2-4. 青春闘争

「黒澤先輩を調べるってなりゃよぉ……」

 何だか浮かない表情のリシュー先輩。

「剣道部に行くってことになるんだがぁ……」

 ははぁ、何だか話が見えてきた。

「あそこくせぇんだよなぁ……」

 まぁ、あの部活の汗臭さは次元を超えている。

「練習後に行くとホカホカの汗の臭い嗅がされることになるから、練習前に行きたかったんだが……」

「でも黒澤先輩引退してますよね?」

「馬鹿言え。引退してても青春闘争を文字通り戦い抜いた後輩たちがいる場所だぞ。取材する旨味はたっぷりある」

 けどどうすっかなぁ。そう思い悩んだリシュー先輩は、しかしいきなり私の顔を見ると目の色を変えた。

「お前、黒澤先輩のこと知らねぇの?」

 びっくりする。

 そ、そりゃあ私も三組ホワイトの一員ではございますが、二つも歳が離れている上に立場も上の人間とあれば、窺い知れることだって限りがあるわけで……。

「まぁ、知らないなら知らないなりによぉ」

 リシュー先輩が絡みつく視線を私に投げてくる。

「お前を取っ掛かりにして三組ホワイトに取材するのは、いい手なんじゃねぇのかぁ?」

 さて、そういうわけで。

 私は三年三組ホワイト衣装パートパーリー、竹本たけもと敦子あつこさんに連絡を取った。

 何故なら私は……衣装パートのパート員だったから、である。



「花生ちゃんの頼みっていうからOKしたんだけどさぁ」

 三年三組ホワイトの教室。

 実は黒澤先輩が教室にいて、当人の周りを嗅ぎまわるつもりがうっかりバレてしまうなんてことがあるんじゃないかとひやひやしたが、しかし教室内にいたのは衣装パートの先輩方だけだった。業者から仕入れた特大の布を広げて、デザイン画と突き合わせて色々考えている。

 竹本敦子先輩は、そんな三組ホワイト衣装パートのトップを務める女子生徒だった。これは特に伝統というわけではないのだが、衣装パートのパーリーには女子がなることが多いらしい。竹本先輩も例に漏れず、ということのようだ。

 まん丸のお顔に緩くパーマのかかったボブカット。カラー冊子では「三組ホワイトの母」と何だか小林製薬辺りで商品化されていそうな肩書きを持っている女子生徒だった。

 そんな彼女はどうもリシュー先輩に何か思うところがあるらしい。私がリシュー先輩と一緒に三年三組ホワイトの教室に姿を現すと露骨に嫌そうな顔をした。しかしリシュー先輩は得意満面の笑みで挨拶する。

「あッ子先ぱぁい。こんちわー」

 あッ子先輩。何だか親しみのある呼び方。もしかして何か因縁のある相手なのか……? 

