依頼
「澤田の名前使って呼び出して悪かったな」
「……澤田先輩の名前を使って呼び出した?」
取材の申し込みはこちらから……リシュー先輩からしたんじゃないのか。そう思い先輩の顔を見てみるとどうにもこうにも困ったような顔をしている。
……こいつまた横着したな?
大方SNSで「ゆる募 新聞部の取材受けてくれるひとー」とかやったのだろう。そこに澤田先輩から、いや、澤田先輩のアカウントからアプローチがあったから行きます行きますウヒョヒョヒョ、ってな具合で安請け合いしたに違いない。で、私に連絡。「澤田先輩に『気になる総務のお姉さん・お兄さん』企画の取材行くぞー」。ところが蓋を開けてみればそこにいたのは九人の英雄豪傑の一人、園江健斗先輩。想定外にでかい相手に、鯛を釣りに来たのが
園江先輩はリシュー先輩の横につけ、とんとんとその肩を叩いた。いや、園江先輩からすると「とんとん」レベルの接触だったのだろうが相手が澤田先輩だと思っていたリシュー先輩は完全に予想外の方向から襲撃を受けたのでなよなよと情けない体勢でそれを受け、まるで猫に叩かれるネコジャラシのようにその身を揺らした。分かってはいたがこの先輩頼りない。
「ご、ご用件は……」
仕方がない。骨も気も抜けて輝くのは新聞部の腕章だけとなったリシュー先輩を放っておいて私は園江先輩に質問をした。すると先輩はじろりと私を見つめるやまたもリシュー先輩に「お前かわいい後輩連れてんなぁ」と猫パンチを繰り出し、ネコジャラシは無力にぺこんぺこんとする他なかった。
しかしリシュー先輩はようやく呻いた。
「澤田先輩公認で園江先輩が今ここにいる」
園江先輩は頷く。「そうなるな」
「つまりは澤田さんからの依頼でもある」
園江先輩は頷く。
「澤田は俺の右腕だからな」
「俺の経験上っすね」
リシュー先輩が続ける。
「澤田先輩の名前で来る案件っていうのは難題が多いんすよぉ」
「まぁ、澤田はできる女だからな」
園江先輩はうんうんと頷く。
「あいつが仕事に求めるクオリティは高い。うん」
「いやね、先輩」
リシュー先輩が園江先輩に向き直る。それから先輩の顔をだらけきった顔で見つめて(その態度失礼じゃないか?)こう言いかけた。
「俺のモットーは……」
「『最低限の努力で最大限の結果を』だろ」
「何で知ってんすか」
リシュー先輩がいよいよ
「
園江先輩はとんとんと自身のこめかみを、漫画に出てくる頭脳派キャラよろしく突いてみせた。そっか。リシュー先輩もこの「虎視眈々たる大地の王」、
「覚えんの大変だったんだからな」
リシュー先輩が首筋をちょいちょいと掻く。
「すごいっすね。いやマジに」
「いやぁ、それほどなんだよ」
そこは「それほどでもない」だろうに。
「まぁ、ちょっとこっち来いよ」
と、先輩は私たちを窓際の方に寄せていった。
綺麗な光景だった。
窓から遠く見えるのは富士山の先端だった。校歌にもある。「秀麗の富士を高く、西に仰ぐ……」
「お前体育祭好き?」
園江先輩がリシュー先輩に訊ねる。すると彼は答えた。
「さっきも話題に出ましたけど、俺、常に最大限の効果を出すことに情熱かけてんすよ。効率厨なんす」
リシュー先輩のこの言葉に園江先輩は頷いた。新聞部の腕章が続けた。
「この湘南高校に来た以上、その最大限の効果っつーのは体育祭を楽しんで受験もいいところに受かることだと思うんすよね。なんつーか、どっちも捨てない的な」
「だな」
園江先輩はしっかりした強い目線をリシュー先輩に送るとうんうんと頷いてみせた。
「好きかどうか、はさておき全力を出すつもりでいます」
そう、リシュー先輩が明確に答えると、園江先輩はいきなり「やっぱお前だな」とリシュー先輩の肩をバシバシ叩いた。
「俺お前に任せるわ」
この一言は重い意味を持つ。
いや、ただ単に「お前に任せる」だけのことなのだが総務長のこの一言は「(続く
リシュー先輩が顔を引きつらせる。
「い、いや俺クラスの中でもそんなに目立たないタイプっていうか……」
「いや、もうお前しかいない」
「いや、まだクラス替えもあったばかりでみんなキャラ確立してないっていうか……」
「何言ってんだ。だからこそ動きやすいんじゃねぇか」
これは完全に総務長への勧誘である。
「いやいやいや、俺人を引っ張るの苦手っていうか、あんまりリーダーとかその……」
「ん? お前何言ってんだ?」
園江先輩がきょとんとする。リシュー先輩も「ん?」という顔をしたがしかし園江先輩は構わず続ける。
「俺はお前に頼みたいことがある」
「頼みたいこと……」
ここで男同士の熱いアイコンタクトが入る。
はて。私は先輩たちの顔を交互に見る。どうも私如き一年生では察しかねる、健全な
「な、何すか」
ダメだ。リシュー先輩も察しきれていなかった。
「お前この学校に蔓延る
「
「ほらさ、例えば……」
と、園江先輩は窓の下を指差した。そこには白と黒の袴に身を包み、雑談しながら歩く女子たちがいた。どうも先輩はその中の一人を指差しているようである。
先輩が続ける。
「弓道部の
リシュー先輩は頷く。
「はぁ、俺らの学年のマドンナっつーか、モテ女」
「あの子二股してるって知ってる?」
はぁ?
