第3話 絶対のルール
「どうして、あの女だけ特別扱いなのよ!!」
マルティナの悲鳴に近い叫び声で、ラウラは目を覚ました。慌てて部屋を出て、声が聞こえてきた場所へ向かう。
玄関に入ってすぐのところに、マルティナはいた。
マルティナだけじゃない。アリアンナも、父であるベニートも、疲れきった顔で座っている。
そういえば、歩かせろ、ってロレンツォは言っていたわ。
……屋敷からここって、どれくらいの距離だったのかしら。
馬車に乗っている間、あまりにも頭が混乱していて、距離を考える余裕なんてなかった。
しかし馬車に乗っていた時間を考えれば、それなりの距離があったはずだ。
「お姉さま!」
目ざとくラウラの姿を見つけたマルティナが叫ぶ。
「お姉さまからもお願いして! わたくしたち、2人だけの姉妹でしょう!?」
媚びを売るような眼差しに、寒気がした。
2人だけの姉妹? 何を言っているの?
生まれた時からずっと、わたくしのことを姉だなんて思っていなかったくせに。
常に雑用を押しつけられるだけでなく、マルティナの態度は酷かった。
真冬に水をかけられたり、ただでさえ少ない食事をゴミ箱に捨てられたり。
なにより一番辛かったのは、父がマルティナだけを娘として可愛がっていたことだ。
わたくしだって、お父さまの実の娘なのに。
ふと、父とも目が合った。縋るような眼差しが嫌で、とっさに目を逸らしてしまう。
「黙れ」
冷ややかな声が聞こえた。顔を上げると、広間から出てきたロレンツォが汚物を見るような目をマルティナへ向けている。
「お前らは、ラウラお嬢様の家族でも何でもない」
ミシェル、とロレンツォが執事を呼ぶ。傍に控えていたミシェルと他の執事たちがマルティナたちを抱えた。
「地下に閉じ込めておけ。食事はいらない。水は掃除用のバケツにでも入れておいておけ」
ロレンツォの指示通り、マルティナたちはすぐに地下へ運ばれていった。
わたくし、今……スカッとしたわ。家族が酷い目に遭っているのに。
「ラウラお嬢様。食事の用意ができましたよ」
「ありがとう、ロレンツォ。すごくお腹が空いているから、楽しみだわ」
ずきん、と胸が痛む。マルティナの顔が頭から離れない。
わたくしって……嫌な女かしら……?
◆
「お好きなだけ召し上がってくださいね。気に入らなければ、すぐに作り直させますから」
「き、気に入らないなんて、そんなことありえないわ!」
テーブルには、いろんな料理が並べられている。具材がたっぷりと入った温かそうなスープ、香辛料で味付けされた鳥の丸焼き、新鮮な魚介類で作られたマリネ。
ぎゅる、と思わずラウラの腹が鳴った。
「では、食べましょうか」
「……ええ」
いただきます、と手を合わせてから食事を始める。まずは、焼き立てのパンに手を伸ばした。
いろいろと食べたいものはあるけれど、わたくし、テーブルマナーなんて分からないもの。
ナイフとフォークを上手く扱える自信は全くない。淑女としての教育を受けさせてもらえなかったのだから、当たり前だ。
ちら、とロレンツォの様子を見ると、完璧なテーブルマナーだった。
まるで、異国の王子様みたいだわ。
詳しい話を聞いたことはないが、ロレンツォが異国の血を引いていることは赤い瞳を見ればすぐに分かる。
プリマヴェーラでは、昔、赤い瞳は不吉なものとされていたらしい。
もちろん、異国との交流が盛んになっている今、そんなことを口にすれば差別主義者との誹りから逃れられないだろうが。
相変わらず、綺麗な瞳。
わたくし、この瞳が好きだったのよね……。
昔から、異国に憧れていた。狭い屋敷を飛び出して、広い世界へ行ってみたいと思っていたから。
そんなラウラにとって、異国の血を引く赤い瞳は、どんなものよりも美しく見えたのだ。
「お嬢様? どうかしましたか?」
「い、いえ、ただその……相変わらず、綺麗な瞳だと思って」
ガチャ、と音がした。ロレンツォがナイフをテーブルに落としたのだ。
「ロレンツォ? どうかしたの?」
「……いえ、なんでもありません」
ロレンツォが俯いてしまったせいで、どんな表情をしているのかが分からない。
でもなんとなく、喜んでくれているような気がする。
「お嬢様。テーブルマナーのことに関してなら、心配はいりませんよ」
「え?」
もしかして、気にしてたのがバレてたの?
なんか、ものすごく恥ずかしいんだけど。
「私は気にしませんから。それに、来週から家庭教師を呼ぶので、これから学んでいきましょう」
「えっ、家庭教師?」
「はい。テーブルマナーも、ダンスも、勉強も。一流の家庭教師を用意するので、ご安心ください」
「えっ、ちょっと、ロレンツォ……?」
頭がついていけない。住む家をくれただけでもありがたいのに、その上家庭教師だなんて。
ロレンツォは、わたくしにどこまでしてくれるつもりなの?
「他にもなにかあれば、遠慮なくおっしゃってください。欲しい物は全部用意しますし、やりたいことは全部やっていいですから」
「……そ、そんなの悪いわ」
「遠慮しないでください。ですが一つだけ、絶対に守っていただきたいことがあります」
ロレンツォの顔から笑みが消え、急に真剣な表情になった。
「私の許可なく、私以外の男と二人きりになることは許しません。いいですね?」
「え、ええ……わ、分かったわ」
こんな状況で、ロレンツォの言葉に背けるはずもなく。
混乱したまま、とりあえずラウラは頷いたのだった。
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