第16話 再会

 馬車に何日も揺られ、宿に泊まり、船で湖を越えて。

 そうしてようやく隣国に着いた。

 新しく設立される学園の位置を、魔法協会経由でもらった地図で確認する。

「明日には着きそうだな」

 ルーク兄様が、わたしの広げた地図を覗き込みながら、言った。

「そうですね」

 どきどき。

 胸が高鳴って、どうしようもない。

 ぎゅっとペンダントを握りしめる。

 逃げてきたのではない。

 辛かったわけでもない。

 だけど、このペンダントでウォルター先生に連絡してみようかな……。いや、もう手紙は出したけど。そちらに向かいますって。

 ああ、ウォルター先生はなんて言うかな。

 よく来たな、とか。がんばったな、とか。言ってくれるかな……。

 あまりにどきどきしたので、最後の宿に泊まるときに眠れなくなるかなと思ったけど。ペンダントを握りしめていたら、すぐにすうすうと眠ってしまった。

 翌日。

 空は雲一つない快晴だった。

 ああ、今日、ウォルター先生に、会えるんだ。

 気持ちが、膨らんで、どうしようもなくなって。

 思わずペンダントに向かってわたしは叫んでしまった。

「先生、わたし、もうすぐ先生に会えるっ!」

 途端に黒曜石みたいな黒い石が、キラッと輝いた。そうしてその光はすぐに消えた。

 ……届いたのかな、わたしの声。

 とにかく、地図に書かれている魔法学校へ向かう。

 地図を見た馬車の御者は、「ああ、これなら昼過ぎには着きますよ」と言ってくれた。

「昼ご飯を食べてから学園に行こう」と言うルーク兄様に、「食事なんて後でいいから早く着きたい」とわたしが言ったら、ルーク兄様に頭を小突かれてしまった。

「お前は良いけど侍女も護衛も御者も腹が減るんだよ」と。

 むすっとしたら、ルーク兄様が、いったん馬車を止めて、ふらりとなにかの店に入って行った。しばらくしてから戻ってきた。手に何かを持っている。買い物したの?

「ほら、これやるから機嫌直せ。それで、ちゃんと食事をしろ」

 手渡されたのは、赤い色のリボン。

 そこにきれいな模様が金色の糸で刺繍されていた。

 物で釣るなんて、わたし、子ども……?

 でも一応、ルーク兄様に「ありがとう」を言っておく。

 じっと、もらったリボンを見ていたら、赤に金なんて、ウォルター先生の髪の色と瞳の色の組合わせだな……なんて、ふと思った。

 これ付けていたら、ウォルター先生どう思うかな……?

