1.ドアの中の幽霊
1-1. ファントム
その先輩が閉じこもってからもう一ヶ月経つらしい。
別名「幽霊総務長」。そう呼ばれる総務長が一人。
閉じ籠っている、について具体的に内容を明かすと、そもそも三年生は選択授業になっており、自身が所属するクラスに集まるのは朝のホームルームの時だけである。所属クラスで出席を取ったら各自の選択教室へ……例えば、国立文系なら六組の教室へ、私立理系なら四組の教室へ、といった具合に、選んだ進路ごとに教室が分かれているのである。
さて、問題の山沢先輩はこの各クラスでのホームルームにすら顔を出さず、それどころか選択コースの授業にさえ顔を出さず、登校するや否や(登校しているらしいことは多くの生徒から証言を得ている)真っ直ぐセミナーハウス(部活動合宿の際などに使う校内の宿泊施設)に行ってそこで荷物を下ろし、何らかの活動をしているそうである。残念なことに閉じ籠った先で何をしているのかは誰も知らない。山沢先輩はセミナーハウスの中の、大会議室と呼ばれる部屋に入ってそのまま中から鍵をかけてしまうからだそうだ。ある話によると、大会議室の中からピザの匂いがしてきたこともあり、どうも出前を取っているような気配がある。山沢先輩は朝の登校から午後七時半の下校までをずっとこのセミナーハウスの大会議室で過ごしているらしく、食事などの生活関係はどうなっているか誰も知らない。まぁ、朝食は家で食べてくるとしても、昼食、夕食はセミナーハウスでとることになる(昼食を弁当にしていたとしたら、大会議室から出てくる必要もないだろう)。先述のピザも、もしかして夕食に……? といった具合である。
総務長のくせに体育祭業務に取り組まない。クラスを引っ張るどころか姿をくらましている。彼はセミナーハウスの一室に閉じ籠って謎の行為に取り組んでいるようである。しかし実際のところ、まぁ十中八九、
しかしこれは完全なる抜け駆けである。ずる、反則、不当で邪道、不誠実でインチキ卑怯、小ずるくこすく煮ても焼いても食えない外道な輩のする行為であることは一目瞭然であった。なのでこの
「総務長のくせに体育祭をサボっている人間がいる。山沢活平は体育祭が好きじゃないらしい」ひいては、「山沢活平は総務長にあるまじき人物である」
これが、この度私たちが向き合うことになった
とはいえ、本件に限って言えばこの
〈
そういう趣旨のポストをX上でしたのが
〈あいつ(誰かは言わない)ホント卑怯だよな。みんなが頑張ってる中で一人だけ抜け駆け〉
〈そういうのマジでよくないと思うわ。神経疑う。みんなの期待を背負ってるのに無責任すぎると思わんか? 少なくとも俺は無責任だと感じるね〉
〈何でああいうことできるのか分からない。そんでそいつをリーダーに選んだ奴らも分かんない〉
とまぁ、徹底した叩きぶりである。
一応、というか念のため、リシュー先輩は「
「ああ、これこれ。こういうの」
園江先輩はリシュー先輩が示したスマホの画面を睨みながら頷いた(リシュー先輩、今日はちゃんとスマホを持ってきた)。
お昼休み。リシュー先輩と私、それから園江先輩は学食でご飯を食べながらミーティングをしていた。私はお母さんに朝五時起きで作ってもらったお弁当を。リシュー先輩は購買で買った揚げパンを。そして園江先輩は三百円切って二百七十円のカレーライスを食べながら話をしていた。
「こういう、総務長に向けて行われるバッシングをどうにかしてほしいんだよ」
園江先輩がカレーを一口がぶり。いい食べっぷりだ。するとリシュー先輩が手についた揚げパンの砂糖を払いながらつぶやく。
「つってもこれ、どっちかって言うと体育祭にケチつけてるのは噂の当人、
まぁ、そうなる。体育祭の準備をサボって一人だけ勉強に打ち込む行為はある意味でアンチ体育祭を掲げていることになるのだから。つまり「体育祭の象徴たる総務長を守れ」ひいては「総務長を守ることで体育祭を守れ」という任務ではなく「総務長のくせに体育祭に反対している酔狂を守れ」ひいては「体育祭に反対している人間を擁護せよ」という任務に聞こえる。
しかし園江先輩は首を横に振る。
「いや、現時点じゃ山沢が何でセミナーハウスに閉じ籠っているのか理由が明らかになっていない。勉強以外の理由でセミナーハウスを利用しているのかもしれない。部活とか、委員会とかな。そもそもあいつハンドボール部で部長もやってるし、保健委員会では委員長もやってる。そういう活動の一環でセミナーハウスを使っている可能性は大いにあるよな。あるいはセミナーハウスにはカウンセリングルームがある。スクールカウンセラーっつーのが週に二回来てるみたいだな。何か学校生活を送る上での相談事があって、そのカウンセラーに話を聞いてもらっているのかもしれねー……総務長ってのは、実際かなりプレッシャーだからな。多少心を病んでも仕方ないっつーか。だって考えてみ? 大学進学っつー人生の一大イベントを前に勉強に集中できないような環境に放り込まれる上に、クラスどころか後輩二学年からも思いっきり期待を寄せられるんだぜ? 堪ったもんじゃねぇっつーか、分かるだろこの苦労」
