第13話 約束

「ウォルター先生……、どうして隣国になんて……」

 魔法を、教えてもらえなくなるだけでなく、ウォルター先生がいなくなる。

 目の前が、真っ暗になりそうだった。

「ローレンス・グリフィン・ミルズ様がな、隣国で新しい魔法学校を設立する。で、オレはその学校で講師をやる」

「えっ!」

 新しい魔法学校。

 しかも、ローレンス・グリフィン・ミルズ様の……。

「お前とか、他の貴族の令息や令嬢に、ずっと魔法を教えていた実績を買われてか、誘いが来た。アルウィン侯爵夫人との契約も切れるし、ちょうどいいかと思って引き受けた」

「そ、そう……ですか……」

 喜ばなくちゃいけない。ウォルター先生にとってはすごいチャンスになるはずだ。だって、あのローレンス・グリフィン・ミルズ様が新しい学校を作って、講師としてその学校で教鞭をとるんなんて、すごい、ことだ。

 ……なのに、わたし、喜べない。

 会えなくなる。

 遠くに行ってしまう。

 隣国なんて、遠すぎる。

 馬車で、何日かかるの? 船に乗るの? それとも……。

 隣国で忙しくしていたら、わたしのことなんて、忘れてしまうかもしれない。

 わたし以外に、新しい別の人がウォルター先生の弟子になって、ウォルター先生は、その人を……大事にするかもしれない。

 ああ……嫌だ。わたし、泣きそうだ。

 喜ばなきゃいけないのに。おめでとうございます、あちらでも頑張ってください、ウォルター先生に教えてもらった魔法は、わたし、絶対に忘れないし、もっともっと努力して、みんなに喜ばれるような魔法をたくさん開発してみせますって……言わなきゃ、いけない、のに。

 もう、わたし、一人前の国家認定魔法使いですって、胸を張らなきゃいけないのに。

 ああ、ダメだ。

 さみしくて、辛くて……。どうしても、涙が、零れ落ちそうになる。

「だから……な、レシュマ」

 もうサヨウナラだ。

 そんな言葉を聞きたくない。耳を塞ぎたい。逃げ出したい。

 だけど、ウォルター先生が言ったのは、別の言葉だった。

「オレと一緒に……隣国に行かねえか? ほ、ほら、ジードも一緒に魔法学校で教鞭をとるし、お前も、もう国家認定の魔法使いなんだから、あっちで仕事なんていくらでもあるし、その、お前さえ、良ければ、なんだけど……」

 行きたい。

 わたし、ウォルター先生と一緒に、隣国に行きたい。

 そう、思った。

 そうしたかった。

 だけど……。

「わたし……、行けない……」

 はらはらと、涙が零れ落ちた。

「行きたい……けど、行けない。だって、わたし、まだ、スティーブン様の、婚約者なんだもの……」

 恋心なんて、もう、とっくにない。

 だけど、子爵家から、侯爵家に対して婚約の破棄も解消も、申し出ることはできない。

 そもそも、この婚約を結んだのだって、お父様がアルウィン侯爵からの婚約の申し出を断れなかったからだ。

 それに、身分的な問題がなくたって、わたしはアルウィン侯爵夫人に多大なる援助をしてもらっている。

 ウォルター先生を、わたしの魔法の先生にしてくれて。

 わたしを国家認定魔法使いにする援助をしてくれた。

 もちろんわたしも努力はした。

 だけど、すべてはアルウィン侯爵夫人がいたから、今のわたしがある。

 それを裏切って、わたしから、スティーブン様との婚約を解消することは……できないだろう。

 いや、お父様に頼めばなんとかなるかもしれない。

 だけど、そうしたら、ミラー子爵家は、貴族社会から追い出される。没落して平民になるかもしれない。少なくとも、アルウィン侯爵家の面子を潰したと言われるだろう。だって、スティーブン様の婚約者としてふさわしくあるようにって、アルウィン侯爵夫人はわたしの後援をしてくれていただけ。