 と、あッ子先輩こと竹本先輩は明らかに迷惑そうな顔をして声を飛ばした。

「何であんたが来るのよ。花生ちゃんだけでいいし!」

「へぇー。じゃあ花生。一人で先輩に取材する?」

「ふぇっ?」

 変な声が出る。

 い、いや、してもいいけどこんないきなりはちょっとと言うか、いや、心の準備が……。

「花生困ってますよ」

 リシュー先輩がまただらりと竹本先輩に目をやる。

「これは先輩である俺が仕事した方がいいんじゃないかなぁ」

「後でお母さんに言いつけるから」

 ジロリ、とあッ子先輩がリシュー先輩を睨む。しかしリシュー先輩はヘラヘラと「じゃあ俺、今度今里いまり先輩とお話しますね」と返した。あッ子先輩が唇を噛む。

「お前絶対覚えてろよ」

 そう、また一睨みしてから今度は私たちに向き直った。

「で、話って何」

「黒澤先輩について訊きたいんすよぉ」

 黒澤、の名前が出ると竹本先輩は一瞬顔を曇らせた。

「黒澤くん?」

 その反応だけで、伝わる。

 例の公開告白の件。あの事件のせいで、黒澤先輩はクラスの女子からあまりいい目で見られていないのだろう。

 すると案の定、あッ子先輩は訊き返してくる。

「あいつまた何かやらかした?」

 リシュー先輩がニヤッと笑う。

「黒澤さんトラブル続きなんすか?」

 するとあッ子先輩は顔を曇らせる。

「トラブルしか起こしてないよあの人」

 その発言を受けて私はやはり意外に感じる。あれだけ厳格そうな、どっしりとした雰囲気の人がトラブルメーカー。やっぱり人は見かけによらないものである。

「かなわっちのことまだ好きみたいで」

「なるほど?」リシュー先輩。明らかに面白がってる。

「Xでもポエム吐いてるし、三年四組ブラックにいる剣道部の伊達だてくんに会いに行くふりしてかなわっちのこと見てるらしいし」

 あちゃー……なかなか拗らせている。っていうか素直に気持ち悪いな。そんな人だったんだあの人。

「じゃあまだ金和先輩のこと諦めきれていないんすね?」

 リシュー先輩が訊ねると、あッ子先輩はスマホを取り出した。

「Xでのポスト見る? 未練たらたらだよ。気持ち悪い」

 と、あッ子先輩のスマホの画面には。

 どうも「神選組しんせんぐみ1867」というアカウントが黒澤先輩のアカウントのようだ。画面の中には神選組1867さんのプロフィールページ。そしてその下にずらっと……。

〈遥か彼方で舞う桜のように、手を伸ばしてもヒラヒラ散って触れられない〉

〈彼女のためなら、この刀を振るうのも躊躇わない。命だって惜しくない。なのに、どうして……〉

〈いいんだ。俺なんか。あの子が幸せなら、それで。それだけで〉

 なんてポストがずーっとたくさん……。

「お熱冷めてない感じっすね」

 リシュー先輩も「あちゃー」って顔をしている。私はと言えばゾクゾク悪寒が止まらない。男ってここまで気持ち悪くなれるんだ。

「ま、でも。分かりましたわ」

 と、いきなりリシュー先輩が満足したような顔になった。それから彼は、チラリと頭上を見上げるとこう、あッ子先輩に告げた。

「黒澤先輩のいそうなところって見当つきます?」

 するとあッ子先輩は答えた。

「十中八九図書館」

 どうして、と私が訊く前にあッ子先輩が解説を入れてくれた。

「かなわっちがそこで勉強しているだろうから」

 な、なるほど。でもそれじゃやってることほぼストーカー……。

「ありがとうございまーす」

 リシュー先輩が軽いノリで礼を言う。するとあッ子先輩が棘のある雰囲気で返した。

「学校卒業したらお前とは縁切るからな」

 するとリシュー先輩が切り返した。

「何言ってるんすかお隣さん」

 その一言で察する。

 この人たち、ご近所さんなんだ……。



 ご近所さんであることが分かったとは言え、リシュー先輩が何故あッ子先輩にあそこまで強く出られるのか理由は分からない。なので私は訊ねる。

「竹本先輩とどういう関係なんですか?」

 すると先輩は答えた。

「一緒に風呂に入った仲」

「ふふふふふふふろ?」

 びっくりする。

「え? え?」

 自分でも何でこんなに驚いているのか分からないが、とにかく私は狼狽える。

「え、お付き合いとか……」

「してねーよバーカ」

 リシュー先輩はニヤッと笑った。

「ガキンチョの頃からの付き合いなんだよ。その昔は結構仲良かったんだけどなぁ? 俺がガキの頃、あッ子先輩と一緒に風呂に入ったことがあるっつー話を、あッ子先輩の彼氏である今里さんに話すぞーなんて言うと嫌がるんだよあの人」

 ああ、なるほどそういう……。

「さて。図書館に行きゃ金和先輩に会えるって分かったわけだし」

 リシュー先輩が新聞部の腕章をかちりと付け直す。しかし私は訊ねる。

「えっ、図書館には黒澤先輩に会いに行くんじゃ……」

 しかしリシュー先輩は、相変わらずのニヤつき顔で。

「いっちょ図書館行きますか!」



 校舎から離れて一棟丸々使っている図書館は大きい。多分どの高校にもこんな設備はない。湘南の自慢の一つである。

「よっしゃ。探してみるぞ」

 図書館の中だからだろう。リシュー先輩がひそひそと声を発する。私もひそひそ返す。

「誰をですか?」

「金和先輩に決まってんだろ」

「黒澤先輩に会いに来たんじゃなくてですか?」

 あなたさっき竹本さんに黒澤さんのいそうなところって訊いたよね? 

