第18話 エピローグ
機関車で3日、徒歩5時間。
北キサラは、そんな辺境の地にある。
そもそもが木組の簡単な家々が並ぶだけの限界集落だったところに国境紛争が致命傷となり、現在は廃墟同然の状態だ。
ノーグは畑仕事を終えて、正面の湖を眺めていた。
2人全てを投げ出して愛の逃避行と言えば聞こえはいいが、要するに軍法会議で裁かれることを嫌い、責任を取ったと言う体で下野しただけだ。
無人で土地も綺麗な北キサラの廃村は自然豊かな場所だ。美味しい淡水魚も釣れるし、2人が十分に生活していけるだけの畑もある。
「全く。王政もよく許可したよね。こんなこと」
エリナはノーグの隣で本を読みながら、そう呟いた。
彼女の読む本の題名は『資本論』。ノーグはちょっと背筋がゾッとするのを感じたが、湖から流れ込んでくる冷気が原因だろうと考え直した。
ここには納税の義務も兵役の義務もない。社会保障も一切存在していないが、元々補償など無いも同然なので困ってはいない。
「この辺りは政府も顧みない廃墟しかありませんからね。政府から見ても、こんなところに2人だけで暮らしている奴に税を課したって割に合わないのでしょう」
「もしくは、最近巷で流行っている思想の統制に忙しくて、それどころじゃないのかもね」
エリナは本の表紙を指先で叩いて、そう言った。
長年圧政に耐え続けてきた農奴たちが、アカラシス帝国がサンシル皇国に敗戦したことを契機に爆発したらしい。
あちこちでデモが起きているとも聞いている。
エリナがまさに今読んでいる本が、それの火種となっているそうだ。
帝国の死は近いな。
最も、結局首が変わるだけにとどまるのだから何の関係もない。
革命が成功すれば、圧政を極めた帝国は死ぬ。だが、また圧政を極める国家が樹立されるだけだ。
「読むのは勝手ですけど、ちゃんと燃やしてくださいよ」
「私がアカくなったら困る?安心してよ。コミーに浮気なんてしないからさ」
エリナは、イタズラっぽい笑みを浮かべてそう言った。
可愛い。だが、政治の話に愛嬌が必要だろうか。
「違う。もし政府側の人間がここにきて、その本を見つけられたらどうするんですか?我が国の収容所は、サンシル皇国のように甘くないですよ」
ノーグはため息をついて、そう言った。
「分かってるよ。でも、やっぱりこの国がどう変わるのかは知りたいんだ」
「まあ、貴方はそういう人でしたね。なんだかんだ言って関わるつもりでしょう?政治になど興味を持たず、ただ真面目に仕事をこなすワーカホリックに見せかけて、そういう清濁合わせ飲むの大好きなんですから」
エリナとの同棲を始めてから数ヶ月、ノーグも朧げだった子供の頃の記憶を取り戻しつつある。
真面目さと狂気両方を併せ持つエリナと一緒に遊ぶのは、子供の頃のノーグにとってとても楽しいことだったし、今でも楽しい。
「ははは。真面目な私など、私にとってただ外聞を取り繕うお面にすぎないよ。素顔を見せるのは君だけで十分だ。ところでさ、もし私がまた行こうとしたら、君もついてくてくれるのかい?」
エリナは本を閉じると、ノーグに寄りかかる。
「毒を食らわば皿まで。
「くふっ」
エリナは綺麗な顔に、愛おしげな、それでいて邪悪な笑みを浮かべた。
戦争の香りを嗅ぎ取った殺戮の天使。
あるいは、自らの組織に忠誠を誓う聖騎士。
果ては、愛しい人を守る愛と美の女神。
どれがエリナの本質だとしても、あるいは全て偽りでも。
ノーグにとっては、そんなことはどうでもいい。
ただ、自分の好きな相手が自由に生きていれば何でも。
湖畔に、微かな戦争の香りが漂っていた。
君と地獄の航海へ 曇空 鈍縒 @sora2021
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