第6話 慟哭
その日の夜、夢を見た。
アルウィン侯爵家の広い庭。薔薇園。パーゴラ。それらがすべて迷路になっていて、その迷路の中心で、スティーブン様がミアさんとメイさんと笑いあっている。
わたしは迷路の中をうろうろして、スティーブン様に近寄ったり、遠ざかったりしていた。
でも、近寄っても、中心にはたどり着かない。
どうして、どうして? なんで、スティーブン様のそばに行けないの?
泣きそうになったら、老婆が現れた。
「魔法を捨てれば、あちらに行けるよ」
老婆が言った。
「魔法を捨てる……」
「そう、できるかい? 二つに一つしか取れないとしたら、どちらかを捨てなければならないのなら、お前はどうするかい?」
老婆の顔は、なぜだかアリスさんによく似ていた。
朝になって、目が覚めて。
わたしはずっと考えていた。
魔法を、捨てる。
「できない」
じゃあ、スティーブン様を捨てるの?
嫌……だと思った。
どうして、魔法が好きなわたしを受け入れてはもらえないのか。
どうして、婚約者だというのに、スティーブン様と二人きりにもなれず、ミアさんやメイさんに侮られたままでいなくてはいけないのか。
「好きなのに。スティーブン様も魔法も……」
袋小路で、身動きが取れない。
前にも後ろにも進めない。
わたしはこれ以上、どうしようもない。
「スティーブン様が、わたしだけを好きになって、魔法も好きになってくれたらいいのに」
願っても、それは無理だとわかっている。
だけど……。
どうしたらいいのか、わからないまま。
また、アルウィン侯爵家に行く日がやってきた。
いつもの通りに、侯爵家でマナーや歴史などを学ぶ。
そして、いつものように、ミアさんとメイさんに給仕されながら食事をするスティーブン様と、一緒に昼食を食べる。
スープをひと匙飲んだだけで、胸やけがした。
「は~い、スティーブン様~、これ、おいし~ですよ~」
ミアさんがにこにこして、スティーブン様の口元にフォークで刺した卵料理を運んだ。まるで鳥のひなみたいに、スティーブン様が口を開ける。
「ミア、へったくそぉ。スティーブン様の口元が汚れたじゃないのよぉ」
メイさんが、スティーブン様の口元をハンカチで拭った後、ミアさんからフォークを取り上げた。
「今度はメイがやりますよぉ」
べたべたした声。
ふと、想像してみた。
魔法を捨てて、ミアさんやメイさんのようにわたしもスティーブン様に給仕をする。
「今度はレシュマがやりますよぉ」
なんて、メイさんみたいに甘ったるい声を出して。
「う……」
気持ち悪い。
腹の奥底から吐き気がせり上がってきた。わたしはスプーンを持ったまま、その手で口元を抑えた。
気持ち悪い。
ぐらりと、視界が歪む。
「レシュマ様……っ!」
わたしの名を呼ぶ、アリスさんの声が、どこか遠くから聞こえた。それからスプーンが床に落ちる音も。
そのままわたしの視界は暗くなって、何も見えなくなった。
☆★☆
額に冷たい感触がして、わたしは目を開けた。
「起きたの、レシュマ」
「……お母……様」
お母様がわたしの額に濡らしたタオルを置いてくれて、その冷たさで目が覚めたらしい。
「アルウィン侯爵家で倒れたの。覚えてる?」
わたしは首を横に振った。
「熱も高いから、体調が戻るまでお勉強はお休みさせてもらったわ。きっといろいろ頑張りすぎて、疲れがでたのね」
ミラー子爵家の、わたしの部屋のわたしのベッドの上だった。
ここがアルウィン侯爵家ではないことに、わたしはほっと息を吐いて、目を瞑った。
熱はなかなか下がらなかった。
起きたり寝たりを繰り返しているうちに、何日経ったのかもわからなくなりそうだった。
夢見が悪い。寝ても、起きても、悪夢の中にいるみたい。
迷路の夢。
スティーブン様とミアさんたちが親密に過ごして、それで「醜い嫉妬なんて、しないでよね」「僕の大事なアリスやミア、メイともうまくやっていけると期待しているからさ」とスティーブン様から言われる夢。
……ああ、これは夢じゃないか。過去に、実際にスティーブン様から言われた言葉だ。
「ふーん、レシュマはさぁ、僕と過ごす時間よりも、魔法のほうが好きなのかな?」
「婚約者のくせに、レシュマは僕を蔑ろにするんだね」
魔法を使って、ごめんなさいスティーブン様。
「うん、いいよ。今回はレシュマを許すから」
過去に言われて傷ついた言葉を、夢で何度もまた見て。叫びそうになって、起きる。
繰り返し、何度も。何度も何度も。
べっとりと張り付いた寝汗が気持ち悪い。湿らせたタオルで体をふくだけじゃ、気持ち悪さが取れなくて。まだ微熱はあったけど、お風呂に入れてもらった。
体を洗って、髪も洗う。寒いけど、風の魔法で髪や体を乾かした。
……ああ、ウォルター先生に乾燥と温風の魔法を教えてもらってれば良かったのにと思いながら、新しい寝間着に着替えて自分の部屋に戻った。
お風呂に入っている間に、メイドがわたしの部屋を掃除をして、シーツも替えて、空気の入れ替えをしていてくれたみたい。部屋の中が気持ちいい。シーツもさらっとしている。ベッドの上に、わたしが寒くないようにって、厚めのショールまで、置いていてくれていた。
……ああ、ありがたいな。元気になったらお礼を言おう。
そう思ったときに、ノックの音がした。
「はい」
入ってきたのはお母様だった。
「あのね、レシュマ。お見舞いにって来てくれた人がいるんだけど」
「……お見舞いにって、スティーブン様?」
ドキリとわたしの心臓がなった。
来て、くれた?
