君と地獄の航海へ

曇空 鈍縒

第1話

 アカラシス帝国首都、モクワ市。


 数世紀の長きにわたり栄えてきた大都市の中央には、その歴史を象徴するような古めかしく巨大な王宮が鎮座している。


 はらはらと舞う粉雪に覆われたそこに、一人の海軍士官が呼び出されていた。


 世界でも有数の富を誇るアカラシス王家の王宮の外観は、その膨大な富に見合わず、無駄を削ぎ落し機能美を追求したような無骨なデザインになっている。


 王城の陥落を防ぐ、実用性を重視した要塞のような外装とは打って変わり、その内装は息を呑むほどに美しく緻密だ。


 大理石の廊下にはウールの赤絨毯が敷き詰められ、繊細な金銀細工や高名な匠の手がけた彫刻がそこらじゅうに飾られている。


 扉や家具にも高価な木材が惜しげもなく使用されており、その全てがアカラシス帝国の誇る高い木材加工技術で、緻密な装飾が施されていた。


 もちろん、これを守る近衛兵達も美麗な王宮に見合う強さと高潔さを兼ね備えており、金色の飾緒や勲章で飾られた緑の軍服を着て、微動だにすることなく警備に当たっている。


 顔立ちも精悍で、所作一つとっても高い練度を垣間見ることができた。


 それに対して、召喚された海軍士官の服装は少し地味だ。


 赤絨毯を飾り気のない黒い軍靴で踏みしめ、海軍の黒い軍服にも、本来付けるべき勲章のほとんどを付けず、少将を示す階級章が胸ポケットの上で輝いているだけ。


 一見、王宮という場に出て広大な国土と数多の国民を統べる国王に謁見するには、少し簡素な格好にも見える。


 だが、見る人が見れば気付くだろう。


 軍服には一切の乱れがなく、軍靴も丁寧に手入れされている。動きも洗練されていて、垣間見える実力は熟練の近衛兵にすら匹敵する。


 灰桜色の髪はボブショートにカットされ、翡翠色の瞳は美しく冷たい。どこか真面目な印象を受ける顔立ちだ。


 エリナ・ジェスロンス海軍少将。


 27歳の若さで少将にまで上り詰め、アカラシス帝国最強の艦隊とまで言われる第1西部艦隊の司令官に就任した、アカラシス帝国海軍最高の天才。


 それが彼女の正体だ。その身に纏う風格は鋭く、警備の近衛兵たちは彼女が近づくたびに全身を緊張に張り詰めさせた。


 そんな近衛兵たちのヒリヒリとした心境など気にもせず、彼女は王宮の廊下を足早に進んで巨大な扉の前で立ち止まる。


 それは、神話の一節が彫り込まれた美しい木製の扉だった。金線や銀線で飾られ、色とりどりの水晶玉が象嵌されている。


 王家の間の入り口に、相応しい威容。


 扉の左右に立った近衛兵はエリナの姿を一瞥すると、完璧な動作で鋭く敬礼し、ドアを開いた。


 王宮の内装は、細部に至るまで見るものを圧倒する美しさを持つが、玉座の間は、これまで見てきた芸術的なまでの内装を全て霞ませるほどに壮麗だ。


 緻密な寄木細工の床に、色鮮やかな天井画が描かれたドーム。


 壁には色鮮やかな絹のタペストリーが飾られ、深く長い王家の歴史を無言で語っている。


 玉座の間の最奥には、金の刺繡が施された赤い天蓋が垂らされていて、そこに金の玉座が鎮座していた。


 金の蔓草が絡み合い宝玉の果実を実らせるデザインの玉座は、歴代の国王に伝わる数多くの宝の中でも、最も高価な逸品だ。


 そこには、立派な顎髭を蓄えた国王が堂々と座っていた。


 エリナは玉座へと数歩近づいて、寄木細工の床に膝をつく。


「海軍第一西部艦隊司令、エリナ・ジェスロンス少将。参上いたしました」


 エリナは鋭い声で挨拶をして深々と頭を下げると、透き通るような翠眼を少し上に向けて王の顔色を探った。


 国王の顔には、一切の表情が浮かんでいない。