私は声が出そうになる。
だがリシュー先輩は頷く。
「
えっ、何それ知ってるの?
「さすが新聞部。学校の情報には詳しいな」
園江先輩はくるりと身を翻すと窓枠に背中を預ける。
それからまた、リシュー先輩をハッキリと見据える。
「俺たち総務長の
リシュー先輩は難しそうに片眉を上げた。
「聞いたことないんすけど……」
「まだ出回ってないからな。だが危うい」
園江先輩は今度は廊下の方を睨んだ。
「お前体育祭反対派って知ってるか?」
またも出てくる初めてのワードに私は困惑する。体育祭反対派? 湘南生はみんな体育祭が好きなんじゃないのか?
「知ってます」
しかしリシュー先輩は頷く。
「随分前から……それこそ、湘南高校の体育祭が始まった八十年くらい前から存在していますよね」
湘南高校は大正九年からある由緒正しき学校である。百年前からある学校なのだ。体育祭の歴史もまだ浅い方である。そもそもが海軍兵学校の予備校的立ち位置だったので、戦争の歴史とも繋がりは深い。
「生徒の大学進学を阻む学祭の実施は不必要だとする、まぁある意味での改革派、革新派」
リシュー先輩が体育祭反対派について簡潔にまとめると、園江先輩が少し俯いた。
「この十年くらい、その反対派の勢力が拡大している」
体育祭反対派。その勢力拡大。
その話を聞いて私はピンと来ることがあった。私はつぶやいた。
「最近の東大進学実績……」
園江先輩が私に驚いたような目を向ける。
「そうだ。さすが新聞部の後輩だな」
それからさらに続けた。
「この十年くらい東大進学実績の調子が悪い。浪人生も増加傾向なんて話もあるくらいだ。体育祭のせいにする人間が、ちらほら数を増やしつつある」
「はぁ」
話が見えてきた。私は訊ねる。
「体育祭反対派の人たちが、体育祭の象徴たる総務長の
「そういうことなのよ」
やはり休日のお父さんのような態度の園江先輩。しかし先輩はそんなだらけたような、でもどこか芯があるような目をしてからリシュー先輩に告げた。
「俺たちはこれを止める必要がある」
リシュー先輩がむっと
「言っときますけど俺は中立っすよ。体育祭肯定派も反対派も、お互いがしっかり議論して湘南高校をよりよい方向に持っていけばと思ってます」
「おお、そうだよな。俺もそう思うよ。議論っていうかさ、より密な、丁寧な、こう、愛のある話し合いが必要だよな」
園江先輩がうんうんと言葉染み入るように頷いた。それからさらにこう続ける。
「それにさ、やり方ってあるよな」
リシュー先輩も頷いた。
「ありますねぇ」
「
リシュー先輩は首肯した。
「汚いとは思います」
「だろ? そこでお前に頼みたいんだよ」
園江先輩がまたハッキリとリシュー先輩を見つめた。
「反対派の奴らは俺たち総務長の
「火消し?」
今度は首を傾げた。
「火消しつっても何すりゃ……」
「
園江先輩は一歩踏み出した。
「反対派だって根も葉もないことは言わない。事実を言うだろう。だがその事実を曲解してばら撒く。そこでお前だ。事実を事実として伝える。いや、時に言い方を変えてもいい。だがとにかく、偽情報に踊らされる生徒たちの目を覚まさせる」
「曲がった事実をまた曲げろってことっすね」
「いや、そこまではしなくていい。曲がった話を真っ直ぐにして放流してくれればいいんだ」
「何を以て真っ直ぐかって話もありますよ」
「そりゃもう、お前の思う真っ直ぐでいいよ」
「それって俺が体育祭反対派になびいたらどうするんすか?」
「お前なびくの?」
本質的な質問だった。これはリシュー先輩に効いたらしい。
「まぁ、一度こうと決めたらなかなか曲げられない性格で苦労しちゃいるんすけどね」
しかしリシュー先輩の眉は歪んだままだった。
「うーん、何だかなぁ」
「頼む」
園江先輩も参ったような顔をした。
「さっきもお前言ったよな。湘南の旨味を最大限味わうには体育祭も勉強も……」
「どっちも捨てずにやり切る」
「だろ」
「でもなぁ。俺に一任されても困るっつーか何つーか……」
リシュー先輩はそれでも決めかねているようだった。ぐずぐずと固まりきらない寒天のような態度で目線を泳がせている。
すると園江先輩が……九英傑の一人、大地の王
「あの言葉は胸にあるか?」
それを聞いたリシュー先輩が凍り付いた。まるで時を止められたかのように、硬直し、やがて……いやすぐさま、決意を固めたような顔になった。
そしてその表情のまま、返した。
「あり……ます」
躊躇いながらも、しかし明確な答えだった。
「ならやることは一つだよな」
園江先輩の力強いお言葉。
リシュー先輩は、それでも幼稚園に行くのを渋るような幼児の顔をして、しばらく黙った。が、やがて母の元を離れる決心をしたのか、あるいは母のいない寂しさを忘れる何かを見つけたのか、頷いた。
「引き受けます」
ただし、と先輩は条件を付けた。
「嘘は書きません。俺だって新聞部っす。偽情報は流せない」
「ああ」
そして隣にいた私を片手を広げ示す。
「それと……こいつは俺の
「もちろんだ」
そしてリシュー先輩は最後にきっぱりこう宣言した。
「ついでに、俺は本件によって信条を曲げることはしません。貫きます。これにより先輩が不利益を被っても俺は真っ直ぐに生きます。いいすか」
すると園江先輩はニカっと笑った。
「だから気に入ってんだよ。お前のこと」
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