第2話 ガマ洞窟
泥のように眠った翌朝、髪の毛を櫛で整えた静子はジャージに身を包んでアオを訪ねた。
寮母の手伝いという話ならば大掃除の類だろうと予想して動きやすく汚れても構わない格好である。
いわゆる芋臭いと言われそうな恰好なわけだがこの場にフェチに偏った男子が居ないのは幸いだろうか。
出るところが出た眼鏡っ娘というのは刺さる人には深く刺さる。
「おはよう宮本」
そんな静子を出迎えたアオの格好はデニムとレザーのジャケットである。
ジャージと同様に動きやすい格好ではあるが、それ以上に肌を保護する頑丈な生地に包まれている意図は防具を兼ねていた。
「ちゃんとジャージを着ているのは話が早いが、危ないからコレも使え」
(なんでこんなモノを?)
「それじゃあ、もう行くぞ」
アオが手渡したのも膝、肩、肘を保護するゴムベルト式のパッドである。
たかが大掃除にしては大掛かりな装備に小首を傾げる静子の手を引いたアオは、そのまま彼女を車に押し込んだ。
朝食も未だなので途中でトイレ休憩を兼ねてコンビニ立ち寄るわけだが、そこのイートインスペースでようやく静子はツッコミ入れる。
これから何処に連れて行くつもりかと。
「急に連れ出して何処に行くつもりですか、寮母さん!」
「オイオイ、こんなところで興奮するなよ。店員さんも見ているぜ」
「無理矢理連れてきておいて良くそんなこと言えますね」
昨日の落ち込んだ様子とは一変して興奮する静子の様子もアオからすれば元気を取り戻したという楽観的な受け取り方。
本気で怒っていると思っていない涼しい顔で聞かれたことを答えだす。
「最初に言った通りアタシの手伝いだよ。アタシが寮母である前にトレジャーハンターなのは前から言っているだろう?」
「あれって冗談じゃなかったんですか」
「酷いなぁ。だったら宮本は夏休みや冬休みにアタシが何処に出かけていたのか気にしなかったってのかよ。ちゃんとお土産も買ってきてたのに」
「お土産って……何処からどう見ても観光地のお菓子だったじゃないですか。というか……本当にトレジャーハンターの仕事をするってなると、わたしなんかが居ても邪魔じゃないんですか? 腕っぷしなんてからきしの落ちこぼれだし」
「気にしすぎだ。これから行くガマ洞窟は初心者向けのダンジョンで弱い魔物しかいないから、高校の授業で習う程度の魔法が使えれば大丈夫だから」
この世界においてダンジョンとは魔法に関わる素材が眠る秘境のこと。
昔から様々な呼ばれ方をしていたのだが最近はこの呼び名が一般的と言える。
奥に進めば進むほど神秘が濃く、故に希少素材が増えていく。
その一方で神秘の濃さがなければ能力を保てない魔物が住んでいるわけだ。
トレジャーハンターはそんなダンジョンから宝を探して外界に売りさばくことを生業としている。
特にアオは静子が知らないだけで業界ではそれなりに知られたハンターだった。
そんな彼女が太鼓判を押すようにガマ洞窟に住む魔物は弱い。
アオからすれば静子の苦手を克服するのにちょうどいい相手という見積もりだ。
「ほ、本当ですよね?」
「もちろん。アタシの手伝いを休み中に続けていれば新年度のスタートダッシュはバッチリってスンポーよ」
「それって……」
「昨日戦技の成績で落ち込んでいただろう? アタシもあまり他人に教えるのは得意じゃないけど、こうして実践形式ならね」
「あ、あろがとう、ございます」
思いがけない親切に静子が少し涙を浮かべながら、二人は目的であるガマ洞窟に向かう。
近場の駐車場に車を停めてから鍛錬を兼ねたハイキングで山奥に進むこと小一時間。
ダンジョンの中では比較的安全とはいえ一般人は危険で近づかない場所にソレはあった。
入口には神秘が無闇に拡散しないように御影石のオベリスクが並んでいる。
これで無闇に入らない限りは安全というわけだ。
八郷学園の実習場にも似たような結界に封じられた場所はあるが、こうして自然の中にあるソレは雰囲気が異なる。
静子は初めて見るそれに緊張して唾を飲み込んでいた。
「先頭はお前だ。結界の効果はすぐ届かなくなる。入ったら明かりを兼ねた行灯を忘れずにな」
そんな静子にアオはおさらいとしてダンジョンに入る基本を述べる。
ここで言う行灯とはロウソクを使ったものではなく法術に分類される魔法の一種。
光源を確保するとともに周囲の邪気を払ってある程度の魔物を避ける効果がある。
左手をワイングラスを持つように構えた静子は言われるがまま行灯を発動して彼女の手に光が宿る。
最悪魔物に出くわしたときにはそのままぶつければ奇襲になるためダンジョンでは便利な魔法だ。
「初めて入りますけど……暗くてなんか嫌な感じがしますね」
