第12話 貴方の物

「……申し訳ありません、お嬢様」


 絞り出したようなロレンツォの声は震えていて、泣いてしまうのではないか、と思うほどだった。


「どうして謝るの?」

「お嬢様の気持ちも考えずに、酷いことをしてしまいました」

「……そうね」

「ただ私は……いや、俺は、怖くて」


 ロレンツォが荒々しく頭をかいた。


「お嬢様が誰かの物になるのが……俺から離れていくのが怖かった」

「ロレンツォ……」

「お嬢様を自由にしてあげたくて、俺が屋敷から連れ出したっていうのに」


 なんでも欲しい物を与えてくれて、なんでも好きなことをしていいと言ってくれて。

 ロレンツォはたくさんの自由をくれた。

けれど、他の男と関わることには、やたらと厳しい。


 ロレンツォ自身が、そこに矛盾を感じているのかしら?


「……あの男から聞いただろう。ロンバルディ家で働く前の俺は、かなり酷い有様だった」


 ゆっくりと息を吐いて、ロレンツォが話し始める。彼が過去の話をしてくれるのは初めてだ。

 執事としてロンバルディ家で働いていた時も、ロレンツォが生い立ちについて口にすることはなかったから。


「俺は、母親と不倫相手の間にできた子だ。まあ、父親の顔なんて見たこともないけどな」


 投げやりな口調でそう言い、自嘲するように軽く笑う。

 そんなロレンツォを見るのは辛い。しかし、一瞬たりとも目を逸らさない。


「俺の父は、異国の商人だったらしい。一時期プリマヴェーラに滞在した時、母と関係を持ったそうだ。俺が生まれた頃にはもう、自分の国へ帰っていたらしいが」

「……そうだったのね」

「ああ。俺が生まれた瞬間、母が不倫をしていたことが分かった。この赤い瞳のせいで」


 ロレンツォが自らの目を指差す。綺麗だとしか思っていなかった瞳が、急に彼を傷つけるものに見えてきてしまう。


「生まれてすぐ、親に捨てられた。その後はいろいろ……本当に、いろんなことをやった」


 プリマヴェーラは豊かな街だ。しかしその分、金がない者には厳しい。

 親もなく、異国の血を引いているという差別を受けながら、ロレンツォがどんな生活をしていたかを想像するだけで泣きそうになる。


 辛かったけれど、わたくしにはちゃんと家があって、少ないけれど食事だって与えられていたわ。

 でも、ロレンツォはそうじゃなかったのね。


「そんな時、ロンバルディ家に雇われた。まあ、異国の血を引く俺を雇うこと自体が、周りに対するパフォーマンスだったことは分かっていたけど」


 どんな言葉をかければいいのか分からなくて、ただ黙って話を聞くことしかできない。


「俺も別に、生きていくだけの金がもらえるなら、なんだってよかった」


 そう言って長い息を吐いた後、ロレンツォはラウラを見つめた。

 そして、いつも通りの柔らかい微笑みを浮かべる。


「そんな時、お嬢様に出会ったんです」

「わたくしに?」

「ええ。ロンバルディ家の長女でありながら虐げられていて、それなのに、お嬢様は強かった」

「……わたくし、強くなんてなかったと思うけど?」


 マルティナや義母に反抗することもできず、言われた通りに雑用をこなしていた。

 酷い態度をとられても、やめてくれと怒鳴ることもできなかった。


 そんなことをしても、意味がないって分かってたもの。


「お嬢様は強かったですよ。虐げられていても、お嬢様はちゃんと自分を保っていた。……俺のように、世間全てを憎むこともなく」

「……それはただ、勇気がなかっただけよ」


 全てを恨み、屋敷を一人で飛び出していく勇気が持てなかった。

 だから辛くても、ずっとあの家から逃げられなかった。


「俺はそうは思いませんよ。それに、お嬢様は初めて、俺の目を褒めてくれたんです。俺はずっと、この目のせいで苦しんできたのに」

「ご、ごめんなさい。わたくし、そんなこと知らなくて」

「俺は、その言葉に救われたんですよ。それにお嬢様だけが、俺に普通に接してくれた」


 いきなり、ロレンツォに抱き締められた。ただ、強い力じゃない。少しでも力を入れたら、簡単に逃げ出せるだろう。


「ありがとうございます、お嬢様」

「……ロレンツォ」

「お嬢様に褒めてもらえて、俺は初めて……なんというか、自分の存在を肯定されたんです。ずっと否定され続けてきた俺が、生まれて初めて」


 ラウラはただ、綺麗なものを綺麗だと褒めただけだ。

 でも、その一言が、ロレンツォの支えになったのかもしれない。


「俺にとってお嬢様は、その日からずっと特別で……大切で。ただ、それだけのはずだったのに、いつからか、誰にも渡したくないと、そう思うようになりました」


 ロレンツォは強い。そして、勇敢で賢い。

 きっかけになったのがラウラの一言だったとしても、今の地位を築いたのはロレンツォ自身だ。


 分かっている。なのに……なのになぜか、守ってあげたい。そんな風に思ってしまう。


「ねえ、ロレンツォ」

「はい」

「やっぱり貴方の瞳、すごく綺麗だわ」


 異国の血を引く、美しい赤い瞳。外の世界に憧れていたこともあって、ロレンツォの瞳が好きだった。

 でも今は、それだけじゃない。


「安心して、ロレンツォ。わたくしは貴方の物よ。他の誰かの物になったりしないわ」


 きっと、言葉だけじゃ気持ちは伝わらない。けれど、ちゃんと伝えたい。

 わたくしにとっても、ロレンツォが特別で、大切な存在だということを。


「目を閉じてくれる?」


 言われた通りにロレンツォが目を閉じる。ラウラは軽く深呼吸をして、そっとロレンツォに口づけた。

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