2-6. 体育祭特集第二号
こうして、私の邪な片想いは終わりを迎えた。さぁだも前野くんも、邪なんかなじゃない、真っ直ぐな想い、真っ直ぐな気持ち、受け取ったよと言ってくれたが、私だって人間だ。さぁだと前野くんの関係を見て「どうして私じゃないの」くらいのことは思ったことはある。結果として、今話したような結末に至っただけで、途中で闇落ちしたり、悪い方向に派生したりする可能性は……その危険性は大いにあった。そういう意味では、私にこの話を持ち掛けてくれた新聞部の方には感謝申し上げたい。
〈中略〉
さて、失恋し、晴れてこの三年間独り身でいることが確定した私だが(嘘です。私のこと好きって言ってくれる人がいたら待ってます。君の真っ直ぐな気持ち、ちゃんと曲げずに伝えてね)、体育祭への想いは燃えに燃えている。むしろフラれた分、思いっきり、思ーいっきり! 勝利を掴みに行きたいと思う。寂しくなんかない。私には
――『湘南新聞』体育祭特集第二号、コラム潮騒の風、『一緒に湘南、駆け抜けよ』より、抜粋
*
「リシューにしては感動的にまとめたわねぇ」
新聞部室。この日は珍しく岩田先輩がデスクについていた。いつもは学校中の誰かと何かしらの付き合いがあるとかで新聞部の活動にはオンラインでの参加が多い岩田先輩が、編集長用デスクでマニキュアを塗りながら、リシュー先輩と私の報告を聞いている。机上にはコラム潮騒の風『一緒に湘南、駆け抜けよ』。金和先輩が新聞部に寄せた一連の騒動に対するアンサー的な意味合いのあるエッセイだ。
しかも暴露する内容が、「女子総務長の
リシュー先輩にとっても、このやり方には旨みがあった。「当事者の告白」という形ならリシュー先輩の「
史上初の女子総務長を巡る恋愛譚は学校中の女子から熱烈に受け入れられ、元々高かった金和紗織人気はますます上り調子を見せ始め、ついに人気は校外へ飛び出た。今では金和先輩のエッセイを読んで「金和紗織先輩みたいになりたいから湘南に入りたい」なんて女子中学生の声もネット上で(高校進学用のネット掲示板などで)聞こえるようになったくらいだ。正直、彼女の影響力の大きさに驚きを隠しきれない。もはやちょっとしたインフルエンサーだった。
「忘れられない体育祭にするよー!」
ある日、金和さんは
体育祭に参加する人たちが心から楽しく思えて、一生の思い出にできるような。
そんなひと夏の盛り上げ役を買って出たのが、総務長という人種なのだ。
応援団にルーツを持つ金和先輩にその役割はぴったりだった。金和先輩はきっとクラスの真ん中で、誰よりも注目される場所でボンボンを振り、舞うのだろう。
*
「へええ! いいじゃん。すごく感動ストーリー」
学食。
リシュー先輩はマックで買ったビッグマックを。私は母に作ってもらったお弁当を。園江先輩は白いシャツなのにも関わらずカレーうどんを。それぞれ食べていた。先輩がうどんを啜る度に私は内心ひやひやしていた。
「まぁ、黒澤は残念だったけどなぁ。あいつもこれで目が覚めただろう」
園江先輩は手にしていた湘南新聞をそっとテーブルの上に置いた。それからうどんをまた、ずるずる啜る(ああもう、心配だなぁ!)。リシュー先輩は早々にビッグマックを食べ終え、紙袋の中からポテトをつまみながら園江先輩に訊ねた。
「金和先輩の保護。黒澤先輩への被害は最小限に。
すると園江先輩は眩しく笑う。
「OK完璧! さっすがリシューちゃん」
「どうも」
なんて雑談を、していた時だった。
リシュー先輩のスマホが鳴った。この人今日もちゃんと持ってきてたんだ。
リシュー先輩が画面を見る。〈あいつ〉。そう表示されている。一瞬、本当に一瞬だけ、心がざわつく私。誰? あいつって。
「ちょっと電話出てきます」
その場を去るリシュー先輩。残された私は、園江先輩の啜るカレーうどんをやはりひやひやしながら見つめていた。
先輩はずぞぞぞっとうどんを啜ると私の方を見て訊ねてきた。
「リシュー、いい男だろ」
「……はぁ」
「普段はいい加減だけどさ、やる時はやるんだよ、あいつは」
「昔からのお知り合いだったんですか?」
「いいや? この春のクラス替えであいつが
それってまだ三カ月も経ってない……たったそれだけでよくあの人の
「俺さ、一応総務長だから」
急に、真面目な顔に。
「
とんとん、とこめかみを指先で叩く園江先輩。漫画の頭脳派キャラよろしく……。
「ま、見ててもほとんど忘れちゃうんだけどな」
なんて、お茶らけることも忘れない。あははと笑った園江先輩はカレーうどんの最後の一口を啜ってみせた。シャツを見る……汚点なし!
