第5話 所有権
「今、プリマヴェーラで俺に逆らえばどうなるか、分からないわけじゃないだろう?」
ロレンツォはそう言って、アンドレアを睨みつける。
ラウラに向ける柔らかな態度とは別人だ。
マリアンナたちへの態度もそうだけど……ロレンツォって、わたくし以外が相手だと、結構態度が違う……わよね?
「ロ、ロレンツォ、ごめんなさい。アンドレアに会うと言ったのはわたくしよ」
「……お嬢様が?」
「ええ。でも、二人きりにはなっていないわ」
ロレンツォは盛大な溜息を吐き、再度アンドレアを睨みつけた。
「お前は、お嬢様のなんなんだ?」
「……お、私はその、ロンバルディ家と取引をしていた商人です。ラウ……お、お嬢様とは、個人的にも親しくさせていただいており……」
「個人的に、だと?」
ロレンツォの声がさらに低くなる。
かなりの迫力は、商人というより、まるで海賊のようだ。
「どういうことです、お嬢様?」
ロレンツォが振り向く。口調こそいつも通りなものの、目は全く笑っていない。
「え、っと……アンドレアは、たまにロンバルディ家へきていたの。その時、異国のお土産をわたくしにくれて……」
幼馴染、と呼ぶほど近しいわけじゃない。けれどだからといって、いい言葉も見つからない。
どう伝えるのが、一番分かりやすいのかしら?
アンドレアがくれるお土産は、ラウラにとっては貴重な物だった。それに、アンドレアが聞かせてくれる異国の話も好きだった。
もちろん、マリアンナたちの目を盗んでしか会話はできず、長い時間を共に過ごせたわけではないのだが。
「なるほど。お嬢様にとっては、よき友人だったのですね」
「え、ええ、そう、そうよ!」
「分かりました。では……」
ロレンツォがアンドレアに向き直る。アンドレアは安心したような表情を浮かべていたが、ロレンツォな相変わらず彼を睨みつけていた。
「今後は一切、お嬢様に近づくな」
「……え?」
「さっさと帰れ」
ロレンツォがそう言うと、アンドレアは逃げるように屋敷を出ていってしまった。
ど、どうしてロレンツォはこんなに怒ってるの?
「ラウラお嬢様、少しお話があります。いいですか?」
「ええ、それはもちろん……」
頷くと、すぐに手を引かれた。連れていかれたのは、3階にあるロレンツォの自室だ。ラウラの部屋のすぐ隣である。
「お嬢様、あまり言いたくないことですが……私は、お嬢様を買ったのです。それは分かっていますか?」
「え、ええ……借金を肩代わりする代わりに、わたくしたち4人を買った……のよね」
人身売買は、ほとんどの国で禁止されている。
しかしここは独立都市、プリマヴェーラだ。両者が合意した契約であれば、どんな契約でも成り立ってしまう。
だから借金のせいで、奴隷のような生活を強いられている人もいる。
お金で買われたわたくしがこんな暮らしをしているなんて、本来ならあり得ないことだわ。
「そうです。つまり……」
ロレンツォは一歩ラウラに近づき、ラウラの顎を右手の人差し指で持ち上げた。
唇が触れそうなほど近い距離に、心臓が騒ぎ出す。
近くで見ると、本当に綺麗な瞳……。
こんな状況ですらそう思ってしまうほど美しい。それに瞳だけでなく、顔の造形全てが息を呑むほど綺麗なのだ。
「お嬢様も身体も、心も、全て私に所有権があるということです」
「……ロレンツォ」
「怯えないでください。お嬢様を傷つけたりはしません。ただ……」
すう、とロレンツォが大きく息を吸い込んだ。
「私は、他人が自分の物に触れるのが、大嫌いでして」
「ロ、ロレンツォ……?」
「お嬢様を傷つけたりはしませんが、お嬢様に言い寄る男どもは、いつでも海に沈める準備はできていますからね」
冗談……じゃないわよね。
それくらい、目を見れば分かるわ。
「……ロレンツォ」
「なんです? そんなにあの男と話がしたいのですか?」
そう言ったロレンツォの目は、どこか傷ついているような気がした。
確かにアンドレアは、わたくしにとっては友達だわ。
アンドレアの話には胸が躍ったし、彼がくれるお土産を見て心を慰めた日だってある。
でも……でも、わたくしをあの屋敷から連れ出してくれたのは、ロレンツォよ。
「いえ。わたくしはそれよりも、ロレンツォと一緒に食事がしたいわ」
「……食事?」
「ロレンツォに食べてほしくて、シチューを作ったの。口に合うか分からないんだけど……食べてくれるかしら?」
屋敷から連れ出してくれたロレンツォに、わたくしもちゃんとなにかを返したい。
わたくしにできることが何なのか、今はまだ分からないけれど……。
「ラウラお嬢様が、私のために?」
「ええ。ロレンツォに感謝の気持ちを伝えたくて……」
「……そんな。いや、その、ありがとうございます……」
ロレンツォは両手で顔を覆った。手の隙間から見える頬がわずかに赤く染まっていて、びっくりする。
もしかして、わたくしの手料理を、こんなに喜んでくれてるの?
ラウラの頬も赤くなる。
しばらくの間、沈黙が部屋を満たした。気恥ずかしさを伴う沈黙は、しかし、ラウラにとって心地よいものでもあった。
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