第14話 天啓

 学園に入学した。

 学園生活は、可もなく不可もなく……というところ。

 新しい制服はパリッとしていて着心地も良いけれど、わたしにとっては魔法使いのローブのほうがいい。

 友達と呼べるほど親しい人はできてはいない。

 けれど、図書室には魔法書もたくさんあって、読むのが楽しい。どんどん借りて、どんどん読んでいるうちに、目が悪くなってしまった。

 ……視力が落ちたのは、本を読みまくっているせいだけではなく、長くなった前髪のせいかもしれない。

 前髪と、それからバサバサになった横の髪の毛が相まって、耳やら目やらを覆って、すごく邪魔。

 そのうち、視力回復の魔法でも開発してみようかな……。それとも眼鏡? 前髪くらいはそろそろ切りそろえないと……。

 後ろの毛も、腰まで伸びたから重い気がする。それをリボンで無造作にまとめているだけ。……貴族の令嬢と思えないほどの、手入れのなさなのは自分でもわかっている。

 だけど、身ぎれいにするくらいなら、その時間で魔法書を読みたい。

 外見のことは後回しになってしまっているのよね……。

 きれいにして見せたい人もいないし。あ、一応、婚約者はまだいたけど。

 その婚約者であるスティーブン様とは、廊下なんかでばったり会ったときに、挨拶をする程度。一瞬すれ違う程度だから、まあいいかって感じ。

 待ち合わせて学園に向かったり、一緒に帰宅したりなんてこともしない。クラスも違うから、時間割りも異なり、昼食をとる時間も違う。

 学園にはミアさんもメイさんも来ない。

 気にかけてくれているのか、学園に入学してからしばらく経って、アリスさんから手紙が来た。

 スティーブン様が学園に通いだしてから、ミアさんとメイさんの機嫌がとても悪いこと。アルウィン侯爵と侯爵夫人の諍いが増えたことなんかを教えてくれた。だから、きっと、わたしがアルウィン侯爵夫人に呼ばれたり、お茶会に参加したりするようなこともないだろう……って。

 教えてくれてありがとうと、お礼の返事を書く。

 友人というわけではないけど、もしもわたしが、魔法に夢中にならずに、ずっとスティーブン様のことばかり考えていたら。……きっと今頃、わたしもアリスさんと同じようになっていたかもしれない。恋心をなくせないまま、ただ疲弊していく……。

 そんな想像を振り払いたくて、首を横に振る。前髪と横の毛がバサバサと揺れた。

 そうしたら、くすくすとした、嘲るような笑い声が向けられた。

 同じクラスのバーバラ様とファニー様だ。

「あら、スティーブン様ってば、今日もご令嬢がたに大人気ねぇ。ねえ、そう思わない? ファニー様」

「ええ、バーバラ様。でも仕方がないのでは? スティーブン様はとても麗しい殿方なのに、婚約者があんな人ですから……」

「ほんとよねえ。地味な顔は仕方ないとしても、髪の手入れもなさらないなんて……」

 特に親しくはない、単なる同級生。

 だけど、ファニー様とバーバラ様は、隙あらば、嫌味っぽい言葉をかけてくる。まあ、髪の毛に関しては、そうよね。わたしでも、そろそろどうにか……って感じるくらいだもの。だけど、それよりも。

 ……なんか、お二人は、ミアさんとかメイさんみたいだなあ。

 なんて、思ってみたりする。

 きっと、お二人もスティーブン様に恋をしているんだろう。 

 以前にスティーブン様が婚約と婚約解消を何度も繰り返したことなんて、この学園では噂にもなっていない。ただ、前に婚約者だったと思しきご令嬢が、スティーブン様を見て、はっとして、避ける……くらいかな? それ以外のご令嬢は、たいていスティーブン様に見惚れる。

