4-5. 黒幕
彼がいない学校、なんて思ったけれど。
リシュー先輩は変わらず新聞部なわけで、そういう意味では毎日彼の顔を見ることはできた。
ただ、私は正式にリシュー先輩とのコンビを解消されて。
岩田先輩の指示で、私はダブル鈴木の「遊び」担当、吉高先輩の元で校正の仕事を任されることとなった。
新しい記事を書く仕事じゃない。それはつまり、リシュー先輩に文章の体裁を相談することも、取材の日程をお知らせすることも、〆切をせっつくこともなくなった生活を意味した。
新聞部室にはパソコンが二台。
一台は原稿執筆用のミニノートパソコン。
一台は画像編集用のデスクトップ型パソコン。
あの一件の後、リシュー先輩は部活動の際、前者を持ったままどこかに行ってしまうようになった。新聞部室にノートパソコンがないことがリシュー先輩の活動中のサインだと分かるくらいだ。
日中、私は事あるごとにスマホを眺めていた。このスマホでずっと、私はリシュー先輩に連絡を取っていた。リシュー先輩からの連絡も決まってこのスマホに届いていた。当たり前だけど、でもそんな当たり前は、なくなってから初めてその大切さに気づけるような、微かで弱い、光だった。小さくても明るい、私の人生の光だったのだ。
昼間、衣装パートの手伝いをしていた
私はため息をついた。針を持った手が震えてくる。もう、何でこんなに悲しいんだろう。何でこんなに気持ちが、何でこんなに心が、どうして、こんな……。
「花生ちゃん?」
唐突に声をかけてきたのはさらちゃんだった。
「大丈夫?」
そう、訊いてくる。私はぐずついていた鼻をすすると努めて平静を装った。
「平気」
「うーそーだーねー」
と、さらちゃんの後ろから声が。私はそっちの方を見る。
そこにいたのは、
「私がフラれた時より悲惨な顔してるぞ、花生」
さらちゃん、瑠璃ちゃん、美早子ちゃん。この組み合わせというのが私にはどうにも珍しく映った。というのも、瑠璃ちゃんと美早子ちゃんは普段私と一緒にいることが多いが、さらちゃんはいつも違うグループにいる子だし、この三人が一緒に行動しているところなど、普段見ることなんかなかったからだ。
すると、私の顔色から察したのか。
「花生が暗い顔してっからさ。信藤さんに声かけて三人で様子見に来た」
瑠璃ちゃんが、そう微笑みかけてきた。
「私らに話してみー? 恋の相談なら乗るよ?」
美早子ちゃん。こちらを揶揄うように笑っている。
「恋じゃなくても」
そう、真剣な顔をしたのはさらちゃん。
「何か悩んでるなら、聴くよ」
「うう……」
思わず、声が出る。
泣きそうだった。私が唇を噛みしめると三人がそっと寄ってきて私の背中を擦ってくれた。やっぱり、我慢ができなくなって私は、静かに泣いた。声を殺して泣いた。
*
「ほえー、そのリシューって先輩のことが花生は好きなんだ」
瑠璃ちゃんがポッキーを啄みながらつぶやく。夏休みの教室。いつもよりだらけながらお菓子を食べられる。
「ほんで? そのリシュー先輩がやばそうな案件に首を突っ込んでると」
美早子ちゃん。頬杖をついて、私の顔を覗き込んで。
「花生ちゃんは傍で支えてあげたいんだね」
さらちゃんが、優しい一言。
「んでもさー、正直ムズくない? だって部活の仕事分けられたんしょ? 一般的なスポーツで言う男女で練習分けられたようなもんじゃん?」
瑠璃ちゃんの言葉に美早子ちゃんが応じる。
「つっても声かけくらいはできんじゃねーの? 先輩最近どうですかー? くらいはダメなの?」
「部室にほとんどいないの」
私がそう返すと、今度はさらちゃんが口を開いた。
「リシュー先輩のことを考えたら、下手に接触できないよね」
そう。そうなのだ。
今、何の力もない私がリシュー先輩に接触したところで、私は手伝いにもなれないどころか足手まといになるリスクがある。先輩の傍にいたいけど先輩の邪魔はしたくない。そんな気持ちがあった。さらちゃんはどうも、そんなところを汲んでくれたらしい。
「ふーん。つかさー、『でかい案件』って何?」
瑠璃ちゃんの質問。リシュー先輩が首を突っ込んでいる案件に関して、私は簡単に説明をした。少々入り組んでいてなかなか解説が難しかったが、しかし私の話を黙って聞いていた三人はそれぞれに感想を口にした。
「学校全体が関わりそうなんだ」
これは、さらちゃん。何だか怖気づいたような顔だった。
「関係なくない? 愛のためなら学校なんて小さなもんよ」
これは、美早子ちゃん。強気な顔で唇を結んでいる。
「ほんじゃさ」
と、これを提案してきたのは瑠璃ちゃんだった。
「花生のできる範囲でこの件調べてみるってのは?」
「それができなくて困ってるんじゃないの?」
