「醜い嫉妬はするな」と婚約者が言ったから ~ 恋心は淡く消えた ~
藍銅 紅(らんどう こう)
第1話 婚約
「……レシュマに、婚約の話がきた」
大嫌いなピーマンを、口の中にむりやり突っ込まれたみたいな顔で、お父様が言った。
「こんやく?」
こんやくってなんだろう?
わたしは意味が分からず、首をこてんと横に倒す。
「結婚をしましょうという約束のことよ」
お母様がニコニコと笑いながら、わたしに言葉を説明してくれた。
「けっこん……って、まさか結婚⁉」
結婚っていうと、アレでしょう? 絵本に書いてあった『そして、お姫様は王子様と結婚して、末永く幸せに暮らしました』というヤツ。
つまり、わたしと結婚したいって、だれかが言ってきたってことなの?
お母様は「レシュマにも、もうそんな話が来るようになったのねえ。どこの殿方に見初められたのかしら~」などと、のほほんと言っているけど。
わたしとっ!
結婚⁉
そんな馬鹿な‼
驚いて、わたしは座っていたソファから転げ落ちそうになった。
そうしたら、お母様とルーク兄様に、無作法を咎められた。
……ごめんなさい。わたしは淑女、貴族の令嬢です。きちんと優雅に座ります。
背筋を伸ばして座りなおす。
そうして、ゆっくりと優雅に見えるように、紅茶のカップに手を伸ばす。
……ちょっと落ち着こう。うん、お茶でも飲んで落ち着こう。
でも、わたしが驚くのも無理はないと思うの。
身分が高いとか、美少女で有名……というのならともかく。わたし、ちょっと魔法が使えるだけの、ごく普通の子爵家の娘。
うちの国の爵位は上から、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五つ。
魔法伯っていう地位もあるけど、それは、魔法使いのための特別な名誉みたいなものだから、ちょっと別。
だから、うちは貴族だけれど、下から二番目でしかない。領地はあるけど、小さいし。お金に困ってはいないけれど、王都に店を構えている商人たちのほうがお金持ちだろう。
高位のご令嬢なら生まれた時から結婚相手が決まっているだろう。でも、子爵程度の位では、そんなに早くに結婚相手は決まらない。十五歳になって、貴族の令息や令嬢が通う学園に入学してから、がんばって、なるべく条件の良い人を見つけるのが一般的。
既に学園に入学しているルーク兄様だって、結婚相手は見つかっていない。急いでわたしを確保しておきたい……と思われるような爵位ではない。
外見だって、わたしはごく普通。
というか、むしろ地味。
黒色のまっすぐな髪の毛と、若草色の瞳。
キラキラの金髪とか、燃える炎のような赤い髪をしたご令嬢とかなら目立つだろうけど、貴族令嬢の集まりとかに、お母様に連れて行ってもらっても、集団に埋没している程度の外見でしかない。
見初められるなんてありえない。
不思議に思って、わたしはお父様を見つつ、首を横に傾げる。
お父様はテーブルに肘を立てて、両手を組み合わせていた。なんか、すっごく苦悩がにじみ出ている……。
「えーと、お父様?」
「ああ……、レシュマ、すまないな。この婚約を断れない、ふがいない父を許してくれ……」
断れない婚約?
ふがいない?
お父様の様子に、浮かれていたお母様も顔を引き締めた。
ルーク兄様もいぶかしげな顔だ。
「断れないとは……、相手はだれなのですか?」
お兄様が聞けば、お父様は溜息を吐き出しながら、重々しく答えた。
「……スティーブン・オーブリー・アルウィン侯爵令息だ」
侯爵令息⁉
わたしはまたソファから転げ落ちそうになった。
侯爵家だったら、王家のお姫様とだって結婚できるはず。
なのになぜ、子爵家の娘でしかないわたしに⁉
わたしは、その身分の違いに驚いたのだけど、お母様とルーク兄様は違った。
「あのアルウィン侯爵令息ですか⁉」
「ちょっと待って、あなた。アルウィン侯爵令息って、あの、何度も婚約と婚約解消を繰り返していると噂の……」
驚くべき点は、侯爵家という身分ではなく、スティーブン様という個人にあるらしかった。
しかも婚約と婚約解消を、何度も繰り返して、しかもそれが噂になるほどなんて……すごいな。
えーと、すんごいお年寄りとかなのかな?
