第2話

 エリナが王宮の廊下を歩いていると、向こうから太った男が近づいてきた。


 上等なカシミアのスーツの上から、分厚い黒いウールのコートを羽織っている。


「これはこれはエリナ少将殿。王宮までご足労いただきありがとうございます」


 男はエリナに近づくと、慇懃で大袈裟な動作で一礼し挨拶した。


「オードマン財務大臣殿。お久しぶりです」


 エリナは、眉を顰めつつ軽く敬礼し小走りで去ろうとする。


「陸軍師団の輸送任務を拝命したそうですね。おめでとうございます。これを成功させれば、海軍司令官も夢ではありませんよ」


 だが大臣は、エリナが走り去るよりも早く、嫌味なまでに丁寧な口調でエリナに話しかけた。


「ええ。最善を尽くさせていただきます」


 エリナは、湧き上がってくる怒りを抑えて会話に応じる。


「陸軍師団の輸送は私の案なのですよ。せっかく東部まで行くのであれば、ついでに陸軍戦力も運んでもらった方がよろしいと思いましてね。鉄道だと時間もかかるし、運べる量も少ないですから。何より、鉄道は金がかかる」


 エリナは腰の拳銃に手を伸ばしかけて、やめた。


 どれだけ金があっても、国家の財布を握る財務省というのは何故か金を惜しむ。その結果としてより多くの損失、特に人命の喪失を生み出しかねないことなど、理解できないのだろうか。


 もちろん、エリナも文官に武官の理論を説くことの無意味さは理解している。


 なにしろ、学んできた学問も行動の根幹となる思想も違う。


 向こうに軍事学の知識があれば別だが、残念ながらこの財務大臣には一切の知識がない。故に説得は不可能だ。


「それはありがたいことです」


 エリナは、軍人としての目で見ればふざけているとしか思えない気遣いに対し、丁寧に礼を言う。


「それでは、期待していますよ。必ずや、祖国に勝利を」


「はっ」


 エリナは敬礼して話を終わらせると、足早に歩き去った。


 その後ろ姿を見送って、オードマンは嗤う。


「馬鹿な奴だ。我々の考えも知らないで」


 長く続いた戦争で、軍はかなりの金銭を蕩尽している。だが、このまま戦争が続けば軍は権力を増すばかりだ。


 ここで一度大きな敗戦を味合わせて、その力を物理的にも政治的にも削ぎ落とし大規模な軍縮を行う。


 これは、そのために財務省と政府が仕組んだ布石だ。


 流石に7ヶ月間ほぼ無補給での航海を行えば、7隻もの主力艦を保有する第一西部艦隊といえど戦勝の希望は薄いだろう。


 軍縮で浮いた予算は、8割ぐらいを貴族と政府が受け取って、残りは一部の国民にでもばら撒けばいい。


 政治家として国民から人気になりたいなら、武を極めるよりも徳を積んだ方がいい。例えその道で国が滅ぶとしても。


 金さえ撒けば従順になる犬。国民という生き物を、人徳者ではなくても熟練の政治家ではあるオードマンは、良く理解していた。


 オードマンは愉快な心を隠そうともせず廊下を歩き、王宮内に設置されている財務省の建物に消えた。

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