 スティーブン様は学園に入学した前後で背が伸びた。スレンダーな体つきがまるでシャムネコのよう。どことなく高貴な気品までもが漂っている。

 ああ、どことなくというのは間違いか。侯爵家の令息としてふさわしい、堂々とした態度と表情というべきね。

 美貌にも磨きがかかった。天使のような顔……を、通り越して、もはや神々しいとも言える。

 そりゃあ、一目惚れもされまくるよね……って、納得する美貌。

 そんなご令嬢の皆さんに囲まれて、スティーブン様はご満悦だ。笑顔の大盤振る舞い。そんな感じ。

 でも甘えたがりな面は変わっていない。

 堂々とした高貴な侯爵令息が、実は甘えたがり。そんなギャップも人気の一端なのかもしれない。

 わたしはもう興味はないので、視線を魔法書に戻そうとした。

 なのに。

「ほら、見てくださいませ、レシュマ様。あなた様の婚約者であるスティーブン様が、あんなにも大勢のご令嬢に囲まれておりますわよ」

 わざわざ名指しで呼ばれてしまった。

 ああ、面倒。

 無視したままでいたいけれど、そうしたら面倒ごとになりそうな予感。仕方がなく、言われたとおりにわたしは教室の、中庭に面している窓のほうに視線を巡らせた。

 スティーブン様は、その中庭のベンチに、長い脚を組んで座っていた。大勢の令嬢たちに囲まれながら。ちやほやされて、実に嬉しそう。満面の笑みを浮かべている。

 今日はどんなご令嬢を侍らしているのやら……なんて。

 本当はどうでもいいけど、見ろと言われてしまったので、一応確認だけはしておく。

 スティーブン様の右側に座っているのは、確か、スティーブン様と同じクラスのソフィア様。それから左側に座っているのがメグ様だったっけ?

 スティーブン様が座っているベンチの後ろにいる三人のご令嬢の名前は知らない。それから、スティーブン様たちが座っているベンチの前にも五人ほどの令嬢がいる。

 つまり、大勢のご令嬢に、スティーブン様は取り巻かれ、目下談笑中……ということだ。

 ご令嬢がたの、鉄壁の結界の中に、今日はファニー様もバーバラ様も入っていくことができなかったのね。

 で、わたしに嫌みの一つでも言いに来たということか。

 なるほど、暇なのね。

 などと思いつつ、わたしは視線を中庭から自分の机の上に戻した。

 さて、続きを読むか。

 ……ええと、どこまで読んでいたっけ?

 わからなくなって、一ページ前に、本のページを戻して読み直す。

 そうそう、音声拡大の魔法の基礎理論。

 これがなかなか難しい。

 音の振動というのは空気の震えだから、音を大きく、響くようにするには……。

 震えを大きくすればいいのかな……? 

 それとも波動を細かくする……?

 音声系の魔法だから、ウォルター先生かジードさんに教えてもらいたいけど、わたしももう一人前の魔法使い。自分で……と思いつつ、いつも首から下げているネックレスにそっと触れる。

 ウォルター先生からのお守り。

 触れるたびに、あたたかい、気が、する。

 ……うん、がんばろう。

 次に会えた時に、立派な魔法使いになったなって言ってもらえるように。

 集中して……と思ったのに、ファニー様とバーバラ様が、こんどはわざわざわたしの机のすぐ前までやってきた。

 ファニー様が「バンッ!」と、わたしの机を手で叩く。

「ねえ、レシュマ・メアリー・ミラー様? あなたの婚約者であるスティーブン・オーブリー・アルウィン侯爵令息が、あのようにご令嬢がたに大人気でいらっしゃいますのに、あなたには思うところがないの?」

 わざわざフルネームで告げて、ファニー様が、わたしを睨む。だけど。

「思うところと言われましても、特に思うようなことはありません」

 座ったまま、それだけを告げた。

 立ち上がらなかったのは、あなたがたと会話するつもりはないという意思表示だ。だけど、無視するのは失礼だから、一応返事だけはした。

 さっさと立ち去ってくれればいいのに、ファニー様もバーバラ様も、わたしの前から立ち去ろうとはせずに、更に金切り声を上げる。

「思うところがないですって⁉ あなたの婚約者のスティーブン様が、多くの美しいご令嬢に囲まれ、談笑中。あなたは一人さみしく読書するしかないというのに?」

 さみしい? 

 ……ウォルター先生に、会えなくて、さみしいという感情はある。でも、そのさみしさは、別に、スティーブン様とかには無関係。

 だから、わたしは毅然と答える。

「ええ、ありません」

「身の程をご理解しているということなのかしら? だったらさっさと婚約者の地位を退いて、その地位をスティーブン様にふさわしいご令嬢に差し出すべきでしょう?」

 はっとした。

 これだ、と思った。

 まさに、雷に打たれたような衝撃。いいや、天啓かもしれない。

 ねえ、ファニー様にバーバラ様。

 いいのね?

 スティーブン様の婚約者として、あなたたちを差し出して、いいのね?

