第9話 後悔させないから
「お迎えにあがりました、お嬢様」
外からずっと見ていたのかと思うほどちょうどいいタイミングで、ロレンツォがやってきた。
スムーズに支払いを済ませ、ラウラの手をとって店の外へ出る。そしてそのまま、馬車に乗り込んだ。
「どうでしたか、お嬢様?」
「とても楽しい時間だったわ。フラヴィアさんが、すごくいい人で」
「そうでしょう」
ロレンツォが微笑む。友達を褒められただけなのに、ちょっとだけもやもやしてしまうのはどうしてなのだろう。
「わたくし、フラヴィアさんと友達になったの」
「それはよかった。実は、彼女の兄からも頼まれていたんですよ。妹に友人を作ってやりたいと」
「……本当に?」
フラヴィアは可愛らしく、明るく、その上社交的な少女だ。
そんなことを頼まなくたって、友達の多そうな子だけれど……。
「ええ。やはりまだ、女性の仕立て屋というのは一般的ではありませんから。彼女を悪く言うのは、なにも男性だけではありません」
「……そんな」
「人は、自分と異なる者を排除しようとする生き物ですから」
ロレンツォの瞳が一瞬だけ暗くなった気がして、胸が騒いだ。
「ですがお嬢様ならきっと、仲良くなれるかと思ったのです」
「どうして?」
「お嬢様は、そういう方ですから」
褒められるのは嬉しい。けれど、自分では意識もしていなかったところを褒められるのは少し戸惑ってしまう。
「……そうだ。わたくし、噂を聞いたの」
気恥ずかしくなったラウラは、話題を変えることにした。
「わたくしがロレンツォの恋人だという噂があるらしいのだけれど……知っていた?」
「はい、もちろん。その噂を流したのは私ですから」
あっけらかんと答えたロレンツォに絶句する。
ラウラが何も言えずにいると、ロレンツォは流暢に話し続けた。
「私の恋人だということにしておけば、お嬢様に変な虫が寄ることもないでしょう」
「……変な虫、って」
「私の恋人だという噂が流れて、なにか困ることでも?」
ロレンツォの目が鋭く光る。まずい、と反射的に判断したラウラは、慌てて首を横に振った。
ロレンツォって時々、すごく恐ろしいんだもの……!
「た、ただ気になっただけよ。それに、ロレンツォは困らないの?」
改めて、ロレンツォの顔をじっと観察する。
黙っていると少し威圧感があるけれど、洗練された美しい顔立ちだ。その上大商人になった今、彼に近づく女性は数えきれないほどいるだろう。
……あれ? なんか、今わたくし、もやっとした?
「困りませんよ」
「……恋人とかって……」
「仮に恋人がいたとして、私がお嬢様と二人で出かけるような不誠実な男に見えますか?」
「……見えないわ」
ならよかったです、とロレンツォはやや投げやりに頷いた。
なんだか気まずくなって、とりあえず俯いてしまう。
もしかしてロレンツォって、わたくしのことが好きなの?
なんて、自分で聞けるわけないわよね。
「ねえ、ロレンツォ」
「はい」
「もし、わたくしにしてほしいことがあったら、なんでも言って」
「……急にどうしたんです?」
「すごく、貴方に感謝しているから」
ロレンツォには、たくさんのものをもらっている。
住処も、食事も、服も。
そしてなにより、自分が存在してもいいのだという安心感をくれた。
ロンバルディ家にいた頃のわたくしは、誰からも望まれていなかった。
でも今は、ロレンツォが笑顔で話をしてくれて、一緒に過ごす時間を楽しんでくれる。
「本当は、わたくしが自分で考えたいの。でも、それよりも、ロレンツォになにかを返したいって気持ちが強いわ」
ロレンツォが望むことを自分で見つけたい、というのは、ラウラの我儘のようなものだ。もちろん、その気持ちだって否定しない。
でもそれ以上に、早くロレンツォにお返しをしたい。
「……お嬢様、変わりましたね」
「自分でもそう思うわ」
「私のせいですか?」
「ロレンツォ以外に、誰がいるの?」
「……いたら、今すぐそいつを海に沈めます」
過激なことを言っているわりに、ロレンツォの頬は赤い。そのギャップが愛おしくて、つい笑ってしまう。
「私は、お嬢様の笑顔を一番近くで見れたら、それで十分ですよ」
「それだけじゃ、わたくしが納得できないわ」
「……お嬢様は、意外と頑固ですよね」
くすっとロレンツォが笑う。
「なにかあったら、すぐに言います。その時は、拒まずに受け入れて下さい。お嬢様に拒まれたら、私は生きていけませんから」
「約束するわ」
即答し、ロレンツォの目をじっと見つめる。
「他にも、なにかあったらすぐに言って」
誰かのためになにかをしたい……こんなことを思うのも、生まれて初めてだ。
自分がなにかをして、相手が喜んでくれること。
それがすごく嬉しいんだってことも、ロレンツォが教えてくれた。
「わたくしを迎えにきてくれたこと、きっと後悔させないから」
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