「ヒトは暗闇に恐怖を感じるとは言うからな。だけどココはまだマシだよ」
「初心者向けだからですか?」
「厳密には暗いからだ」
「え?」
トコトコと歩く入り口付近はただ暗いだけ。
静子は初めてのダンジョンに対しての違和感を口にするのだが、アオは序ノ口だと言う。
暗さも恐怖を煽っていると感じている静子にはアオが言いたいことは良くわからない。
小首を傾げる静子にアオは言葉を続ける。
「マジでヤバいダンジョンって総じて明るいんだ。宮本は魔法がどんな仕組みで発動するか詳しく知っているか?」
「チャクラとか丹田とか……いろんな呼び名がある体の内側にある機関から捻り出した魔法力を色んな形にしたものですよね。熱や衝撃に変えたら魔術だし、傷を治したり結界にしたら法術だし。とにかく身体の内側で作った魔法力を外に出すことで発動します」
「流石に座学は得意なだけのことはあるな」
「いくらなんでもバカにしないでください」
「まあ……今のは説明のためのおさらいさ。要するにその魔法力ってのと、ダンジョン内にある神秘って呼ばれてるモノは一緒なんだが神秘ってのは無秩序に濃くなると光るんだ。だから神秘が濃いダンジョンってのは壁とか岩とか、所ろどころが光ってて明るい。そういうダンジョンにいる魔物も比例して強くなるから危険ってワケ。とりあえず行灯程度じゃ露払いにもならないしね」
(本当かな?)
アオの話を半信半疑に聞いていた静子だったが、実際にダンジョン内は暗さの他は平穏なもの。
行灯の光に照らされた幽霊型の魔物は逃げていくからだ。
平穏過ぎて静子を鍛えるためには弱いかと思うほどだがここまではウォーミングアップである。
そろそろ中に入って一本道を進んで2時間になろうかというところで二人は明るい場所にたどり着いた。
(確かにここまでは寮母さんの言う通りだったけれど……急に明るくなった?)
「ここまで来たら行灯はもういい。出しっぱなしで疲れただろう」
(解除……って、あれ⁉)
言われるがまま行灯を解除した静子はどっと襲う疲労にへたり込んだ。
「学校の授業じゃぶっ続けで2時間も行灯を使うなんて機会はないからな。魔法力の消費も少なくて疲れにくい魔法だと思われがちだが、今みたいに長時間出しっぱなしにしていると解除するとき一気に来るんだ。そのままさっきコンビニで買ってきたバリキドリンクを一口飲んでおけよ。長時間の行灯による疲れには一発だ」
アオに従って取り出したドリンクを飲むと身体中に染み渡る魔法力が一気に静子の疲れを癒やす。
このバリキドリンクはダンジョン由来の神秘成分を配合した栄養ドリンクで安価に魔法力を補うことができるシロモノ。
あくまで枯渇した魔法力を補うだけで魔法力そのものを増幅させることはできないが一般的な栄養剤として安価で手軽に入手できるのが売りだ。
「はぁ……はぁ……」
「本当だったら適度にバリキをキメれば身体には来ないんだが……修行の一環だから我慢しろ。ゆっくりと深呼吸したら次第に身体に力が戻ってくるから、準備ができたら魔物に挑むぞ」
アオがセオリーを外してわざわざ静子を疲労感で痛めつけたのは修行のため。
魔法力枯渇状態からの接種による体調回復には一種の薬物に似た効果があるからだ。
狙い通りに戦技に対して内気な静子も普段より興奮して好戦的である。
根拠のない万能感に肩をいからせる静子に対してアオがマッチアップした魔物はこのダンジョンの主に近い。
「さあ、あれだ」
アオが指さしたのは最奥にある泉に浸かる大きな蝦蟇。
ガマ洞窟という名前の由来でもある大蝦蟇が鎮座していた。
この蝦蟇は洞窟の奥にある油泉に適合した生物であり、この泉の周囲でしか生きられない代わりに大型化した生物である。
泉を満たす油はこの蝦蟇の油と同じ成分であり、蝦蟇たちは命の源である泉を枯らさないために自らの油を泉に絞り出していた。
トレジャーハンターたちは蝦蟇たちを全滅させないように注意しながら油を採取しているわけだが、最悪全滅しても自然にあふれるぶんの油を媒介に少しずつ蝦蟇は増えていくので時間さえなければ元通り。
そんな神秘の油の採掘場がこの場所だった。
「あの大蝦蟇は適度に強くて適度に退治しないと増えすぎるから、修行相手にはもってこいなんだ。あらかじめ聞いておくが、宮本はカエルの類は苦手か?」
「苦手だけど大丈夫」
「なら一発かましてみろ。危ないときはアタシも援護するから」
「わかりました」
大丈夫なのはバリキドリンクによる興奮作用によるもの。
四つん這いの状態で頭の高さが自分と変わらない巨体を前に静子は普段なら怯むところで怯まずに勇んでいた。
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