 それなのに、婚約を解消とか破棄とか言ったら……不義理にも、ほどがある。

 なにもかもなげうって、ウォルター先生と一緒に隣国になんて行ったら。

 ウォルター先生にも、迷惑が、掛かる。

 きっと。ううん。絶対に。

「そっか……。やっぱりそうだよな……」

 残念そうに、ウォルター先生は言った。わたしが、断るのを元々わかっていたかのように。

「……アルウィン侯爵令息のそばに居続けるのは、まだ辛いか?」

 わたしは首を横に振った。だけど、ウォルター先生は、それをわたしの強がりだと思ったみたいだった。

「初恋ってのは、そんなに簡単に忘れられねぇよなあ……。魔法だけじゃ、お前の頭ん中、いっぱいにはならねえかぁ……」

 違うんです。もうスティーブン様なんてどうでもいい。

 ウォルター先生がいなくなることが辛いんです。さみしいんです。嫌なんです。

 口を開いたら、叫んでしまいそうだ。

 子どもみたいに泣きじゃくって「行かないで」って、縋り付いてしまいそうで。

 だから、わたしはぐっと歯を食いしばったまま、首を横に振るしかできずにいた。

 そうしたら、ウォルター先生は「これ、お前にやる」と言って黒曜石みたいな真っ黒な石が付いているネックレスを、ポケットから取り出して、わたしの首にかけてくれた。

 似ていて、そして少し大きいもう一つのネックレスを取り出して、それをウォルター先生は自分の首にかけた。

「こ、これ、なに……」

「ん。オレの魔法の、今んところの集大成。この石な、魔石。オレの魔力を目いっぱい込めてある」

 ウォルター先生の、魔法の集大成?

 手で、目を擦って、涙を止めて。じっとその黒い石を見た。

 吸い込まれそうな、黒い色。

「レシュマのほうの石から、オレのほうの石へ、言葉を伝える装置だ。オレが隣国にいようが、世界中のどこにいようが、距離なんか無関係に、お前の声をオレに届けてくれる」

「え……」

「ただ……、たった一度しか使えないし、長い言葉は伝わらない。それでも、レシュマ。お前が本当に、どうしようもなくつらくなって、全部のことから逃げたくなったりしたら。この石に向かって叫べ。そうしたら、オレは、隣国からでも世界の果てからでも、絶対にお前を助けに来るから」

 言いながら、ウォルター先生は、自分の首にかけたほうのネックレスの紐を持って、プラプラと、それを振った。

「ウォルター……、せん、せい……」

 どうしようもなくなったら。

 ぜったいに助けてくれる。

「お前が、笑って、楽しんで、魔法が使える場所、作っておいてやる。だから、安心しろ」

 ああ……。もしかして、わたしのために、隣国に行くの? 

 なんて、自惚れかもしれないけど。

 ウォルター先生は、わたしのこと、大事に思ってくれているんだ。

 隣国に行っても、わたしのこと、忘れたりしない。

 弟子として、大事にしてくれているだけかもしれないけど。それでも。きっとわたしのために。

「ウォルター先生……っ!」

 思い切り、抱き着いて、しがみ付いて。

 ウォルター先生の胸の中で、めちゃくちゃに泣いた。安心して、泣いた。

「レシュマ。お前は……オレの、その、大事な……あー、なんだ、その、弟子、だから。ちゃんと、オレが、守る。約束する」

 言ってくれた言葉に、わたしは何度も頷いた。

 大丈夫、わたし、きっと大丈夫。

 だって、わたしには魔法がある。ウォルター先生がいる。

 だから……。

 待っていて。

 時間がかかっても、わたし、スティーブン様と離れて、絶対に、ウォルター先生のそばに行く。先生のそばで、魔法を学んで、もっともっと……笑顔で。

「わ、わたし、がんばる。だから、先生……。や、やく、そく……」

 わたしが伸ばした手を、ウォルター先生が包んでくれて。そうしてそのまま、わたしの手の甲に、一瞬だけ、ウォルター先生の唇が、触れた。

「ああ、約束だ」

 触れた、熱が。

 わたしの心を、ぽかぽかと、温めてくれているみたいだった。










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