第20話 予選2回戦第4試合
夜中までノートの中で作戦を捏ねていた静子は寝不足なうえ風呂にも入っていない。
そんな汚れた身体を朝風呂で清めた彼女は午前中の授業で少し船を漕いだうえで、とうとう瑠音との全勝対決を迎えた。
大トリということで先にメイたち4人の試合は終わっており二人の激突は最後のメーン。
流石に落ちこぼれの快進撃もここまでという見解が強く、静子が勝利する一縷の望みは友人関係からくる油断や躊躇くらいだろうと見られていた。
そんな結果が見えた試合において、最も静子を脅威に思っていたのは瑠音かもしれない。
「試合が終わるまではご遠慮致しますわ」
と、静子との接触を避けていた瑠音は開始早々相手の弱みに漬け込んでいく。
試合開始の宣言から瞬く間に繰り広げる速攻は静子が度々見せていた後の先を取る制空間センサーを用いたカウンター潰し。
牽制の水球魔法の弾丸が静子を濡らし、シャツが張り付いた豊満な乳房は形を明らかにして彼女の動きを鈍らせていく。
(水魔法のバインド効果は発動時に練り込んだ魔法力に比例して伸びますわよ)
水による重圧は瑠音の魔法力ならば1分間は余裕で持続する。
戦技に秀でた腕利きのセオリーとしては即座に胆術によるレジストを行うことだが静子にはその余裕はない。
いや……瑠音が与えないと言うほうが正しいか。
重圧によるデバフを受けたうえでも先んじていた肉体強化と攻撃魔法の準備を優先して静子は突っ込む。
身体はたしかに重いが動けなくはない。
(影道さんはなんでもわたしより上だけど、やはり得意なのはボクシング。だから接近戦を有利にするために、わたしに足枷をつけるのも想定内だ)
静子としては「大きく負けてはいない」という認識を持っている素の身体能力で張り合うのは付け焼き刃のようで計算的である。
瑠音が肉体強化を用いて殴り合いに来るのならばガードを固めてカウンター狙い。
別の魔法を仕込んでいるようならば肉体強化のぶん勝るフィジカルを活かした襲撃。
これが事前の策だったのだが──
「ギギアゲル!」
瑠音のゴリ押しは静子が思うよりも激しかった。
1回戦で静子に敗れた恋人の意趣返しと言わんばかりに発動した上級身体強化魔法を纏うお嬢様は速すぎる。
目で追えない速さで射程内に入った瑠音は音を置き去りにする速さのストレートを正中に放つ。
鼻が折れて顔が崩れてもおかしくないほどの強打。
法術による治療がなければやり過ぎである。
頑丈な眼鏡のフレームがなければ顔が潰れていただろう。
(弁償するつもりでしたが……防具になるくらい頑丈だとは予想外ですわね)
眼鏡のおかげでKOを免れた静子は両腕を盾にするわけだが、今度はソレをこじ開ける勢いで瑠音は左ジャブの雨を降らす。
コレには得意戦術として認知されていたアプヴェーア・エガシも魔法力を吸収するよりも先に瑠音の拳に耐えられないので効果が無し。
結果、静子も顔を腫れ上がらせながらガードに徹するしかない。
(テッコで覆ってもすごく痛い。本気の影道さんのパンチがこんなに痛いだなんて。やっぱり勝ちたいとか考えたのが思い上がりだったのかなあ)
事前に書いたノートの戦術は早くもご破産。
やはり負けてしまうのか。
このままガードを開いてしまえばこの苦しみは終わるのだと静子の脳内を甘い誘惑が満たしていく。
(そこですわっ!)
