第5話
茶色い野戦服の上からトレンチコートを着たノーグは、戦艦『ロバート・エンド』の艦橋甲板に立って、遠ざかる港を見ていた。
艦橋から見下ろせる『ロバート・エンド』の前甲板には巨大な30センチ連装砲が鎮座し、白い服を着た水兵達が雑巾を片手に巨大な鉄の砲身を清掃している。
2基の30センチ連装砲に多数の速射砲を備え、さらに機雷と魚雷発射管まで搭載した『ロバート・エンド』は、世界でも有数の巨艦だ。
ノーグは砲塔を見下ろせる艦橋の上で、心地よい潮風に目を細めた。
ノーグの予想では、出航前夜あたりにライフルで武装した水兵達がモクワ市を目指して進軍するんじゃなかと思っていたが、どうやら見込み違いだったようで、彼らは黙々と自らの任務をこなしていた。叛逆のはの字も感じない。
「言っただろう。叛逆などしないと」
ノーグのすぐ隣に立ったエリナ少将は、自信げにそう言った。
吹き曝しの艦橋甲板にはテントが張られ、参謀達が地図やコンパスやらを手に歩き回っている。
ここが、第一西部艦隊の中枢だ。
艦内にいる高級将校達はほとんどがここにいるので、反乱の事態をいち早く察知するのであれば、ここを監視するのが合理的だ。
そのためノーグと数名の陸軍士官は、ここで海軍将校たちの動向を監視している。
「サンシル皇国連合艦隊と戦って散るまでは、判断できませんよ」
「何を言ってるんだ。例えサンシル皇国艦隊と戦って海に散ったところで、貴様らは私を疑うのだろう?」
「まさか。それは死者への冒涜ですよ」
「はっ。白々しいな」
エリナ少将は鼻で笑って双眼鏡を下ろすと、指揮を副司令に任せて艦内に置かれている司令室に向かった。
艦隊司令には、艦隊指揮の他にも電報の確認や報告書の作成など、さまざまな仕事が存在する。
故に、ずっと艦橋甲板にいる事はできない。
「なんでついてくるんだよ」
エリナは後ろを振り返って、後ろを付いてくるノーグ准将を視認し、呆れた声でそう聞いた。
「いや。私の仕事は貴方の監視なので」
ノーグは簡潔に伝える。
「まさかとは思うが、執務中に関しても監視し続けるつもりか?」
「ええ。風呂は見ないので安心して下さい。最も、そんな上等な装備が、この鋼の鯨の腹に有るとは思えませんが」
実際、ほとんどの軍艦には風呂など用意されていない。
体を洗いたかったら、せいぜい頭から海水をかぶる程度だ。
「安定した陸を戦場とする貴様に、耐えられるかな?」
「陸戦では風呂などありません。体を洗える海水すらも」
挑発するようなエリナの言葉にノーグはそう返した。
「なるほど。陸も陸で大変らしいな」
エリナは少し見直したように感嘆する。
パイプが張り巡らされた艦内の廊下を歩いて、司令室の扉の前でエリナは立ち止まった。
「ところで第22師団は、どのぐらいまで近衛師団情報部が入っているんだ?」
「それは言えませんよ」
正規の情報戦訓練を受けたノーグが、そう容易に機密を明かすはずがない。
「言うわけないか」
「当然です」
エリナは、首を振って司令室のドアを開ける。
艦内では、艦長室並みに立派な部屋だ。
窓はない代わりに、貴重な電力を使った照明が室内を明るく照らし、装飾された木の板が張られた壁には、伝声管や無線機が設置されている。
他にも執務机、ベッド、鏡台、衣類棚が置かれ、王宮ほどではないにしても、その装飾は素晴らしい。
「立派な物ですね。陸軍駐屯地とは随分と違う」
「海軍の戦場は軍艦の上で完結するからな。陸であればどこでも戦える陸軍の、仮拠点に過ぎない駐屯地と一緒にされては困る。軍艦とは鋼の城だ」
エリナは海軍の誇りを語りながら黒い軍服の上に羽織ったコートを壁のフックにかけると、年季の入った執務机に向き合う。
ノーグはドアの前に立った。
「本気で仕事中も監視を続けるつもりなんだな」
「ええ当然です。伝声管や無線がある以上、この部屋を叛逆の指揮所に変えることも可能なので」
ノーグはそう告げた。
実際、艦橋甲板が吹き飛ばされるような激戦となれば、装甲で守られた司令官や艦長室が指揮所となることも想定されている。
艦艇のどこに何があるのか、そして何が何のために配置されているのか。
ノーグは、それらを全て把握していた。
「海に出て、今更何ができるって言うんだ。楯突いたところで、沿岸砲兵から猛射撃を受けて壊滅するだけだ」
エリナは、不満が滲み出た口調でそう反論する。
「この艦隊を丸々サンシル皇国に差し出す。おそらく貴方の部下と貴方の命は保証されるでしょうね」
「‥‥っ!それは侮辱と受け取ってよろしいか?」
エリナは奥歯を噛んで、それだけで人を殺せそうな怒りをノーグに向ける。
「構いませんよ。いくら他人に恨まれようと、これが俺の仕事ですから」
その気迫にも、ノーグの飄々とした態度は変わらなかった。
「仕事か。それならば、私も仕事をするまでだ。サンシル連合艦隊を道連れに散ってやる。もちろん、貴様も逃げ場はないぞ」
「じゃあ、早く目の前の書類を片付けたらどうですか?」
エリナは荒々しく舌打ちをして、机に積み上げられた書類の一枚目を手に取った。
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