輩は首を横に振った。おさげがプランプランと揺れる。
「ううん。かっくんについて訊きたいって?」
「かっくん」
私が訊き返すと松中先輩は笑った。
「うん。山沢活平くん、略してかっくん。あの人総務長だけどみんなからかっくんって呼ばれてるの」
「親しまれているんですね」
リシュー先輩がそうつぶやくと松中先輩は首を傾げて「どうだろ。総務長選挙結構もめたから」と返してきた。リシュー先輩はモレスキンを取り出した。
「対抗馬がいたってことですか?」
リシュー先輩の問いに松中先輩が応じる。
「うん。
「っつーことは山沢先輩は立候補でなったんですね?」
「んー? 多分違ったような? 先代の総務長の推薦だったと思う」
「碓井先輩は?」
「立候補」
「推薦と立候補で推薦が勝ったんですか」
ほら、だから。
人の噂というのは当てにならない。藍崎先輩のあの話だってすぐにひっくり返った。噂はハリボテ。見掛け倒し。でもすごく鮮やかで、人々の心を惹き付けて止まない。そんなバケモノ。そんなモンスター。
そして、私は思う。
へぇ、そっか。総務長候補がクラスで二人出てきたら、当然だけど選挙になるのか。何だか大統領選挙みたいで面白いな。もちろん、他のパートでも立候補者が溢れた場合は選挙になるって話だけど、総務長ってもっと一子相伝的な、上の代の総務長が次期総務長を選び抜いて教育するものかと思ってた。
ちなみにだが私は体育祭の仕組みについて知っているような知っていないような状態である。高校入学に当たって、湘南高校は日本一派手な体育祭をするらしいということは聞いていたがその実情については一切知識を入れていない。何しろ中学の時にあった湘南の学校説明会さえ体調不良で参加できていないのだ。志望したくせにこの学校についての知識は、多分誰よりも浅い。
が、新聞部に入部するに当たり状況は少し変わった。新聞部は創立以来発行した新聞のバックナンバーを、七十五年分全て保管しており、部員になるとこの保管棚の中を覗くことができるようになる。仮入部期間、十年分くらいをざっくり拾って読んだのだが、体育祭のパート選びに当たって繰り広げられる選挙の内容が事細かに記されている記事もいくつかあった。ただ総務長に関してはその十年分の記事の中だとどうも「前の代の総務長が次期を選んで教育している」ような記載があったので、総務長選挙、という言葉にはやや新鮮な雰囲気を覚えたのである。
「碓井さんと言えば……」
リシュー先輩がモレスキンのノートをめくってから続ける。
「体育祭活動期間延長を求めた人ですよね」
すると松中さんは笑った。
「そ。お恥ずかしい」
体育祭活動期間延長問題。夏休みのほぼ全てを使って行われる体育祭の準備だが、過去に「徹夜をして体育祭準備をした」クラスがいたらしい。もちろん体育祭の準備にかける時間が多い分、いいものは出来上がる。しかしクラスによって準備にかけられる時間が違うのは、「知育・体育・徳育」の三位一体を掲げる湘南高校の祭典として、公平性に欠けるのではないか? そういう問題が持ち上がった。
結果、当時の体育祭実行委員会(毎年二年生が運営している)が下した決断は「過度な体育祭準備活動時間の延長は体育祭準備条約違反である」ということだった。かくして体育祭に以下のルールが追記された。
・体育祭準備は最終下校時刻を超えて行ってはならない。
・体育祭準備の持ち帰りは、これを許容しない。
さて、先程碓井さんが提起していたという「体育祭活動期間延長論」とはすなわちこの「・体育祭準備は最終下校時刻を超えて行ってはならない」の解釈を変えようという議論だった。
最終下校時刻とは湘南高校の場合夜七時三十分である。夏休みの間中、体育祭実行委員の警備担当は校門と裏門の前に立ち、トランシーバーで情報交換をし合いながら下校時刻を過ぎても学校に残っている生徒がいないかを確認して回っている(一応追記しておくと、体育祭実行委員は先述の通り生徒が運営している。彼らは前以て荷物を校門の外に置いておくことで自身の潔白を担保している)。生徒が七時半を過ぎてまで校舎に残り準備活動をし、この警備担当に違反切符を切られたが最後、体育祭当日の得点から十点単位で減点されることになる。
碓井先輩の言う「体育祭活動期間延長論」はこの「準備活動は最終下校時刻までとする」というルールを変え、「七時半以降も活動ができるようにしよう」というものだった。無論、県の条例により青少年は夜の十一時から朝の四時までは家にいなければならないため、この時間を超えての活動までは主張できないだろうが、逆に言うとここまでなら伸ばしていいのではというのが彼らの主張である。
「体育祭信仰過激派ってことっすか」
リシュー先輩がつぶやくと松中先輩は「そうかもね」と困ったように笑った。「だからこそ、選挙で落ちたんだろうけど」
なるほど。あまりに熱くて空回りしちゃったんだろうな。私は続けて訊ねる。
「その碓井先輩は、今何パートなんですか?」
「大道具パートでパーリー(※『パートリーダー』の略。各パートには当然ながらリーダーがいる。内閣で言う大臣みたいなものである)やってる」
「大道具パーリーっすか。まぁ、よくある進路ではありますね」
リシュー先輩が俯く。実際のところ、スポーツ系の男子が一番集まりやすいのが大道具パート、そして仮装パートである。仮装パートは激戦区なので第二候補で流れ着く人間は皆無、となると総務長になれなかったクラスの中心核の人間が行き着く先として、大道具パートは割とオーソドックスというかありがちなパターンだった。碓井先輩も例に漏れず、ということだろう。
「うん、まぁ……」
と、松中先輩が言い淀んだ。一瞬見せた隙、リシュー先輩が果敢に切り込む。
「何か問題でも?」
「……来てないんだ」
松中先輩の、小さな声。
リシュー先輩が訊き返す。
「来てない?」
「うん」
松中先輩が手元を見ながら続ける。
「碓井くん、学校に来てない」
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