 わたしは即座に立ち上がり、まっすぐにお二人を見た。

 そして、言った。

「スティーブン様が望むなら、彼の婚約者の地位をあなたたちにお渡しします」

「は?」

「え?」

 わたしの返事が理解できなかったらしい。ファニー様もバーバラ様もぽかんとしている。わたしはファニー様とバーバラ様の手首を、がっと掴んだ。

「え、ちょ、ちょっと……」

「何をなさるの……っ!」

 これはチャンス。

 わたしが、スティーブン様とお別れするための。

 だって、子爵家の娘のわたしからは、スティーブン様との婚約を破棄も解消もできないのだもの。

 だけど、スティーブン様のほうから、婚約をなくしてくれるなら。

 可能性は、ある。

 だって、婚約者がいればいいんでしょう?

 その婚約者がわたしである必要はないんでしょう?

 誰でもいいんでしょう?

 だったら……ファニー様とバーバラ様でもいいじゃない。

 そうすれば、わたしはスティーブン様とさよならができる。

 ファニー様とバーバラ様がぎゃあぎゃあ騒ぐけど、無視。わたしはそのままずんずんと窓に近寄る。

 そして、今読んだばかりの音声拡大魔法を使って、スティーブン様に呼びかける。

「スティーブン様、今よろしいでしょうか? こちらのお二人、ファニー様とバーバラ様から、スティーブン様と婚約を結びたいと、お申し出をいただきました」

 音声拡大の魔法は成功したらしい。

 というか、成功しすぎたらしい。

 スティーブン様と、お取り巻きのご令嬢たちだけでなく、中庭にいた大勢の無関係な生徒や、わたしが今いる教室の他の生徒たちも、ぎょっとした顔で、わたしのほうを見てきた。

 音が大きすぎたかもしれない。

 とりあえず、周囲の皆様にも聞こえる程度の音量に調整。

「ファニー嬢とバーバラ嬢? 僕と婚約を結ぶの? レシュマは?」

「スティーブン様がよろしければ、子爵家の娘風情のわたしは、婚約者の地位を辞退します。そもそも、侯爵家のスティーブン様に子爵家のわたしでは、身分のつり合いが取れません」

「……まあ、そうだけど」

 スティーブン様の顔が、少しだけ不機嫌になる。

 ご自分から、婚約を解消するのは良くても、わたしから、申し出をされるのは不満なのだろう。

「ファニー様は伯爵家ですが、資産家だとお聞きしています。バーバラ様も伯爵家ですね。流通の要所に領地がございます。なので、わたしよりよほど侯爵家にふさわしいかと」

 聞きかじりの内容を告げてみる。

 スティーブン様はちょっと考えていたようだけど、それでも、わたしを引き留めるようなことは言わなかった。

「……レシュマがそう言うのなら、僕も別にそれでもいいよ。だって、レシュマ、最近僕に構ってくれなくなったしね」

「ええ、そうですね。わたし、国家資格を持つ魔法使いになりましたから。今後も魔法優先の人生を送ります」

 スティーブン様に重きを置かないよ、と、言外に伝えてみた。

 ほら、わたしより、スティーブン様にとって都合のよい人材がいますよ。そんなふうに、ファニー様とバーバラ様を推す。

「ふーん、なら、僕は、僕を大切にしてくれる相手を婚約者にするよ。レシュマもそれでいいんだね」

 もちろんと、わたしは頷く。

 わたしの人生に、あなたはもういらないの。

「では、解消の手続きなどは、後ほど父のほうから。スティーブン様もアルウィン侯爵閣下に、その旨申し出をお願いします。ああ、次の婚約者をファニー様にするのか、それともバーバラ様にするのかなどは、どうぞ、ご本人同士でお決めになってくださいませ」

 言いたいことだけを一気に言った。

 ファニー様とバーバラ様をちらりと見れば、

「わ、わたくしが、スティーブン様の婚約者に……」

「本当にわたくしが……」

 と、頬に手を当てて、ポーッとしている。

 自分たちがスティーブン様の婚約者になった夢想でもしているのかもしれない。

 だけど、その夢想を破るように、スティーブン様からの声が届いた。

「だけどね、僕の婚約者に対する条件は『醜い嫉妬は一切するな』ということなんだよね。ファニー嬢とバーバラ嬢にはそれが可能なのかい?」

 わたしも、婚約を結んですぐに言われたその言葉。

 その言葉に、ファニー様とバーバラ嬢だけでなく、スティーブン様を取り囲んでいる多くのご令嬢たち、それに、興味津々の目で、スティーブン様や私たちを見ていた多くの生徒たちが、皆一様に「は?」という顔になった。

 静まり返った中庭に、スティーブン様の声が響く。

「僕はね、婚約していようが、結婚をしようが、こうやって毎日数多くの女性に囲まれて過ごすつもりだよ。だけど、婚約者が嫉妬心を露わにすることは許せない。そちらのファニー嬢やバーバラ嬢はそれでいいのかい? 婚約者をレシュマから君たちでも、他の誰かにでも代えるのは構わないけれど、君たちが妬心を抱くようであれば、即座に婚約は解消させてもらうよ」

