第7話 愛情
「わたし、もう、耐えられない。わたしが婚約者なのに。スティーブン様はわたしだけを見てくれないの。いつもミアさんたちばかり……。どうしてわたしだけを大事にしてくれないの。好きなのに。わたし、スティーブン様が好きなのに……っ!」
「……うん、辛いな、レシュマ」
ゆっくりと、労わるような優しい声。
「好きな相手が、自分のことだけ見てくれたらいいな……」
わたしの頭をなぜてくる、ウォルター先生の大きな手。
「だけど、見てくれないの。大事にしてくれないの。だったら、魔法で。わたしのことだけ見てって……。無理ですか? そんな魔法、ないですか?」
ウォルター先生のあったかくて大きな手が、ぴたりと止まった。
「……あるよ」
ある。魔法がある。スティーブン様が、わたしだけを見てくれるという魔法が。
わたしの胸に、光が沸き上がった。
「ウォルター先生は、その魔法、使えますか? スティーブン様がわたしだけを大事にしてくれるようにって、魔法、かけることができますか⁉」
ウォルター先生なら。きっとできる。
なら、スティーブン様が、わたしだけを見て、わたしだけを大事に思うようって、ウォルター先生が、魔法を使ってくれたなら……。
もう、嫉妬に苦しむことなんか、ない。
ミアさんもメイさんも、いらない。
スティーブン様と、わたしだけが、一緒にいて、一緒に幸せになれる。
そう、思った。
なのに。
「……できる、けど。本当にそれでいいのかレシュマ」
手が、わたしの頭から、離れた。
ウォルター先生は、すごくさみしそうに、わたしを見ていた。
「……先、生?」
なんで、そんな顔でわたしを見るの?
わからなくて、なぜだかすごく不安になった。
「自分の好きな相手が、自分だけを好きになってくれたらいいよな。幸せだよな。でも、その心を魔法で作って……本当に、いいか? ニセモノの愛情を向けてもらえれば、それでおまえは満足か?」
「え……? ニセ、モノ……って……」
「アルウィン侯爵令息が、レシュマだけを愛するように、魔法で強制することはできる。だけど、それは相手の心を歪ませているだけだ。アルウィン侯爵令息は、本当には、お前を愛してなんかない」
「あ……」
愛して……ない。
冷たいナイフを胸に突き刺されたような気が、した。
「アルウィン侯爵令息に『レシュマが好きだ』と言わせることは可能だ。だけど、アルウィン侯爵令息の心の中は……どうかな。『そんなこと言いたくないのに、なんでレシュマを好きだなんて僕は言っているんだろう』と考えているかもしれない。レシュマ、お前も、アルウィン侯爵から愛を囁かれていても、『本心からの言葉じゃなくて、魔法で言ってくれているだけ』って思うようになるかもしれない。……それでも、いいか? 嘘の愛情を貰い続けて、お前は満足か?」
「あ、あ……」
嫌。
わたしの願いは、本当に、スティーブン様が、心から、わたしを、わたしだけを、好きになってくれること。
「魔法で、本当に、わたしを……好きにはなって、もらえない……?」
「魔法はそこまで万能じゃねえよ。お前の聞きたい言葉だけを囀る操り人形を作るだけなら簡単だけどな」
「操り人形……」
スティーブン様が、わたしに、愛の言葉を告げてくれても、それは……本心ではなく、魔法で、操られているだけ……。
「それに一生涯、魔法をかけ続けるのも無理だな。オレが死んだら魔法は解ける」
「え……」
「レシュマ、オレはお前より十五歳年上だ。普通に考えるなら、オレはお前より先に死ぬ。そして、魔法は解ける。何十年も好きだと言われ続けた後、アルウィン侯爵令息が正気に戻って……今の心を取りもどす。お前、それに耐えられるか?」
答えることが、できなかった。
魔法をかけて、スティーブン様の心を、無理矢理わたしに向けたところで……それは、いつか、なくなる。
弾けて消えたシャボン玉。
そんなふうに、なにもなかったかのように、なる。
だけど……。
「じゃあ、わたし、一生このまま、苦しいままなの? スティーブン様から愛されたいって思って、愛されないで、ずっと……」
夢で見た、老婆。
あんなふうになるまで、ずっと。
それともアリスさんのように、さみしく笑うんだろうか。
たしかに初恋の相手はスティーブン様でした……って。どうやったら、スティーブン様をわたしだけのものにしたいという気持ちをなくせるのか分からずに、出口のない迷路をうろうろしているようなものだって、わたしも言うようになるのだろうか……。
わたしは自分の体を、自分の手でぎゅっと抱いた。
寒い。
ううん、さみしい。
辛い。
辛くて……もう、どうしようもない。
「だったらわたし、ずっとこのまま……? 一生辛いままなの……?」
「相手は、変わらない。お前が、そのままだったら、そうだな」
「嫌……」
「酷いことを言うが、アルウィン侯爵令息は変わらない」
「どう、して……?」
わたしがこんなにつらいのに?
