第2話 青のハンカチ
父と別れ、1人暮らしが始まり早1週間。
今日は大学の入学式。あいにく父は仕事の都合で来れないそうだ。1人で会場に行くのは少々心細いがきっと自分と同じ境遇の者はわずかだがいるに違いない。
新しい黒のスーツを着替え、ネクタイは慣れないながらも結ぶ。黒のトートバッグに荷物を入れてドアを開ける。
この1週間、ほとんど誰とも口を動かさずに生活してきた。家で滞在するか、すぐ近くのスーパーで食材を買いに寄ったぐらいだ。都会の中心地に寄って映画館、本屋、服飾店、飲食店等と田舎人からしたら目を惹かれるはずが、大学生活への不安が頭を過ぎるのか全く行く気にはなれなかった。家ではテレビで映画やアニメを視聴したり小説を読んだりする毎日であった。現実を避けて何かに没頭していた。高校までは部活で陸上の長距離をしていて時間があれば外に出てよく走っていた。気持ちが下向きになれば人間活力が失われるのを痛感した。序盤からこんなに家に閉じこもるとは。
前途多難だ。
なんとか脱したが非情にも入学式まで叶わなかった。
慣れないスーツのまま革靴で歩道上のコンクリートを歩く。硬い鉛と木材の独特な音を聞きながら進み続ける。駅に入り階段を降って、事前に買っておいた定期券を使用して改札口を通る。地下鉄が来て中の椅子に腰を降ろす。3つ駅が進み出入り口のドアが開くと自分と同じスーツを着た若者が多く乗り寄せる。閑散としていた乗内が突如盛り上がる。親と息子でいたり、僕と同様に単独で緊張した表情のままの者もいたり、一目見れば明らかだ。かく言う僕は不思議と冷静なまま目の前の地面一点を見つめていた。まあ、ドーム会場で入学式を行うぐらい人数が多いし、1人でも気にはしない。2つ駅が進み目的地であるドーム会場へ到着する。同じ黒スーツ達は地下鉄を降り始め僕も参道する。前後の足が当たらないよう慎重に階段を登り始め出口がみえてくる。出口に出ると外は快晴ですぐ目の前には丸く大きなドームがあった。さあ、行くか。
ドームに入り大勢の人に囲まれながら川の濁流に流されて広場へ向かう。前の人達はは適当に椅子に座っていく。自分もとりあえず横にある列で1番左端の椅子に座る。
安心して椅子に座っていると右隣りの空席に背の低い女性が座る。髪は黒でショートと一見サバサバして芯のある人間に見えたが、膝元に置かれた掌は拳に握ってブルブルと震えていた。何気なく間近だが一瞬顔を見ると額に汗をかき顔がテカテカに天井の光に反射していた。かも。美人な顔とは反対に陰気で気弱そうとすぐに判断できた。汗が止まらず困っていたようだ。
ここは思い切って…。
「あの…。」
彼女は僕の呼びかけにビクッと驚き、ギョッとこちらを見た。
「良かったらこれ、どうぞ。」
彼女が僕の右手に持っていた青のハンカチを見てすぐさま理解したのか、無理に笑顔を作って「あ、ありがとうございます。ですが、貴方の使って本当によろしいんですか?」
「ええ、遠慮なく。実は間違えて2枚もハンカチ持って来てしまったので。」そう言うと右の胸内ポケットからもう一枚青のハンカチを取り出す。家を出る際机に置かれたハンカチを同時に二枚胸ポケットに誤って入れたようだ。我ながら案外緊張していたのかも。
「あ、そうだったんですね。ではお言葉に甘えて遠慮なく。ありがとうございます。」「いえいえ。」律儀だなぁ。せっかくだから学部も聞いてみようかな。広いキャンパスで人数も非常に多い。もしかしたら二度と会えないかもしれない。せめて友達でもなく大学で話せる人を。
「…ところで学部はどこですか?僕は経営学部です。あっ、別に嫌なら無理に答えなくて構いません。」「いえ、そんなことは。私も経営学部です。」
偶然にも。
「ほんとですか!同じですね!」「はい。まさかの同じですね。」
そう話している内に席は埋まって徐々に式が始まる空気に包まれ周囲の話し声は途絶え、僕達も何か話そうとしたがやめた。
40分程経過して長い式が終わり各々席を立ち始める。僕もそろそろ席を立とうとした矢先、彼女から話しかけてきた。
「あの。名前なんて言うんですか?私は国枝夕凪。貴方は?」「僕は津軽優次。」「津軽優次さん。良かったら連絡先だけでも。授業を単独で行くのは多少気が張るので、良ければ、ですが。」「はい。良いですよ。というか同い年だから敬語ではなくタメ口で話してみない?仮に浪人生でもタメ口で構わないよ。」「わかった。浪人生ではないよ。津軽さんも?」「うん。そしたら同い年だね。よろしく!」「こちらこそ、よろしく!」
夕凪は緊張が解けたのか初めて本物の笑顔を僕に向けた。
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