誘惑に負けた訳ではなくても気の緩みは身体に現れた。
僅かな隙を見抜いた瑠音はジャブのテンポを僅かに変えて、拳半分の小さな隙間を右ストレートで穿つ。
顎を砕く衝撃。
静子の目元がパチパチと点滅していく。
ボクシングの試合ならば電光石火のKO劇であろう。
「トドメ!」
そして正しくトドメの一撃。
左のフックがこめかみに入り、静子の意識を刈り取った。
──
「またか」
戦技大会で窮地に追い込まれる度に思い起こされる喧嘩の記憶。
主に双子の姉から力付くで押さえつけられた苦い思い出。
こう毎度のように幼い姉が出てくるものだから静子も我ながら呆れるほどである。
だがこうやって出てくる姉の姿は勝負事に熱くなった自分のアバターなのだろう。
こんなふうに負けて終わるなという叱咤激励のつもりで虐める姉への反発が彼女を立ち上がらせた。
──
「ディン」
虚ろな目で呟いた言葉は初級の電撃魔法。
ギギアゲルで強化された瑠音には蚊に刺された程度なのだが無差別に落ちた電流は静子の意識を覚醒させた。
全身がしれて痛みは限度を超えている。
だけど身体の駆動に影響を感じないのは生来の頑丈さによるものか。
むしろ神経に流れた電気が感覚を鋭敏にしたとさえ思うほど。
この感覚ならば強化された瑠音にも制空間センサーなしで追いつけると静子は直感した。
「眠りなさい」
立ち上がった静子の様子にも驚かず、追撃で試合を終わらせようとした瑠音は後述詠唱でギギアゲルの持続を延長し、ダッシュ接近からの右フック。
肩の回転で手の甲を叩きつける、ボクシングとしては御法度なロシアン・フックはガードをすり抜けやすい。
対する静子はテッコで両腕を覆うことで強度を確保したうえで自らの身体に流すのは特殊な電撃魔法。
これによる身体の反射で思考と身体能力のズレを無理矢理にすり合わせて、ショートアッパーが打ち下ろす拳打をかちあげた。
(なっ⁉)
トドメのつもりで放った一撃を弾かれたとなればピンチとチャンスは入れ替わモノ。
上がった右肩を狙いすますストレートは電流を纏い、関節への直撃は右腕の駆動を鈍らせていく。
勢いをそのままに左前の半身になった瑠音はジャブで静子を突き放すが、ダラリと落とした右腕は肩が脱臼したのだろうか。
今回の戦技大会で初めて見せる苦悶の表情はお嬢様の顔に脂汗を滲ませた。
(流石はと賞賛したいところですが……こちらのダメージが痛いですわね)
これで右腕は動かせない。
しかも法術で治癒をする暇もない。
片手で戦うつもりであれば体術よりも魔術にすべきであろうというのが周囲の見解である。
そもそもいかに瑠音が体術に秀でているとは言え魔術勝負に持ち込めば静子のほうが不利であるのは誰もが認めるところ。
だが瑠音はそれでも後述詠唱で持続を再延長しギギアゲルを解かない。
本来の彼女が操れる多彩な魔術を捨てて相手のレンジに拘るのは格下相手の矜持なのだろうか。
(不幸中の幸いは宮本さんもわたくしの右腕を潰したと思っていることでしょう。だがそれは罠ですわ)
確かに激痛が走るがお互い様。
それにまだ完全に動かせなくなった訳では無い。
その油断を利用して右のハード・ヒットを直撃させれば今度こそ決着であろうと瑠音は目論む。
そのまま左腕を構えて近づいた瑠音は牽制のジャブ。
ガードなど再びこじ開けてみせようと言わんばかりの猛攻である。
「こなくそ!」
ジャブを受けてこのままガードしてもさきほどの繰り返しになるのを静子も肌で感じ取った。
どのみちまともに当たればジャブであっても落とされるだろう。
開き直った静子が取れる手段はジャブを弾くことだけだ。
ショートアッパーで腕を弾いてリズムを崩した静子はお返しとばかりにクロス気味の右ストレート。
身体を下げて体重を乗せた一撃。
当たれば静子に軍配が上がるソレを待ち望んだのは瑠音の方で──
「ジェッ!」
身体とともに下がった頭を狙いすましたアッパーが大きな音を響かせた。
顎先に触れる瑠音の拳。
頬を捉えた静子の拳。
二人の拳が互いを捉えあう。
まさかのアッパーに観戦する周囲は驚嘆し彼女の勝利を確信した。
「まさか……」
だが詳細は拳をぶつけあった当人たちが一番詳しい。
本能的にテッコを解除していた静子は顎に直撃するところだったアッパーの衝撃を盾で逸らしていた。
急所を逃れたソレは静子の下腹──丹田のあたりを経由して背中まで伝わる。
その勢いを肩に乗せて放たれた拳は当然のごとくカウンターとして作用した。
「あう⁉」
逆に殴った拳が砕けて自決するほどの衝撃が頭の中で炸裂したわけだ。
女子ボクサーとして殴り合いに慣れていた瑠音でもこれには耐えきれない。
女王は倒れて市民は立ち尽くす。
同じ限界同士でも倒れなかった静子はこうして大番狂わせを起こした。
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しゃあ!器用貧乏だけど禁断の二段打ちで勝ち上がる どるき @doruki
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