わたしを心配してくれた?
もしそうなら、嬉しい。すごく嬉しい。
だけど、来てくれたのはスティーブン様じゃなかった。
「随分と大きな体の、三十代か四十代くらいの男の人。ウォルター・グリフィン・ブラウンス様と名乗ったわ。初めてお会いしたけど、ええと、レシュマが侯爵家で教えてもらっている魔法の先生よね?」
「ウォルター先生が……?」
「ええと、今、応接室で待っていてもらっているわ」
反射的に、わたしはショールを手でつかんで。そのまま応接室まで走っていった。
「ちょ、ちょっと、レシュマ……」
お母様はきっと、お会いするなら着替えを……というつもりだったのだろうけど。
淑女が、先生とはいえ、年上の男性に、寝間着で会うなんてありえないから。
だけど、今すぐにでも、会いたかった。
ウォルター先生は、魔法の先生。
若手の、魔法の、第一人者。
だったら……。
無作法に、ノックもしないでわたしは応接室の扉を開けた。
「ウォルター先生っ!」
応接室のソファから立ち上がって「なんだレシュマ、走れるなんて元気そうだな」と、ウォルター先生は笑った。
「熱出して、授業を休むっていうから、見舞いに来てみた。ほら、これ、見舞いの品」
「え……」
パチンと、指を鳴らして。ウォルター先生が取り出したのは、魔法で作った花束だった。花弁が、虹とか、シャボン玉の七色の光のように輝いている。きれい。キラキラしている。
「あー、淑女に見舞いっつったら、花束が相場だって、オレの知り合いの、ジードってヤツが言ったんだけど。寝間着で走ってくるなんて、淑女っていうよりまだまだ女の子、だな」
もう一回、パチリと指を鳴らして。そうしたら、光の花束は、花冠に形を変えた。
「こっちのほうが似合うな」
そう言って、ウォルター先生は、その虹色に光る花冠を、わたしの頭の上に乗せてくれてた。それから、わたしが手にしていたショールをそっと取って、肩にかけてくれた。
「おお、似合ってるぞ、レシュマ」
にかっと笑ったウォルター先生の顔を見たら。
なぜだか涙がこみあげてきて。
ぼたぼたぼた……って、わたしの目から、涙が落ちていった。
「お、おいレシュマ。これ、花冠、嫌だったか……?」
わたしは首を横に振った。ものすごい勢いで。何度も何度も。泣きながら、首を横に振った。降り続けた。
「ウォルター先生……、わたし……、わたし、魔法が、好き。捨てたくない。ずっと先生に、魔法、習っていたい……」
「れ、レシュマ?」
「だけど、スティーブン様は、わたしが、魔法に夢中になっていると……不機嫌なの。嫌がるの。スティーブン様は、魔法に夢中になるわたしのことが好きじゃないの……」
まともに、何かを言えたのはここまでだった。
あとはもう、支離滅裂に、喚いて泣いて。
開けたままの応接室のドアの向こうには、お母様やお父様たちがいたみたいだけど。それに、わたしは気が付かないまま、ウォルター先生にしがみついて、泣き続けた。
☆★☆
ウォルター先生は、わたしの気が落ち着いて、泣き止むまで。何も言わずにずっとわたしを抱きしめていてくれた。
「……ごめんなさい、ウォルター先生」
いきなり泣いて、喚いて。しがみついて。
「別にいいさ。気にしない……わけじゃねえけど。それに、なんだか知らねえけど、泣いたら、溜めこんでた気持ちとか、吐き出せて、少しはすっきりしただろ」
すっきり……かどうかはわからないけど。
わたしはずっと辛かった。
「ウォルター先生の顔を見たら、なんか、訳が分からないくらいにぶわって、いろいろ溢れたみたいです……」
「そっか……」
「はい……」
そのまま、今度はちゃんと、これまでのことを話していった。
辛かったこと、夢で見たこと、現実にスティーブン様に言われたこと。わたしは全部ウォルター先生に話していた。
「『醜い嫉妬なんて、しないでよね』って、スティーブン様に言われたんです。スティーブン様にべたべたするミアさんやメイさんを見ても、嫉妬しないで『僕の大事なアリスやミア、メイともうまくやって』って……」
「……無理、だろ。それ」
「ええ。無理です。婚約者はわたしなのに、なんで二人でいられないで、いつもいつも、べたべたと付きまとっているミアさんたちを、わたしは離れた場所から眺めているだけ……。嫉妬の、感情を、押し殺して……、何でもないみたいに平気な顔を作って……」
言っていたら、また泣けてきた。
「そっか……。辛いな」
ウォルター先生がハンカチを出して、わたしの涙を拭ってくれた。優しい手。嬉しくて、また泣けて。……甘えたくなった。だから、言った。
「先生……」
「ん?」
「先生は、人の心を変える魔法を使えますか?」
「レシュマ?」
「スティーブン様が、わたしだけを好きになるようにって、心を変える魔法。ありませんか?」
優しい手が、ぴたりと止まった。
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