「うむ。今回呼び出したのは他でもない。貴様に命令を授けるためだ」


 王は厳かな声でそう言った。


 傍らに控えていた臣下が歩み出て、王から命令書を受け取る。


 臣下は静かに歩いて、エリナに命令書を渡した。


 エリナは膝をついたまま、それを受け取る。


「東部軍管区にて悪逆なるサンシル皇国軍は我が王の軍を打ち破り、我が海軍の東部連合艦隊はウラーグス港まで追い詰められている。壊滅も時間の問題だろう」


 もちろん、エリナもその事実は把握していた。将官クラスの高級将校が、そんな重大事項を把握していない訳が無い。


 東部連合艦隊のいるウラーグス港まで行くには2つの大陸を迂回する必要があり、たとえ最大速度で飛ばせたとしても6ヶ月はかかる。


 実際は巡航速度以上は出せないだろうから、7ヶ月以上の長旅になるだろう。


 救援を命令されることはもともとわかっていたので、すでにエリナが指揮する第1西部艦隊には、補給艦と輸送船の用意を命じておいた。


 10日以内に出港しろと言われても、問題ない。


「その命令書の通り、貴様は第22歩兵師団と共にサンシル海ウラーグス港へ向かい、追い詰められた東部連合艦隊を救い出せ」


「御意」


 エリナは国王の言葉に彼女は条件反射で返事をして、直後に耳を疑った。陸軍師団の輸送任務など、流石に予想すらしていなかったからだ。


 現状、サンシル皇国は大陸沿岸を支配する国々の全てと友好関係を結んでおり、公開の最中に補給を受けることはほぼ不可能になっている。


 その場合、第一西部艦隊が常備する輸送船と補給艦だけでは食料も水も足りなくなるので、エリナは海軍の会計隊にかなり無茶を言って輸送船を山ほど用意させたのだ。


 だが、陸軍歩兵師団は巨大だ。


 1万人を超える兵員と全員分の武器弾薬、これに加えて、重砲や戦車、さらに燃料なども必要になる。


 燃料も食料も確実に足りなくなるだろう。


 しかも、ウラーグス港のあるサンシル海の制海権は、サンシル皇国の手中だ。


 島国であるサンシル皇国は、自国が保有する数多の無人島に監視所を設置し、サンシル海全域を24時間体制で監視している。


 港に入るなら、サンシル皇国連合艦隊との決戦は避けられない。


 最悪のシナリオとして、ウラーグス港が陥落して東部連合艦隊が壊滅し、第一西部艦隊もサンシル皇国海軍連合艦隊と砲撃戦になって引く場所もなく壊滅という事が想定される。


 ただでさえそうなる可能性が大なのに、陸軍師団など輸送できるはずがない。


 そもそも、万が一無事に輸送したところで、戦車も火砲も兵士も全部まとめてサンシル皇国に鹵獲されるのがオチだろう。


 いや。北回り航路を取れば多少素早く移動できるし、連合艦隊との交戦も避けられるな。


 船員全員をシャーベットに変えかねない狂気の判断が、エリナの脳裏をよぎる。だが即座に霧散した。それをやったら本当に無意味な犬死にだ。


 何にせよ、王からの命令には逆えないし、意見を具申することすらできない。


 彼女は溢れだしそうになった文句を、口をつぐんで押さえた。


 ここで自分が処刑された所で、今回の作戦は覆らない。


 エリナには、自分の指揮下であれば最低限の活躍はさせてやれる自信があった。


「下がれ」


 王は、自らが出した命令が自国の敗戦に直結していることもエリナの心情にも、一切気付くことなく、話が終わったことを伝える。


「はっ」


 エリナは短く返事をし、玉座の間を後にする。


 彼女は、唇を強くかみしめていた。

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