さらちゃんが首を傾げる。すると美早子ちゃんが続いた。
「まぁ、『部活動以外でたまたま知りました』って体裁なら何とか?」
「それでも、もしものことがあったら結局リシュー先輩に迷惑がかかってしまうんじゃ……」
私がそう言い淀むと、ふと、さらちゃんが口を開いた。
「リシュー先輩の仕事から何か分からないかな」
すると美早子ちゃんが我が意を得たような顔をした。
「それ! いいね。先輩がやってることから情報を得るんだよ。それなら別に後ろ暗いこと何もないじゃん。だってほら、花生って、その……」
「校正、ってやつなんしょ?」
瑠璃ちゃんが美早子ちゃんの言葉をそっと引き取る。と、さらちゃんが私の顔を覗き込んできた。
「校正の仕事でリシュー先輩のやろうとしていることを知ることができたら……そうしたら花生ちゃんの気持ち、晴れそう?」
私は少し、考えてみた。
私が今やるべきことを通じて、リシュー先輩のサポートをする、そんな環境を構築できたら。
少なくとも今の、どうしようもない状況よりは、一歩前進だ。
「……やれそう?」
さらちゃんの言葉に、私は強く頷く。
「やってみる」
*
「リシューの原稿? ああ、そこだよ。俺のデスクの右手側。角にある山が全部リシューの原稿」
新聞部室。
ソファに身を沈めてSwitchでポケモンをしている吉高先輩に、私は「リシュー先輩が最近書き上げた原稿はどこにありますか」と訊いた。最初、吉高先輩にももうとっくに岩田先輩の息がかかっていて、私をリシュー先輩から引き離す包囲網が完成しているのかと思った。私はリシュー先輩には原稿上の接触さえも許されていないんじゃないかと、そう思っていたのだが、しかし意外にもあっさり、吉高先輩はリシュー先輩の原稿を見せてくれた。私は吉高先輩のデスクに行ってリシュー先輩の原稿を見た。
〈――総務長生徒懲戒処分について、学校側は次のようにコメントを――〉
〈――セミナーハウスの不正利用には目を瞑れないとしながらも――〉
〈――
嘘、これ全部リシュー先輩が書いたんだ。
そこには今まで見たことないくらいしっかりした文体の原稿があった。一応、これまでもリシュー先輩の書く原稿を目にする機会はあったが、今私が目にしているのは本物の新聞顔負けの、しっかりした報道文、かっちりした一分の隙もない文章だった。あのいい加減な先輩が書いたとは思えない。真面目で実直な、記事。
――普段はいい加減だけどさ、やる時はやるんだよ、あいつは。
園江先輩の言葉が耳に蘇る。
と、吉高先輩がSwitchの向こうから声を飛ばしてきた。
「これは俺の独り言なんだがよー」
私はハッと息を止める。
「リシューの最新原稿ならー」
私は先輩の方を見る。Switchで顔が隠れて彼がどんな表情なのか全然分からない。
「俺のデスクの引き出しに、昨日提出されたのが入ってるぞー」
私は即座に引き出しを開ける。そこに、あったのは。
〈総務長懲戒事件について〉
そう銘打たれた、A4サイズの原稿だった。
ホチキスで留められた五枚組の原稿。その最後のページにあったのは。
……園江先輩?
それは物陰から撮影された園江健斗先輩の横顔の写真だった。総務長懲戒事件の原稿にどうして彼の顔写真が? いや、彼も総務長だから懲戒の対象に……? 色々なことが頭の中を駆け巡る。
と、考え事をしていた私に、吉高先輩がまた声を飛ばしてきた。
「写真撮ったのは辰人だぞー」
……そっか。新聞部のカメラマンは辰人先輩だ。じゃあこの写真も、辰人先輩が。
「辰人は今、体操部の取材に行ってるぞー」
やはり、Switchの向こうから。
吉高先輩が教えてくれる。彼はゲーム機で顔を隠していたが、きっとその向こうは、悪戯っぽく、笑ってたんじゃないかな。
だってほら、これは彼の独り言だから。
*
「俺はこのカメラでそんな写真は撮っていない」
体操部の活動場所。第二体育館。
私の質問に対する辰人先輩の返答はそれだった。彼は仕事の真っ最中。練習中の体操部を真剣なまなざしで写真に収めていた。
「そんな……」
行き場を失くした私は思わず唇を噛む。すると辰人先輩がポケットに手を入れた。どうもレンズを拭くためのクロスを取り出したようだが……。
「おっと」
一緒に、ポケットからスマホが落ちた。ちょうど私の近くに落ちたので、私はそれを拾い上げると先輩に渡そうとした。
「リシューの誕生日」
私からスマホを受け取るでもなく、いきなり、辰人先輩がそんなことを口にした。
「……前にリシューの奴が俺のスマホのパスコード変えやがってさ。あいつの誕生日入れないとそのスマホ、開かないんだわ」
一瞬、ぽかんとする私。それからすぐさまにその意図を悟る。
そっか! カメラでは撮ってなくても、スマホなら……!