「だって、アイツ、現状、幸せだろ」
「え……?」
スティーブン様は、今、幸せ? わたしがこんなにつらいのに?
「だってそうだろ。親が侯爵で、金も身分もあって、生活に苦労しない。顔がいいから、毎日ちやほやされる。かわいい女の子を侍らせて、給仕だのなんだの全部任せきり。自分の願いは全部叶う。唯一、婚約者がすぐに変わるのだけが、悩みだったけど。それもレシュマになってから安定している。アルウィン侯爵令息が、現状を変えようなんて要素、これっぽっちもない。我が世の春を満喫しているだろアイツは」
スティーブン様は、幸せ。
わたしが、こんなにも辛いのに。
でも……ウォルター先生が今言ったことを、何度も頭の中で繰り返す。
……その、とおりだ。スティーブン様は、今の生活で不便も不幸も何もない。
だから、ウォルター先生の言う通り、スティーブン様は、一生あのままなのだ。
「……じゃあ、わたし、どうすればいいの」
このまま? ずっと辛いまま……?
「もう一回、言う。相手は、変わらない」
絶望って、こういうことを言うのかな……なんて。辛すぎて、もう、涙も出なかった。石みたいに固まって、わたしはただ、茫然と、宙を眺めていた。
だけど。
「変えられるのは、自分自身だけだよレシュマ」
どこか遠くから、ウォルター先生の声が聞こえてきた。
「レシュマ、お前は、どうしたい?」
「どう……って?」
どうにもならないじゃない。だって、スティーブン様はわたしだけを愛してはくれない。このまま、前にも後ろにも、どこにも行けないままじゃない。
「例えば……そうだな。お前が苦しんでいることを、全部アルウィン侯爵令息にぶちまける」
わたしは首を横に振った。
「文句を言えば、わたしが捨てられるだけだもの。スティーブン様の婚約者はわたしでなくてもいいの。代わりなんていくらでもいる」
「……なんでそんな男のことが好きなんだよ」
「……わからない。もう、わからない。初めてお会いした時、なんて素敵なんだろうって思って、恋をして……」
「あー、まあ、そうだよな。恋なんて、暴力的に理不尽だ。自分じゃあ、なんともできねえよなあ……」
ウォルター先生は、どこか遠くを見るような眼をした。
「……先生も、恋とか、したことありますか……」
「まあ、な。苦い思い出ばっかだけどな」
「苦い……」
絵本の中の恋物語はしあわせなのにね。
王子様とお姫様はいつまでもしあわせに暮らしました。
それが、当たり前。
なのに、現実は違う。
「ウォルター先生は、どうやって苦い恋を……乗り越えたの? 相手の人のことを忘れたの? 嫌いになったの?」
わたしは、毎日毎日、毎分毎秒……ってくらいに、ずっとスティーブン様のことだけを考えている。
わたしは、ずっとスティーブン様がわたしを愛してくれるようにって、願ってしまう。
そのことを、考えていないのは、魔法に向き合っているときだけ。
そう言ったら、ウォルター先生は、また、わたしの頭をポンと一つ撫でてくれた。そして、わたしが発した質問の答えではなく、別のことを問われてしまった。
「魔法、好きか、レシュマ」
「はい」
大好きです。即答した。
「じゃあ……、お前の頭の中、魔法でいっぱいにしてやろう」
えっと……なに? わたし、今、ウォルター先生の苦い恋について、聞いたのに。話を逸らされたの? ううん、ウォルター先生は、そんなことするような人じゃない。
「まあ、まずは、何も考えずに、お前、体調を元に戻してな。で、熱も下がって、体力も元に戻ったら……」
そうしたら、なんなんだろう。
元気になってから、苦い恋の忘れ方でも教えてくれる……というわけじゃあないよね。
「まずは、オレと一緒にアルウィン侯爵夫人に会いに行こうな」
「え? スティーブン様のお母様に?」
まさか、婚約を止めてくださいなんていうんじゃあ……。
「ああ。オレの雇い主はアルウィン侯爵夫人だからな。夫人から、金を貰って、オレはお前に魔法を教えているからさ」
えーと、お金。はい、確かに、そうだけど。ウォルター先生がわたしに魔法を教えてくれているのはアルウィン侯爵夫人がそう頼んでくれたから。
だけど、それが何?
「雇い主の意向に反した行動は取れねえからな。だけど、意向に反しないなら、できることはいっぱいあるんだよ」
「……何をするつもりなんですか、ウォルター先生」
「ああ、簡単だ。レシュマ」
「はいっ!」
「お前をこの国で、正式な、最年少魔法使いにしてやる」
ウォルター先生は、まるで物語の悪役みたいに、にやり……と笑った。
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