第4話 夢なら

「朝ですよ、ラウラお嬢様」


 朝は、優しいメイドの声に起こされ、綺麗な洗面器に入った水で顔を洗う。

 ぼんやりしている間に絹で作られた衣服に着替えさせてもらい、長い髪を丁寧に整えてもらう。

 それが、今のラウラの暮らしだ。


 まるで、お姫様にでもなったみたい……。


「お嬢様はお綺麗ですね。お化粧などしなくても十分に見えますよ」


 そう言って笑ってくれたのは、ラウラ付きのメイド・エリザだ。彼女は最近、ラウラのために雇われたという。

 年齢は40代半ばで、華やかではないが、明るくて親しみやすい容姿の持ち主である。


「そんな……」

「ご主人様が女性をお迎えすると聞いた時は、みんな驚いたそうですよ。商売一筋の、真面目な方だったそうですから」

「……そうなの?」

「ええ。短期間で、ここまでの財を築くなんて、そうじゃないとできませんよ」


 ロレンツォはどうして商人になったのだろう。そして、どんな風にここまでの財産を手に入れたのだろう。


 わたくし、知らないことばかりだわ。


「だから私は、お嬢様がきてくださって嬉しいのです」

「え?」

「お嬢様といる時のロレンツォ様は、すごくお優しい目をしていますから」


 そんなことを言われると、なんだかむずがゆい気持ちになる。でも、悪い気はしない。


「ロレンツォは、今日は家にいるの?」

「いえ。既に商談に出かけています。ですが、昼には一度、戻られるそうですよ。きっと、お嬢様と一緒に食事をとりたいんでしょうね」

「……そうかしら」

「ええ」


 ここへきてから、食事のほとんどをロレンツォと共にしている。

 以前は誰かと食事をすることなんてなかったから、すごく嬉しい。


 一緒に食べる相手がいるというだけで、食事が何倍も美味しく感じられるんだもの。





「ちょっと、厨房に入れてくれるかしら?」


 ラウラが厨房に入ると、メイドたちはぎょっとした顔で一礼した。


「こ、こんなところにいらっしゃるなんて、どうなさったんです!?」

「昼食の用意を手伝おうと思って」

「そ、そんな……恐れ多いです。お嬢様に料理をさせるだなんて!」


 メイドはそう騒ぐが、ラウラは何年も厨房に立たされてきた。それだけでなく掃除や洗濯など、家事は全てできる。


 というか、何もしないでいるのって、すごく落ち着かないんだもの。


 週に三回ほど、家庭教師がやってきていろいろと教えてくれる。しかしそれ以外は、ラウラがやることは特にない。

 護衛をつければ外出制限もなく、望めばなんだって用意してくれる。


 最高の環境だわ。でも……与えられてばかりというのは、落ち着かないものなのね。


「お願い。わたくしも、ロレンツォになにかしてあげたいの」


 ラウラの作った食事より、メイドが作った食事の方が美味しいかもしれない。

 でもどうにかして、感謝の気持ちをちゃんと伝えたい。


 ロレンツォが、わたくしを救ってくれたんだもの。


「……そういうことでしたら」


 メイドたちは顔を見合わせ、ラウラを受け入れてくれた。





 厨房には多種多様な調味料と、豊富な食材があった。ラウラが担当したのは、シチューである。


「そろそろ完成ね」


 朝から作り始めたため、かなりの時間煮込むことができた。きっと、かなり美味しくできているはずだ。


「そうだ。一口味見を……」


 小皿にシチューをすくい、口に運ぶ。少し熱かったものの、濃厚な味が美味しかった。


 これならきっと、ロレンツォだって喜んでくれるはず。


 美味しいですよ、と微笑むロレンツォを想像すると、なんだか胸が温かくなる。

 今まで、どれだけ料理を作っても、掃除を頑張っても、誰かから褒められることなんてなかったから。


 ロレンツォは、いつもわたくしと一緒に食事をして、忙しいのにいろいろと気を遣ってくれる。

 ここにいてもいいんだって、わたくしに思わせてくれる。


「……夢なら、覚めないでいたいわ」


 他にもなにか手伝えることはないだろうか……とラウラが考え始めた時、お嬢様! とエリザの声が聞こえた。

 エリザは料理を担当していないため、ラウラの部屋を掃除していたはずである。


「エリザ、どうしたの?」

「ラウラお嬢様にお客様が。アンドレア、と名乗る男性の方です」

「まあ、アンドレアが?」


 アンドレアは、ロンバルディ家と親交のあった商人だ。

 といっても、対等な関係ではない。

 アンドレアはいろんな国に出向き、様々な異国の雑貨を持ち帰る。そしてそれらをロンバルディ家が買い取ってプリマヴェーラで売っていた。


「すぐに行くわ。エリザも一緒にきてくれる?」

「はい」


 ロレンツォの許可なく、他の異性と二人きりになってはいけない。

 意図は分からないが、ロレンツォが提示した唯一のルールだ。それを破って、ここを追い出されでもしたら困る。


 きっと、久々にプリマヴェーラに戻ってきたらロンバルディ家がなくなっていて、焦ったんだわ。

 どうやって、わたくしがここにいることを知ったのかは分からないけれど。


 エプロンを外し、玄関へ向かう。扉を開けると、見慣れた顔と目が合った。

 前に会った時よりも日に焼けている。


「ラウラ! 久しぶりだな」

「ええ、久しぶり」

「焦ったんだ。こっちに戻ってきたら、ロンバルディ家がなくなっていて……それで、とりあえずお前に会いたくて」


 アンドレアがそう言った瞬間、派手な音を立てて玄関の扉が開いた。

 そして、つかつかと足音を立てながら、ロレンツォが中に入ってくる。


「誰の許可を得てここに入ってきた?」


 あまりの威圧感に、アンドレアが小さく悲鳴を上げる。


「それから」

「は、はいっ」


 アンドレアは完全に、蛇に睨まれた蛙だ。


「気安くラウラお嬢様の名前を呼ぶな。仕事を失いたいか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る