第17話
脳を潰された生き物が死ぬように、旗艦を潰された第一西部艦隊も瞬く間に崩壊した。
最後に一矢報いようとそのまま突撃を続ける艦、即座に白旗を掲げる艦、行く当ても無いのに逃走を開始する艦。
突撃を続けた艦と逃げた艦は集中砲火を浴びて海の底へと沈み、白旗を上げた艦は鹵獲され、離脱できた艦は僅か3隻に過ぎなかった。
そして、後方の輸送船部隊も概ね同じような末路を辿った。
包囲され多数の砲を突きつけられた輸送船部隊に、投降以外の選択肢は無かった。
野戦砲を甲板に並べれば多少は戦えたかもしれないが、武装はおろか装甲すらない輸送船では、速射砲1発でも当たりどころによっては轟沈する。
小銃で抵抗を試みる輸送船も数隻はあったものの、速射砲弾を数発受けて沈黙した。輸送船団を無力化した連合艦隊は、そのまま接舷して海軍陸戦隊を突入させる。
抵抗する兵士などいない。例え抵抗したとしても、それは自殺と同義だ。
そうして第一西部艦隊は壊滅した。
その3ヶ月後、アカラシス帝国はようやく講和に応じ、戦争は終結した。
サンシル皇国、南田捕虜収容所
まだ国際社会に進出したばかりのサンシル皇国が、戦争に勝って力を誇示しつつも自国の健全性を世界にアピールするために用意した、数ある捕虜収容所の一つだ。
宿舎は陸軍駐屯地以上で医療設備もしっかりしており、一日数時間の労働さえ行えば基本敷地内という当然の制約は付くものの自由に過ごせる。
定期的な外出も設けられているし、サンシル皇国人は出入り自由なので、運が良ければ現地人が握り飯をくれたりするという、かなり良心的な施設だ。
「平和だな」
暖かな春の日差しが降り注ぐ中、ノーグは捕虜収容所内のベンチに座って青空を見上げていた。
ここがアカラシス帝国の捕虜収容所であれば、極寒の針葉樹林で、木を数えるような虚しく辛い仕事に就く羽目になっていたので、それに比べればこの穏やかな捕虜収容所は天国に等しい。
ノーグの視界には、サファイアのような蒼穹と真綿のような雲と、清潔感のある白い壁の病院棟が写っていた。
負傷した海軍兵たちは、全員がそこに収容されている。
噂によると、エリナ少将もそこに捕えられているそうだ。
事実かは分からない。旗艦『ロバート・エンド』の艦橋甲板には戦闘中に榴弾が直撃し、ほとんどの将校が戦死したと聞いている。
何しろ、敵の待ち伏せが原因とはいえ、突撃時には最前線を進み全艦隊の盾となって沈んだのだ。当然の結末と言えるだろう。
その後『ロバート・エンド』自体が雷撃で撃沈してしまい、生存者もほんの数名だけだったので、艦で何が起こったのかなど知りようがなかった。
ノーグは、もしかしたらエリナが何か用事のために病院を出ることがあるかもしれないと思い、こうして時間を探しては病院の近くまで訪れているのだが、その機会は今まで訪れていない。
「ノーグ准将殿。またここにいたんですか」
そう呼びかけられて、ノーグは上に向けていた視線を正面に向ける。そこには、白い作業服を着たレドシー少佐が立っていた。
「ああ、君にも話しただろう。やっぱり、子供の頃の旧友だからね。もし生きていれば会いたいし」
「生存者名簿を確認すればいいんじゃないですか?多分見せてくれますよ。病室が分かれば、お見舞いに行くこともできる」
レドシーは、そう提案した。
「いや、必要ない。こうして待つことは俺の楽しみでもあるからね」
ノーグは俯いてそう言う。
「怖いんですか?エリナ少将殿の死を知るのが?」
レドシーは一切躊躇うことなく、事実を突きつけた。
ノーグは顔を上げる。
「いや、そんなわけないだろう。いや。今更か‥‥君の言う通りだよ。怖いんだ。自分にとって大切な人との約束を永遠に守れなくなったことが確定することが、怖くないわけないだろう」
「覚悟を決めたんじゃないんですか?覚悟を決めたのであればエリナ少将殿の死に向き合うべきです」
「それは、彼女は覚悟を決めただろうさ。でも、俺には無理だったよ。彼女が死ぬと言う事実を受け入れる覚悟など決められなかった」
ノーグは手で顔を覆うと、自嘲するように笑った。
「ははは。やっぱり、俺が君より強いわけないじゃないか。なんでだろうな?俺はどうしようもなく弱いのにさ。結局、人一人守ることすら」
「勝手に殺すな」
ノーグの独白を、唐突に柔らかいソプラノが横切った。
その声をノーグが忘れるわけがない。彼は、即座に顔を上げた。
灰桜色の髪、山奥でこんこんと湧く泉のような、澄んだ翠眼。
「エリナ?」
頭に包帯を巻き松葉杖をついていて、外観を見るに無事ではなさそうだったが、確かに生きていた。
「生きていたんですか?」
「あの程度の爆発じゃ死ねないよ」
エリナは、ふっと笑う。
「あれだけ啖呵切ったのに、生き残ったらダサいよね」
「‥‥いえ。やっぱり貴方は強い人間でしたよ。少なくとも、10年も引っ張っておきながら、最後まで貴方との約束を守れなかった俺なんかよりは」
「いいや。私は確かに君に守られたよ。もし君がいなかったら、私は死ぬ気で生にしがみついたりしなかった」
ノーグは、一瞬崩れかけた涙腺を抑える。
「北キサラにも、行けますね」
レドシー少佐は、いつの間にか立ち去っていた。
おそらくエリナとノーグに気を使ったのだろう。
厳しく生真面目で、融通の効かない部下ではあったが、同時に気の利く部下でもあった。ノーグは目を細める。
帰還したところで凱旋でない以上、エリナにもノーグにもろくな扱いが待っているはずがない。軍での立場は失うだろう。
ただエリナとの約束を果たすことだけが軍に入った目的だったノーグにとっては大した問題でもないが、エリナにとっては人生を賭けて築いた地位を失うことになる。
「エリナさん。すみませんでした。貴方を守るためであれば、今回の航海だけは全力で、たとえ俺の命と引き換えにしても止めるべきだった」
ノーグの後悔から出た言葉に、エリナは驚いたように固まっていると、やがてノーグのすぐ隣に腰を下ろす。
「別に。むしろこの航海には感謝しているよ。祖国について、色んな意味でより深く知ることができたし、経験も積めたし。何より、君と再会できたからね」
全てを代償に何よりも大切な物を得たエリナは、ノーグの心臓が緩むほどに綺麗な笑顔を浮かべていた。
終
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