リシュー先輩の誕生日……四月四日だ。だから……0404!
スマホの画面にその数字を打ち込むと、あっさりそれは解錠された。それから私はすぐさま画像フォルダを開くと、あの園江先輩の写真を探して画面をスクロールした。
意外にも、それはすぐに見つかった。
園江健斗先輩の横顔。
薄暗い場所だった。おそらく室内。上から俯瞰するようにして撮影している。少し画像を眺めてから気付く。ここ、購買部横の昇降口前だ。一階から二階へ続く階段の手前。奇しくも、かつて私がリシュー先輩と待ち合わせ場所にした場所だった。そこに一人佇む園江先輩。
この写真、どこから撮っているんだ、と思って気づいた。購買部横のエリアは吹き抜けになっている。二階部分から一階の、昇降口の辺りは見下ろすことができる。多分これ、二階から撮っているんだ。
「……一枚だけじゃないぞ」
ぽつりと、辰人先輩。
私がハッとして先輩の方を見ると、しかし彼はカメラから目を離すことなく撮影を続けていた。私は再び目線をスマホに落とすと、次の画像を見た。
次にあったのは、園江先輩が物陰に姿を隠している写真だった。昇降口、階段下の小さなスペースに潜り込むようにして身を潜めている。何かを狙っているようだが……。
次の画像。画面の中の園江先輩がスマホを構えている。何か撮ってる?
「撮影日」
ぽつっと、また辰人先輩。私はその言葉にハッとして、画像のプロパティを確認する。
作成日時:八月七日木曜日十三時十四分。
私がそれを確認し終わるのと同時に、辰人先輩がふらりと私の傍にやってきた。それから彼は、カメラから一枚のカードを取り出すと私に手渡してきた。
「次の体操部取材記事の写真が撮れた。岩田にこれ、渡してくれるか」
私はカードを受け取りぽかんと先輩の顔を見つめる。と、辰人先輩は表情を変えずにつぶやいた。
「あと岩田が最近、面白い話を聞いたらしいぞ」
「あ……」
私はようやく、言葉を吐き出す。
「ありがとうございます!」
辰人先輩はひらひらと手を振って私を追い払った。私はすぐにその場を去ると岩田先輩を探して動き出した。
*
夏休みの湘南高校で人を探そうと思ったら、とりあえずその人が所属する
岩田先輩は
通例的に、二年生の教室は仮装パートがダンスの練習場として利用している。湘南高校体育祭のメイン、仮装は、
私が勢いよく
「二年生の、岩田先輩いらっしゃいますか!」
すると、教室の奥から声がした。
「花生ちゃん」
カラーTシャツに短パンという、ダンスの練習に適した格好をした岩田先輩が、待ち侘びたかのようにやってきた。
「これ、見てみて」
スムーズに私のところにやってきた岩田先輩は、スマホの画面を見せると、私に意見を求めるような顔になった。
岩田先輩のスマホ。そこにあったのは……。
〈Does7140:まーた黒澤が金和に粘着してるよ〉
女子更衣室の前でぽかんと立つ黒澤先輩の姿を写したXでのポスト。金和先輩に粘着しているかはさておき、女子更衣室の前で不審な動きをしている男子生徒のように見えなくもない。女子更衣室は昇降口の真横にあるので、階段下からならその入り口を盗撮することが可能だ。
「
私はそうつぶやいてから投稿日を見てみた。
――八月七日の十三時三十分。
「あ……」
ここに来て、ようやく私の中でパズルのピースが埋まり始める。
総務長懲戒事件に関与している園江先輩。
その姿が八月七日の十三時十四分に購買部横の昇降口の下で確認されている。
園江先輩はスマホを構えて何かを撮影しているかのようだった。
同日の十三時三十分、黒澤先輩が昇降口横の女子更衣室前でうろうろしている
ようやく、私は気づく。
――園江先輩が総務長の
そして、そう。黒澤先輩をターゲットにしているということは、もしかしたら、あるいは。
――青派の総務長を攻撃しているのでは?
それは当然の帰結だった。
私が息を止めていると、岩田先輩がそっと私の背中に手をやった。
「リシューなら、第一体育館の裏にいるわ」
それから岩田先輩は衝撃の一言を続ける。
「……園江健斗先輩と一緒に」
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