「『一緒に湘南を駆け抜ける仲間を応援したい』『後輩に体育祭を全力で楽しんでほしい』総務長はきっとみんなそう思ってる。黒澤みたいにちょっと性欲に頭持ってかれた奴もいるけどさ、あいつだって総務長会議には一番に参席したり、総務長法被(※総務長用の応援衣装)を作ってくれる衣装パートに差し入れしたりと、総務長としての仕事はしっかりこなしてるんだぜ? ある一面じゃ確かにダサかったかもしれないけどさ、そんなこと言い出したら俺もいいところだけじゃないしね」
九人集まる英雄豪傑。
ヒーローも結局は人間。良い面悪い面、様々ある。そういうことか。
「あー、リシューありゃ女だな」
ふと、園江先輩が少し離れた場所で電話をするリシュー先輩の方に目をやる。先輩はと言えば、腰に手を当て困り顔で、電話に向かって何事か唸っている。
私は、知っている。
あの飄々とした……だらしがなくて、いい加減で、頓珍漢で馬鹿で間抜けでパッパラパーで、どうしようもなくてどこまでもやる気のないリシュー先輩があんな顔を見せるのは唯一、岩田先輩の前でだけということを。
リシュー先輩を悩ませることができる女子生徒は、岩田先輩だけだということを。
チクリ、胸で何かが。
ささくれ立つ。ピッと一筋皮がむける。あれ、何でだろう。何でこんな、どうしてこんな嫌な気持ち、するんだろう。
「じゃ、俺行くわ」
園江先輩が丼の乗ったトレーを持ち上げ席を立つ。私は慌てて一礼する。
「お疲れ様です……」
そうつぶやいた私に、園江先輩が耳打ちしてくる。
「リシュー、狙うなら今の内だぜ」
「ちょっ……!」
「なーんてな! 冗談冗談! とにかく、むちゃくちゃするあいつの手綱握れるのは津嶋ちゃんだけだからさ。頑張ってくれよな!」
まったく、何なんだあの人まで。私がリシュー先輩を? ないない。何言ってるんだ。冗談じゃない。
そう、冗談じゃ……。
この気持ちは、もしかしたら冗談じゃ、ないのかな。
そんなことをふと思った。しかし何だか馬鹿馬鹿しくなって、私は母の卵焼きを一口で食べて、それからむせた。今朝方の母の言葉が蘇る。
――卵にお塩入れすぎちゃって、塩辛いかも……。
慌ててご飯をかき込んだ。急激に味覚を刺激されたからだろう。私は少し、涙を滲ませていた。
*
「そろそろ、考えないとなぁ」
お昼休み終盤。
お弁当箱を抱えた私と、ぼんやり頭の後ろで手を組んで歩くリシュー先輩。先輩はぼけっと頭上を見上げながらつぶやいた。
「
「
私が訊ねると、リシュー先輩は「うん」と頷いてから続けた。
「
「幽霊総務長の時みたいに、藍崎先輩を説得するとか、そういうミッションがあるということでしょうか?」
するとリシュー先輩は(珍しく)真面目な顔になった。
「いや、藍崎先輩のは多分、誰かが印象操作したと思うんだよな……というのも、ハッキリ言って一組と九組みたいな対極的な位置にいる人間のことなんて知らないし、どうでもいいだろ? それなのにあんなに藍崎先輩が焚きつけられていたってことは、きっと誰かが『藍崎先輩が怒るような山沢先輩の情報』を流したんだと思う」
リシュー先輩は歩きながら続ける。
「今回の金和先輩のもそうだ。金和先輩が恋バナとして話した『好きな人』っていう情報を『好き→自分のものにしたい→奪う』みたいな伝言ゲームをした奴がどこかにいるってことだ」
私が黙って聞いていると、リシュー先輩は続けた。
「しかも、学校の中の人間を無作為に選んで噂を立てているわけじゃない。総務長っつー人気のある人間を選んで、悪意ある情報をばら撒いている奴がいる。そいつのことをどうにかできればな、ってよ」
なるほど。分かりやすく言ってしまえば噂をばら撒いている張本人を捕まえる。その人の口を黙らせれば、あるいは。
いやしかし、それは……。
「……それは、これら一連の騒動の犯人が一人しかいないと想定した場合のことですよね?」
私の問いにリシュー先輩はニカっと笑う。
「そう。この『噂の出所を叩く』っていうのは、一人の人間が総務長の
リシュー先輩が得意満面といった顔で私に向き直った。
「だっておかしくねぇか? 『総務長の
「……はい」
概ねその言い方で合っている。
「でもよ、おかしくねーか? 確かに総務長そのものへのバッシングが走りそうな案件は多かったが、『だから体育祭がどうこう』には話が及ばない……というか、及びようがない
「……言われてみれば……確かに」
「何か別の目的がある」
リシュー先輩の目が、キラリと光っていた。
「何か別の企みがな。体育祭反対派の蓑を被った、別の意志を持つ人間がこの一件を仕掛けている」
「それを一人だと断定したのは?」
私が訊ねるとリシュー先輩はグッと前を見据えた。
「分からん。まぁ大体は勘だ。でもよ、仮に集団的な動きだとしたら、幽霊総務長に女子総務長の
「なるほど」
一理ある。
それから、私の親愛なるリシュー先輩は。
キラキラした笑顔を、私の方に向けて、ハッキリと……いつになく、楽しそうに、元気いっぱいにこう言い放った。
「総務長を失墜させ、体育祭文化に異を唱えんとする人間の正体。俺らの手でそれを暴く。何だよおい、楽しくなってきたじゃねぇか」
そしてこの時、私は悟る。
園江先輩の言っていた言葉を。
――普段はいい加減だけどさ、やる時はやるんだよ、あいつは。
『金和紗織は応援します』 了
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