 ちょっとどきどきしながら、それでもわたしはルーク兄様にもらったリボンをつけてみた。

「どうですか、兄様」

 聞いてみたら、「いいんじゃないのか」とそっけなく言われた。

 馬車に一緒に乗っていた侍女が手鏡を出してくれた。

 その鏡に向かって、にっこりと笑ってみる。

「うん、いい感じです。大事にしますね、ルーク兄様」

「ああ」

 食事をとった町から、更に小一時間ほど馬車に揺られた郊外。

 そこに建つ青い屋根と白い壁の、まるでお城のような建物が見えてきた。

「あれが、魔法学園……」

「……になる予定の宮殿だな。元々はなんとかっていう王族の避暑地として作られたとか」

「そうなんだ」

「と、さっきの町の店の人が言っていた」

 整備された道がその宮殿までまっすぐに伸びていた。そして、門があって……、その前に、誰かがいる。

 赤い髪の大柄な男の人。うろうろと、門の前を行ったり来たりしている。

 ウォルター先生だ。

 絶対に、そうだ。

「馬車、止めてっ!」

 御者に叫んで。わたしは馬車のドアを開ける。まだ走っている馬車から飛び出しながら、大きく右腕で円を描く。

 わたしの得意なシャボン玉の魔法。

 その中に入って、それから、風の魔法で、シャボン玉を飛ばす。

 馬車なんかよりももっと早く。

 前に、前に、前に。

 ウォルター先生のところまで、出せる限りの最大の速力で。

「おい、レシュマっ!」

 後ろから、ルーク兄様の声が聞こえてきたけど、ごめんなさい。わたし、じっとしていられないの。

 早く、早く、早く。

 心が、走る。

 ルーク兄様が叫んだからか、馬車よりも早く飛ぶシャボン玉が見えたのか、ウォルター先生がうろうろした動きをとめて、わたしのほうを見た。

 驚きで、口をあんぐりと開けたウォルター先生。

 わたしは更に加速する。もっと、ずっと、早く。

 そして、シャボンを割って、そのままウォルター先生に飛びついた。

「ウォルター先生っ!」

 両手を伸ばして、先生にしがみつく。

 ウォルター先生は「うおっ!」と言いながら、それでもわたしを抱きとめてくれた。

「先生っ! またわたしに魔法、教えてくださいっ!」

 そう言ったら、ウォルター先生は「お前なあ、レシュマ……」と呆れたみたいに笑った。

「すっげえ心配して、すぐにでも迎えに行こうかと思っていたのに。自力で乗り越えて、しかも自分でここまでやってきて。開口一番それかよ」

 片手でわたしを抱き上げながら、もう片方の手でわたしの頭をわしわしと撫ぜてきた。

「手紙、読んだ。頑張ったな、レシュマ」

 そう言いながら、ずっとわたしの頭を撫で続けてくれるウォルター先生。

 ああ、この大きくてあったかい手に……わたしはずっと支えてもらってきたんだな……と思ったら、胸の中がぎゅーっとした。

「わたし、やっぱり魔法が好き。だから、もっとたくさんウォルター先生に教えてもらいたいの」

「ああ、良いぜ……と言いたいところだけど、もうお前、一人前の魔法使いだしな。教えるというよりは共同研究か?」

「共同研究っ! そ、そんなレベルには、まだ達していないかも……」

 教えてもらうことばかりが大きいような気がする。

 だけど、そう言ってくれているということは、わたしの魔法を、ウォルター先生は認めてくれているんだ……。嬉しくて、顔が緩む。

「いや、十分だろ。シャボン玉、こんな速度で飛ばすなんて、いつできるようになったんだよ……」

「えーと、それは、あの……。いざとなったら、シャボン玉に乗って、ウォルター先生のところまで行こうと考えて」

 がんばりましたと胸を張ったら、ウォルター先生は「マジか」と唸った。

「……あぶねえことは、してねえな?」

「えーと……」

 視線を逸らしたら、カワセミみたいな緑色の髪が見えた。ジードさんだ。

「あーのー、二人とも、そういうことは公衆の面前ではなくて、こっそりどっかでやってちょーだいよ」

 そういうことってなんだろう?

 抱き着いたまま、首をかしげる。

「まあまあ。ウォルターのモテ期なんて、今後ないじゃろうから、大目に見なさいよ、ジード」

 ジードさんの後ろからゆっくりと歩いてきた、白いひげのおじいさんたち。そのうちの一人が言った。着ているローブからすると、魔法使いの人たちだよね。

「……とりあえず、おひさー。ウォルターは、よじ登るにはちょうどいい大木だけど、レシュマちゃん、淑女でしょ?」

「淑女というより新人魔法使いですが」

 離れたくないなーと思いつつ、ウォルター先生の腕からふわりと飛び降りて。そして、ローブの裾を摘まんで淑女の礼をする。

「お久しぶりです、ジードさん。それから初めまして、魔法使いの御先輩がた。先日、魔法使いに仲間入りさせていただきました、認定番号二百十二番、レシュマ・メアリー・ミラーでございます。以後、よろしくご指導くださいませ」