 これまでずっと。きっとわざと、スティーブン様はメイさんやミアさんと親密にしている様子をわたしに見せつけていたのだろう。

 そして、わたしが嫉妬心を抱かないことを確認していたのだろう。

 そうしないと、アルウィン侯爵と侯爵夫人のように、諍いを起こすかもしれないと、スティーブン様は不安になるのだろう。

 ……随分と歪んだ心の動きだな、とわたしは思ったりもするけれど。

 だけど、それだけ、スティーブン様が、ご両親から受けたトラウマは根深いんだろうな。

 でもそれは、わたしの想像でしかなく、スティーブン様はスティーブン様で別の意図があるのかもしれない。

 ま、わたしが気にすることではもうない。

 そのままお付き合いするなり、トラウマを克服させるなりは、次の婚約者におまかせする。

 わたしはもう無関係。

 ファニー様とバーバラ様は桃色だった顔を、青ざめさせた。

 スティーブン様の言葉の意味が分かったのだろう。

「僕はね、レシュマと婚約を結ぶ前は、何回も婚約を結ぶのと、それを解消するのを繰り返した。女性というものは、令嬢というものは、どうやら婚約者を自分だけのものにしたいと思い、そして、それが裏切られると、醜い嫉妬心を露わにして、僕か、相手の令嬢を罵りだす。そんな妬心を持たない女はレシュマだけだったから、僕はレシュマとずっと婚約を結んでいられた」

 それでも最初は苦しんだ。

 嫉妬する心を隠して、押し殺して……辛かった。

 嫉妬をしなくなったのは、魔法に夢中になって、スティーブン様への興味がなくなったから。

 ウォルター先生のおかげだ。

 スティーブン様は、わたしの苦しみにも、それをなくしたことも、なにもかも気が付かなかった。気にも留めなかった。

 スティーブン様に大事なのは、ご自分を大事にしてくれる誰か。その誰かがいればいい。ただそれだけ。それがわたしである必要はない。誰でもいい。

 ねえ、スティーブン様、知ってますか?

 嫉妬をするということは、その相手に執着をしているということなのですよ。

 愛しているから執着し、愛しているから、それを裏切られたと思って、嫉妬をするの。

 執着しないというのは、相手に関心がないということ。興味はない。好きでも嫌いでもない。

 どうでもいい。

 遠い他国に、虐げられたかわいそうなお姫様がいました。

 物語を聞いた直後くらいは、不憫ね、とか思うかもしれないけど、次の日には忘れている。その程度の、薄い感情。

 執着がないから、わざと無視するということもない。

 スティーブン様が望んでいる『嫉妬をするな』ってことは、無関心でいろというのと同義だと思う。

 まあ、世界は広いから、この世のどこかには、スティーブン様のお望み通り、あなたを心から愛し、嫉妬もせずに、鷹揚に構えていられる女性がいるのかもしれないけど。ファニー様とバーバラ様はどうかしらね。

「ファニー様、バーバラ様。妬心を抱かず、スティーブン様のおそばにいて、彼に安心を与える。それがスティーブン様が婚約者に望むことです」

 呆然としたままのファニー様とバーバラ様。

 ああ、無理、かな。

 でも、あなたたちが、わたしに天啓を与えてくれたの。

 わたしはファニー様とバーバラ様に笑顔を向ける。

「後はよろしくお願いしますね」

 にっこりと、これ以上もない晴れやかさで。

 それから、スティーブン様にも頭を下げる。

「今までお世話になりました。スティーブン様、さようなら」

「あ、ああ。じゃあね、レシュマ……」

 スティーブン様の周囲を取り囲んでいたご令嬢たちが、少しずつ、スティーブン様と距離を開けて、そして離れていく。冗談じゃあないわ……とでも言いたげな顔で。

 それを横目で見ながら、わたしは手早く荷物をまとめる。

 もう、この学園に来る気もない。

 退学の届けやなんかは後からお父様にしてもらえばいい。ああ、図書室から借りた本もお願いしよう。とにかく早くミラー子爵家に帰って、そして……。

 最後にくるりと教室内、それからスティーブン様のいる中庭を見る。

 スティーブン様は、中庭のベンチでぽつんと一人で座っていた。

 ファニー様とバーバラ様は、一人になったスティーブン様に駆け寄ることもしないで、その場に突っ立ったまま。 

 わたしはそれらに背を向けて。

 そして、軽やかな足取りで教室から出て行った。


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