第7話 世間の噂
「今日は、ここにお嬢様をお連れしたかったんです」
港から少し離れたところにある店の前で、ロレンツォはそう言った。煉瓦造りの建物で、どこか異質な雰囲気がある。
「……ここは?」
「仕立て屋です。既製品の服よりも、仕立ててもらった方がサイズが合いますから」
「いいの?」
「もちろんですよ。予約もしていますから」
ロレンツォが用意してくれた衣服は、どれも着心地がよくて可愛い物ばかりだ。とはいえサイズを測ったわけではないから、ぴったりというわけではない。
別に、気になんてしていなかったのだけれど……。
「……仕立ててもらうなんて、高いんじゃないの?」
「私が今、どれほどお金を持っていると思っているんです? それに、お嬢様の可愛い姿を見られるなら、安い物ですよ」
ロレンツォが店の扉を開ける。
申し訳なく思いつつも、ラウラの胸は弾んでしまう。
だって、わたくしも、可愛いお洋服には興味があるもの……!
ロンバルディ家の屋敷で暮らしていた頃は、ぼろぼろの服しか与えられなかった。年頃の娘らしく着飾ることはできなくて、マルティナがずっと羨ましかったのだ。
……そういえばマルティナは、今どうしているのかしら。
ふと、思い出してしまった。考えないようにしていたことなのに。
マルティナたちは今も、ロレンツォの屋敷の地下室にいる……らしい。ただ、ラウラはあれから、一度も彼女たちに会っていない。
ロレンツォや使用人たちがマルティナたちの話題を出すこともない。
「お嬢様? どうかしましたか?」
「う、ううん。なんでもないの。どんな服ができるのか、楽しみで」
ロレンツォが柔らかい顔で笑う。宝物を見つめるようなその瞳を見ていると、泣きたくなってしまう。
わたくしは今、こんなに幸せなのに……なのに、やっぱり、マルティナたちのことを許せないわ。
彼女たちを助けてほしい、とロレンツォに懇願できない。かといって、同じことをやり返してやりたい、とも思えない。
心の中で溜息を吐いて、ラウラは首を激しく振った。
せっかく楽しい時間を過ごしているのだから、マルティナたちのことは頭の外へ追いやってしまおう。
◆
「お待ちしておりました、ロレンツォ様、ラウラお嬢様!」
ラウラたちを出迎えたのは、桃色の髪を持つ少女だった。年齢はたぶん、ラウラと同じくらいだろう。
目が真ん丸で、人形のような愛らしさを持つ少女だ。フリルやリボンが大量に縫い付けられた服も、彼女にはよく似合っている。
「ラウラお嬢様の担当を務めさせていただきます。フラヴィア・コスタです」
「……担当? 貴女が?」
驚いて、思わずそう聞いてしまう。
この子、どう見てもわたくしと同じような年の女の子よね?
「私では頼りないでしょうか?」
「い、いいえ! そうじゃないわ。ただ、ちょっとびっくりして……」
ラウラが戸惑っていると、ロレンツォが説明してくれた。
「お嬢様。コスタ家は、最近独立した話題の仕立て屋なんですよ。中でもフラヴィア殿は、女性に人気のある方なんです」
「……そうだったのね」
外出を制限されていたラウラは、流行には疎い。女性の仕立て屋の存在なんて、今まで聞いたことがなかった。
「きっと、お嬢様にお似合いの服を作っていただけると思いまして。……それに」
「それに?」
「採寸とはいえ、他の男がお嬢様に触れるのは許せませんからね」
さらっとそんなことを言うロレンツォに、どんな顔をすればいいのかはまだ分からない。
「では、フラヴィア殿。お嬢様をお願いしますよ」
「お任せください!」
フラヴィアは堂々とした態度でそう言った。その横顔がきらきらと輝いていて、つい見惚れてしまう。
「お嬢様。採寸が終わる頃に迎えにきますから」
「分かったわ。ありがとう、ロレンツォ」
優雅に一礼し、ロレンツォが去っていく。彼の姿が見えなくなったところで、ラウラお嬢様! とフラヴィアがにっこり笑った。
「私、ラウラお嬢様のお洋服を任せていただいてすごく光栄です」
「……そ、そんな、大袈裟だわ」
「そんなことはありません。だって、新進気鋭の大商人・ロレンツォ様の恋人じゃないですか! そんなお嬢様の服を仕立てられるだなんて、光栄すぎます!」
「……え?」
恋人? 今、恋人って言ったわよね、この子。
「あ、あの……わたくし、ロレンツォの恋人なの?」
ラウラの質問に、フラヴィアは目を丸くした。
「違うんですか!? プリマヴェーラ中で噂ですよ。あのロレンツォ様がついに恋人を作った、しかもそれがプリマヴェーラで一番の美少女・ラウラお嬢様だと」
「ちょ、ちょっと待って。プリマヴェーラで一番の美少女? わたくしが!?」
「はい。その美貌を妬んだ義理の母や妹に虐げられていたラウラお嬢様を、ロレンツォ様がお救いしたのだと」
知らなかった。世間では、そんな話になっていたの?
ロレンツォだって、一言も教えてくれなかったじゃない!
「私、自分で流行を作り出すのが夢なんです。だから、ラウラお嬢様のように美しく、注目を集めている方の服を仕立てられるなんて、本当に嬉しくて……!」
感極まったのか、フラヴィアの瞳が潤む。
落ち着いて、と彼女の背中を撫でつつも、ラウラ自身も混乱したままであった。
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