 アルウィン侯爵家仕込みの、完璧に美しい礼を披露してみた。

「うわっ! レシュマちゃんがちゃんとしたお嬢様に見えるっ!」

「ええ、元婚約者のお家が立派な高位貴族でしたから。きっちりと礼儀作法は仕込まれておりましてよ」

 お嬢様っぽく「つんっ!」って感じに言ってみたら、ジードさんには爆笑された。

 ウォルター先生には「レシュマ……」と、気遣うような顔で見られた。

「婚約は解消となって、もろもろ全部すっきりして、そうしてここまでやってきました。改めて、魔法、勉強したいので、今後ともどうぞよろしくお願いしますっ!」

 満面の笑みで言ったら、追いついたルーク兄様に後ろから小突かれた。

「レシュマっ! いきなり馬車から飛び出してっ! 危ないだろうっ!」

 えーと、ちゃんと計算……は、してないけど、全力出しても、きっとウォルター先生が受け止めてくれるって思ったから。だから、大丈夫なんですとか言ったら。

 ルーク兄様にはもう一回、頭を叩かれた。痛い。

 ジードさんは温い笑みを浮かべているし、ウォルター先生は「まあ……その、なんだ。ちゃんと守ると約束したしな……」と言いながら、人差し指で頬をポリポリと掻いた。

 そうして、盛大な溜息をついたルーク兄様が「……不肖の妹が、お世話をおかけいたします……」と、ウォルター先生に向かって、深々と頭を下げた。

「あ、いや、その。レシュマは、その、オレの……弟子であるので。面倒を見るのは当然というかなんというか……」

 あたふたと、ウォルター先生がルーク兄様に言う。

「……そこでさあ、胸張ってレシュマちゃんのことは一切合切お任せくださいとか、一生涯面倒を見ますとかって言えないウォルターはヘタレだよねぇ」

 ますます温い笑みになったジードさん。

 んんん? なんだろう?

 わたし、ウォルター先生の弟子だし。約束もしたし。だから、安心しているんだけど。なんなんだろう?

 首を横に傾げていたら、いかにも好々爺って感じの穏やかな笑みを浮かべていた魔法使いの人たちも、穏やかから温い感じに笑みを変えた。

 んんん? なんだかよくわからない。

「まあ、なんだの、レシュマ嬢。何はともあれ遠路はるばるようこそ、儂の魔法学園へ。せっかく来てもらったのだから、いろいろと働いてもらおうかいな。レシュマ嬢の実力は、そこのウォルターとジードからいろいろ聞いておるしの」

 さっき「大目に見なさいよ、ジード」とか言っていたおじいさんが、わたしに向かってそう言ってくれた。

「え、本当ですか⁉ ありがとうございますっ! 実力はまだまだですが、熱意だけは誰にも負けないつもりですっ! どうぞよろしくお願いしますっ!」

 ペコリ、と頭を下げる。

 それにしても、このおじいさんは、誰だろう?

 儂の魔法学園って、今言ったってことは……まさか。

「あー、レシュマ。そこのジジイがローレンス・グリフィン・ミ……」

「えっ! ご本人様っ⁉」

 ウォルター先生の言葉を遮って、わたしは叫んでしまった。

 憧れの、あの、偉大なる魔法使い、ローレンス・グリフィン・ミルズ様が、今、わたしの目の前にっ! しかもわたしの名前を呼んで、しかも、働いてもらおうかいなって……。

 きゃああああっ! こ、この幸福を、なんて表したらいいの⁉

「うっわ、レシュマちゃんがすっげえキラッキラの目で、ローレンス師を見てる……」

 だってっ! わたしにとってはローレンス・グリフィン・ミルズ様とかベン・ラッセル・ケンプ様と言ったら、雲の上の存在というか、もう崇めるしかないくらい偉大なる魔法使いなのよっ!

「…………レシュマの憧れの二大魔法使いのうちの一人だからな、このジジイは……」

「ジジイって……、口が悪いよウォルター。まあ、こんなイイヒト面して、人使い荒いから、クソジジイと言いたくなる気持ちはわかるけど」

「クソまではつけてねえし。まあ、なんだ。レシュマが元気で何よりだ……」

 ちょっと疲れ気味に、そうウォルター先生は言うけど。

 隣国にやってきて、ウォルター先生に再会して。それだけじゃなくて、いきなりローレンス・グリフィン・ミルズ様にまでお会いできるなんてっ!

 わたしって、なんてしあわせなんだろうっ!

 今なら、シャボン玉に乗って、太陽に届くくらいの高い空まで浮かび上がっていけそう。

 そう言ったら「……一人では絶対にやるな。やるならオレがいる場でだぞ」とウォルター先生に念押しされてしまった。

 ああ、空は晴れて、雲一つない。

 きっとわたしの人生も。

 ウォルター先生がいたら、きっと、毎日、魔法まみれでしあわせだ。

 嬉しくなって、わたしはまた、飛び上がって、ウォルター先生に抱き着いた。






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