うーん、いくらなんでもおじいちゃんと結婚するのは嫌、かな? あ、お年寄りでも、かの有名な魔法使いのローレンス・グリフィン・ミルズ様とかベン・ラッセル・ケンプ様とかだったら、わたし、むしろ喜んで嫁いじゃうかも!
わたし、魔法が好き。
だから、嫁ぐなら、できれば魔法使いの家系がいいなーって思っていた。
お家に魔法書がいっぱいある家でもいいけど。
侯爵家なら、お金もあるから、魔法書もたくさんある、かな? 読ませてもらえるだろうか?
なので、言ってみた。
「お父様、侯爵家なら、魔法の本がいっぱいありますよね。わたし、本が読めるなら、お年寄りと結婚してもいいですよ」
断れない婚約なら、楽しみを見つければいいじゃないの……というくらいの気持ちで、わたしは言ってみたのだけれど。
お父様もお母様もルーク兄様までもが変な顔になった。
「……レシュマ、アルウィン侯爵令息は、お前と同じ十三歳だ。年寄りではない」
「え、えええええええっ!」
更にびっくりだ。
わたしと同じ年なのに、噂になるくらいに婚約と婚約解消を繰り返しているの?
噂になるくらいだから、一回や二回じゃないんだよね? もしかして、十回以上繰り返しているとか?
「えーと、じゃあ、すんごいブサイク?」
侯爵家という身分の高さにもかかわらず、お断りされるくらい顔がお悪いのかなあ……と、思ったのだけれど、それも違った。
「天使と見まごうくらいには美しいという評判だ」
「え……」
身分が高くて、顔が良くて、十三歳の男の子。
結婚したいと思うご令嬢が、百人や二百人はいそうだけど。それなのに婚約と婚約解消を繰り返しているって……。
「性格が悪いのかな……。もしくは暴力的なの?」
それくらいしか、理由が思いつかない。
そんな人と、わたしは婚約するのか……。
嫌……だな。
だけど、相手は侯爵家。
ああ、だから、お父様のお顔が苦悩に満ちていたのか。
「と、とにかくっ! 社交シーズンで、アルウィン侯爵家の皆様がたも、我が家の者たちも、王都に留まっている間に見合いを、と言われている」
気候の良い三月から六月くらいまでは、わたしたち貴族は自分の領地ではなくて、王都にやってきて、そこで社交に勤しむのだ。
そのために、ちゃんと王都には自分の家……タウンハウスも用意してある。
ルーク兄様はもう貴族学園に通っているから、領地に戻らないで、一年中ずっとこのタウンハウスにいるけど。わたしとお父様とお母様は、社交シーズンが終わったら、馬車に揺られて領地に戻る予定。
今はもう五月。
ということは、あと一か月以内にお見合い⁉
マナーとか、大丈夫かな……。家庭教師の先生に、再教育とかを受けさせられそう……。魔法書を読む時間……、なくなっちゃったら嫌だなあ……。
わたし最近、魔法の勉強が楽しくて。隙あらば魔法の練習をしているの。特に風の魔法。お風呂に入った後、風を起こして髪を乾かしたりとか。便利だからというだけではなく、単純に楽しいのよ。
我が国の歴史とか、淑女としての作法とか、そんなものはなかなか覚えれないけど、魔法は楽しいから、すぐに覚えられる。
初級魔法の先生だって「レシュマお嬢様は、魔法の筋がよろしいですね」って褒めてくれるし。
魔法の練習をする時間が減るのは嫌だけど、もしも侯爵家の、えーと、スティーブン様と婚約したら、侯爵家所蔵の魔法書とか、見せてもらえるかな……。
だったらいいなーと、わたしはちょっとだけ期待した。
☆★☆
結局、わたしとスティーブン・オーブリー・アルウィン侯爵令息のお見合いは二週間後に決まった。
お見合いっていうか、問題がなければ、その場で婚約を結んでしまうとのことだった。
「……すぐに婚約は解消になるかもしれんが……」
お父様もお母様も、そう言いながら、お見合いの準備に余念がなかった。
相手が侯爵家だから、無作法とかしたら……とか思うと、怖いもんね。
それで、この二週間、予想通り、わたしは徹底的にマナーを叩きこまれた。
