第19話 その時は

「人に希望を……?」

「ごめんなさい。ちょっと、抽象的だったわね」


 そっと息を吐いて、頭の中を整理する。そして、考えたことを全てロレンツォに話した。


「……なるほど。つまりお嬢様は、誰かの心の支えになるような品を販売したいと?」

「そういうことになるわね。わたくしはたまたま、そういう物を手に入れられたけれど、きっと、そうじゃない人も多いと思うの」


 気紛れにだが、アンドレアが異国の雑貨をくれた。どんな物でも嬉しくて、もらってしばらくはずっと笑顔でいられたものだ。


 ……なんて、アンドレアの話をしたら、ロレンツォは怒りそうだからやめておこう。


「私にとっては、お嬢様の存在そのものが、心の支えでした」


 ロレンツォが笑う。


「誰かの心を支える、なんて、お嬢様らしい考えかもしれませんね」

「ロレンツォ……」

「もちろん、私以外がお嬢様そのものを心の支えにするなんて、とても許せませんが」


 わたくしらしい、なんて思うのは、きっとロレンツォくらいだわ。

 他人を支えたいなんて思う余裕、昔のわたくしにはなかったもの。


「わたくしと同じように、海の向こうに憧れる人が多いのよね」

「はい」

「だったら、わたくしのように、小さな雑貨なんかを大事にしている人も多いんじゃないかしら?」

「そうですね。手頃な品だと、雑貨や髪飾り類は人気です。ただ……」


 溜息を吐き、ロレンツォが少し複雑そうな顔をする。


「異国の品は基本的に、どれも高価なんです。心の支えにしたいと思っても、買えない人も多い」

「……そうよね」


 先日ロレンツォに買ってもらった日記は、輸入品の中では安価な物だ。しかし、貧しい人が気軽に買えるような品ではない。


 貧しい家庭ならきっと、二日くらいの食事代にはなったはずだわ。


「品物自体が安価でも、異国から運んでくるという手間がかかっているんです。その手間には、かなりお金がかかってしまうんですよ」


 フラヴィアのことを思い出す。彼女も、仕立てた服が高価になってしまい、幅広い人が手を出せないことを気にしていた。


「どうにか、安く売る手段はないのかしら?」

「……お嬢様の頼みであれば、私が頑張ることはできます。ですが、それでは商売としては成り立ちませんね」

「ロレンツォに無理をさせるつもりはないの!」


 何かを販売する以上、利益がなければ成り立たない。利益がないどころか損失が出てしまうようなら、続けることだってできないだろう。


 ここはプリマヴェーラ、商人の街。

 ここでなにかをするなら、わたくしも、利益を出すことを考えなきゃいけないわ。


「ただ……力を貸してほしいの」


 商売に関して、ラウラは全くの素人だ。それに、異国とのコネもない。


「甘えてばかりで申し訳ないけど……」

「そんなことありません。それに、私以外の誰かを頼るなんて言い出したら、またお仕置きをするところでしたよ」


 冗談めかしてロレンツォが言ったが、瞳は全く笑っていなかった。


 そういえばあの時の噛み痕、もう完全に消えちゃったわね。


 そっと手で首筋に触れる。痕がついたばかりの頃は、髪で隠さなきゃ……と出かける前に確認していたものだ。

 痕がなくなって、ずいぶん楽になった。


 でも……ちょっと寂しいなんて言ったら、ロレンツォはどんな顔をするのかしら?


「お嬢様?」

「なんでもないわ」

「では、そろそろ屋敷に戻りますか?」

「……もうちょっとだけ、ここにいたいわ」


 海の匂いがして、海の風を感じる。

 わずかに肌寒いけれど、心地よい場所だ。


 それに今は使用人たちも離れていて、ロレンツォと二人きり。


 今のわたくしは、ロレンツォと比べてまだまだだわ。

 でもいつか、堂々と胸を張って、ロレンツォの隣に並べるようになりたい。


「ロレンツォ」


 ロレンツォは、赤い瞳でラウラをじっと見つめた。月明かりに照らされた瞳は、今日も美しい。

 そして、ロレンツォの瞳に映るラウラは、幸せそうに笑っている。


 わたくし、こんな顔をするようになったのね。


 ロンバルディ家にいた頃の自分からは想像もできない。


「将来、もしわたくしがロレンツォに相応しい女性になれたら……」


 鼓動が速くなる。緊張で、わずかに身体が震えた。

 でも、海から吹く風が、そっとラウラの背中を押した。


「その時は、ロレンツォもわたくしの物になってくれる?」

「……お嬢様、それ、それって」


 月の光に照らされたロレンツォの顔は赤い。そのままの顔で、ロレンツォはゆっくりと頷いてくれた。

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