 しかしリシュー先輩はそんな私に構わず視線をそよそよ泳がせる。

「ん? ありゃあ……」

 と、リシュー先輩が見つめた先。図書館の窓があり、その向こうには中庭が広がっていた。

 湘南高校の校舎は上空から見ると「日」の字の形に校舎が並んでいて、図書館はそんな「日」の字の下の四角の中に突き出る形で存在している(なのでそこだけ切り取れば『回』の字をしているというか)。故に図書館の周りは中庭になっているのだが、そんな中庭の片隅に並んで座る生徒が二人。よく見てみると、前野さんと、澤田さんだ。何をしているのだろう。二人並んでおしゃべりしている。手には……DOUTORの、カフェラテのボトル。

「お熱いもんだぜ」

 リシュー先輩がガリガリと頭を掻く。

「まぁ、高三のこの時期にあんな風に楽しめたらそりゃ幸せだろうなぁ」

 なんて、どこか遠い目をしたリシュー先輩に私はそっと囁く。

「……岩田先輩のこと考えてるでしょ」

「考えてねーよ」リシュー先輩はうっかり大声を出してしまった。慌てて口をつぐむ先輩。

「もういい加減忘れてるわ。フォルダは削除しました」

「本当ですかー」

 私は白い目をリシュー先輩に投げてみる。先輩は首を縦に振った。「本当だって」何でだろう。このやりとり、可笑おかしい。

「ん?」

 と、この時リシュー先輩が何かに気づいた。図書館の窓の近く。並んだ書架の横に椅子があり、そこで本が読めるようになっているのだが……。

「金和先輩」

 そう、そこで大人しく、お人形のように座っていた女子生徒こそ。

 今回の醜聞ゴシップの渦中にいる人間、金和紗織その人だった。

「ははーん?」

 リシュー先輩が声を上げる。それから先輩はくるりと、何だかそういうフクロウみたいに顔をこちらに向けると、悪そうな、品のない、ゴブリンみたいな笑顔を顔に浮かべ、それから私に告げてきた。

「おい、突撃取材するぞ」

「と、突撃取材?」

「ああ」

 リシュー先輩がメモとペンを手にする。

「こりゃもしかすればもしかするぞ」

 果たして新聞記者と言うよりは週刊誌記者のような体になったリシュー先輩を見て、私は思った。

 この人、実は楽しんでるな……? 



 いつもだらしなく制服を着ているのがリシュー先輩だ。

 しかし今回は総務長の前、ましてや女子生徒の前だ。私はリシュー先輩の襟やら裾やら適当に直すとぽんと背中を押した。先輩も先輩で特に嫌がる風もなくされるがままに私に弄られると、ようやく見てくれだけはよくなった格好で金和先輩の横から話しかけた。

「あの、金和先輩」

 当の金和先輩はびっくりしたような顔をしてリシュー先輩を見上げる。柔和なかまぼこ目がぱっちり見開かれていた。

「はい」

 声。透き通っていて綺麗。

「湘南新聞の成瀬利秋ってもんですが」

 新聞部の腕章を見せるリシュー先輩。

「ちょっとお話伺ってもいいっすか?」

 金和先輩は少しの間、リシュー先輩の腕章と顔、それを交互に見つめた。それから少し離れたところにいる私の方に目をやると、再び窓の外、中庭にいる前野先輩と澤田先輩を見つめ、それから笑った。困ったように、参ったように。

「はい」

 諦めたような調子の声だった。

「私でよければ」

 すっくと立ちあがる金和先輩。やはり背が高い。リシュー先輩と変わらないか、それより少し高いくらいある。すらっと伸びた脚はモデルさんみたいだし、中学時代陸上部とは思えないほど白い肌は窓から差し込む薄明りの下ほんのり光っているようにさえ見える。黒澤先輩だけじゃない。目にした生徒全員を魅了する力を彼女は持っていた。

「バレちゃったみたいだね」

 そうして見蕩みとれていた私の気持ちを置いていくように、金和先輩は観念した。リシュー先輩がニヤッと笑った。彼は窓の外にいる二人……前野先輩と澤田先輩とを見つめる。

「恋のチアリーディングっすか」

 うわくっさ。

 何この人くっさ。滅茶苦茶臭いこと言うじゃん。何ですか恋のチアリーディングって。しかし金和先輩は、そんなダサいネーミングにも決して引くことなく、むしろ悲しそうな笑顔を浮かべて口を開いた。

「ふふ。そうかも」

 それから彼女は、ゆっくりと、彼女自身の話を、語り始めた。

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