はぁ、なるほど。しかしあんたがそれを言っていいのか。リシュー先輩も眉根を寄せながら頷く。
「でも山沢さん、大会議室を使っているところまでは間違いないっぽいっすよ。スクールカウンセラーの線は薄いような気ぃしますね。山沢先輩以外の人間がセミナーハウス使っている話を聞かないことからも、あの人が一人で籠っていることは間違いないような気はしますが……」
「それでもその行動がアンチ体育祭だと断ずるのは早いだろ」
園江先輩の言葉に、リシュー先輩が鼻から息を吐く。
「まぁ、確かに中立的な立ち位置から見れば山沢先輩が何でセミナーハウスに籠っているのか、そして藍崎さんはどうしてこんなに山沢さんに突っかかるのかはどっちも謎ではありますけど……」
「だろ。それにそもそも、仮に山沢が勉強のために閉じ籠っていたのだとしても、今の時期……五月に勉強に打ち込むのはある意味妥当なんだよ。だって夏休みは勉強できねーんだから。九月の体育祭に向けて盛り上がりが最高潮に達して、準備が一番盛んになる時期の八月に三年生が、それも総務長がまともに勉強できるわけがねぇ。今の内からこつこつ勉強貯金しておくことは正しい判断なんだぜ?」
何なら俺も今頑張ってるしね。園江先輩はそう難しい顔をする。
「『山沢さんにまつわる
リシュー先輩が任務を確認する。
「ついでに藍崎の熱も冷ましてくれると助かる」
園江先輩に言われリシュー先輩はまた一つ頷いた。
「『総務長同士の仲直り』も」
かくして最初の
*
「まず、何から始めましょう」
五月の寒暖ちょうどいい季節には極めて快適な空間になる新聞部室。私は膝の上に両手を揃えて座り、先輩に訊ねた。先輩は誰が寄与したのか分からない……天板がホワイトボードになっているやたらに便利な机に図を書きながらつぶやいた。
「攻守の関係がハッキリしている。なので取るべき手段は二つ」
先輩はホワイトボードに円を二つ描いた。
「一つ、山沢先輩に何故閉じ籠っているかを訊き、理由を公表する」
うんうん。実にシンプルな一手である。総務長の活動に取材というメスを入れる。実に新聞部らしい活動になると予想できるだろう。
「二つ、藍崎先輩に攻撃をやめてもらう」
うーん、こっちはやや難しいような? 何せ拳を振り上げてしまっている人に「まぁまぁ、とりあえずそれを下ろせよ」と説得する行為である。それにそもそもそれは新聞部の仕事なのか? という問題もある。
私はそのことを率直に、そして簡潔にまとめて伝えた。リシュー先輩が唸る。
「花生の意見も一理ある。そう、藍崎先輩を説得するルートは確かに新聞部の仕事感は薄いんだよなぁ……」
それから長考したリシュー先輩は、やがて意を決したように正面を見据えると口を開いた。
「よし」
先輩が決意のため息をついたので私は期待のまなざしを先輩に送る。
「藍崎先輩から行くぞ」
しかし私の予想を外したリシュー先輩の決断に、私は質問を投げかける。
「藍崎先輩より山沢先輩の方がやりやすくないですか? っていうかそもそも藍崎先輩の説得って新聞部の仕事なんですか? さっきも新聞部の仕事感薄いって言ってたじゃないですか」
「そうなんだがな……」
リシュー先輩はちょっと困ったように顔を歪ませながらつぶやいた。
「それを言い出したら『
……リシュー先輩にしてはまともなことを言う。
「そもそもが間違ってるなら、変に修正入れるよりもその波に乗った方が俺の経験上、面白くなるんだよなぁ」
……この人、もしかしてこの騒動を面白がっているのか?
「ま、とにかく、人生迷ったら面白そうな方に流れてみるもんだ。総務長の和を乱しているのは藍崎先輩なんだしそこを収束させるのが一番手っ取り早い。
それからリシュー先輩は……剣道部のサボり魔、当人さえも幽霊の一種である我が親愛なるリシュー先輩は、ニヤッと笑って新聞部の腕章を身に着けた。
「
まぁ、確かに、剣道部の面々がこんなにいい加減なリシュー先輩相手に(それこそ)躍起になっているとしたら、それは確かにかっこ悪い。
不遜な後輩である私はそんなことを思い、納得した。
私が頷くとリシュー先輩も嬉しそうにした。
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