厳しかった……。
髪も胸のあたりで丁寧に切りそろえられ、昨日の夜なんて、その髪の毛にはちみつまで塗り込められた。髪に潤いを与えるとかなんとかで。
おかげで、今、わたしの髪はつやつやしていて、すごくきれい。
ドレスも新しいのを買ってもらった。
わたしの瞳の色に合わせた若草色。裾のレースは白。
新しいドレスは嬉しいけど。だけど、腰のあたりでぎゅうぎゅうに締め付けられているから、ちょっと……いや、だいぶ苦しい。
婚約を結ぶのって大変なんだなーなんて、他人事のように思っている。
「お前の婚約なんだぞ」
ルーク兄様に、頭を軽く小突かれたけど、実感がないものは、ない。
それに、わたしがアルウィン侯爵令息と婚約を結んだところで、すぐに解消になるかもしれないんでしょう? なにせアルウィン侯爵令息は、今までに何度も婚約解消を繰り返しているんだから。
だからねえ、一生を左右される、なんて感じは全くない。
嵐が来ちゃったから、その嵐が通り過ぎるまで、亀みたいに首を引っ込めて、待っていましょう……という感じが近いかな……。
とりあえず、乗り切りるしかない。
ということで、わたしはお父様とお母様とルーク兄様と一緒に、馬車に乗ってアルウィン侯爵家に向かったのだ。
で、王都のアルウィン侯爵家のお屋敷は……もんのすごい大きかった。敷地もすごい広かった。
「え、ここ、王様の住むお城っ⁉」
「アルウィン侯爵家のタウンハウスだ。王城並みの規模ではあるが。王城はもう少し大きいな……」
うっそでしょうお父様⁉
大声を出しかけて、わたしは慌てて口を両手でふさいだ。
それにしても大きいし広い。広すぎる。
最初にね、門をくぐったから、ああもう着いたのかな……と思ったのに。延々に……と言いたくなるくらいに芝生の庭と木立が続いていた。
二番目の門をくぐったら薔薇園が見えた。色とりどりの何種類もの薔薇が、咲き乱れている大きな庭園。ここ公園かな……とか思ったら、アルウィン侯爵家のお屋敷の、前庭だってお父様が言って。
更にその薔薇園の先にある三番目の門を通って、ようやくたどり着いたのが、ここ。
お城と見まごう規模のタウンハウス。
同じタウンハウスと名はついていても、うちの子爵家のタウンハウスなんて、きっと前庭の薔薇園の花壇よりも小さいよ……。
さすが侯爵家。
わたしは妙に感心してしまったわ……。
しかし、驚くのはまだ早かった。
アルウィン侯爵はナイスミドルというか、アゴヒゲの麗しい、イケオジ様でいらっしゃった。
アルウィン侯爵夫人なんて、直視したら、目がつぶれるんじゃないのっていうくらいの、神々しさ。深い海のブルーの髪。絵本で読んだ海の女神様ってこういうカンジかな?
「まあ、いらっしゃいませ。ミラー子爵家の皆様。本日はどうぞよろしく」
夫人の声が、銀の鈴を転がすようだ。麗しいを通り越して、まるで天上の音楽みたい。
そうして、イケオジと女神の間のお子様でいらっしゃるスティーブン・オーブリー・アルウィン侯爵令息は、光を纏った天使のようだった。
艶のある青灰色の髪と、スレンダーな体つき。侯爵家の令息としてふさわしい、堂々とした態度と表情。青い瞳がじっとわたしを見つめている。
「やあ、はじめまして。キミが僕の新しい婚約者かい?」
その青の瞳でじっと見つめられて、わたしは瞬時に恋に落ちた。
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魔法で恋心を消さない、別バージョンの話です。
第3話くらいから、『「醜い嫉妬はするな」と婚約者が言ったから』オリジナルバージョンとは少しずつ、内容が変わってくると思います。
『「醜い嫉妬はするな」と婚約者が言ったから ~ 恋心は淡く消えた ~』のほうも、よろしくお願いします!
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