第9話

「疲労ですか。若い人は体力ありますし、ちょっとやそっとの徹夜じゃ倒れませんよ?彼女、本当に20代なんですか?」


「5日間ほぼ不眠不休だったので」


 いかにも体育会系といった雰囲気のある軍医の失礼とも取れる質問に、ノーグはベッドの上でぐっすり眠るエリナに代わってそう返した。


 ほとんどの海軍将兵たちは、ノーグのことを海戦と海軍に強い興味のある陸軍師団長だと思っている。


 ノーグは人付き合いが得意だ。海軍将兵たちとの関係も良好に保っていた。


 もちろん、この軍医とも仲はいい。


「ああ」


 ノーグの報告に、軍医は何かを察したような遠い目をした。


 この軍医も、若い頃はほとんど徹夜で仕事をしていたが、それは学生の頃に培った男性としての体力があったからだ。


 細身で脂肪の少ないエリナにできる芸当ではないし、そもそも5日の徹夜なんて軍医ですらやったことがない。


 そんなことは医学的に可能なのか?軍医は頭を捻ったが、こればっかりは医学の観点から理解することは難しい。


 彼は早々に無意味な思考を放棄し、目の前の治療に専念することにした。


「仕事中毒ってやつですかね?」


 ノーグは、深刻な病を語るような口調でそう聞く。


「ええ。おそらくはそうですね。現状、特効薬も存在しない難病です」


 軍医は腕を組む。徹夜という心身に悪影響を与える行為を繰り返させる仕事中毒は、軍医から見れば難病だ。


 軍医は眉間を押さえる。


 数百人が乗り込む戦艦の医務室は、かなり広い。


 いざ戦闘となれば、僅か10人の医療要員で、この広い医務室の外にまで溢れかえる負傷者の治療に当たらねばならない。


 もちろん、艦隊主力となる戦艦に乗りこむ軍医ともなれば、皆、経験と実力を兼ね備えた名医ばかりだ。


 それでも仕事中毒を治すことはできない。そもそも軍医に精神病は専門外だ。


「体調不良に関しては単なる寝不足なので、寝れば治りますよ」


 専門外の分野については処置のしようがないので、軍医はとりあえず治療可能な領域から手をつける。


「そうですか」


「これからは、司令にちゃんと寝るよう伝えてください。兵卒たちが働く中寝ていては部下に示しがつかないとでも思っているのでしょうが、司令官が倒れるようでは困ります」


 体調管理程度、若くても50代は超えている普通の将官になら簡単なことだ。


 だが、能力こそあるものの経験のないエリナには、それも難しい。


 部下を鼓舞し自らも苦労を味わい、何千人もの兵員を統制しつつも、自分の体調は完璧に管理するという並外れたバランス感覚には、やはり経験が必要だ。


「優秀であれば、若者にも高い階級を与えるという我が国の方針は良いのかもしれませんが、やはり経験という意味で、年の功は大きいですね」


 軍医は、深々とため息をつく。


 彼もかなり疲労が溜まっているように見えるが、そこは40年以上もこの世で生きてきた経験で、なんとかしているのだろう。


 ノーグだってまだ20代。経験が不足しながらも将官になってしまったという意味では、エリナと同じだ。


 それは、ノーグ自身が最も感じている。


「俺も、もっと経験を積まないといけませんね」


「ええ。そのためにも2人とも生き残ってくださいね。この戦闘」


 軍医は、ノーグを慮るようにそう言った。


「もちろん」


 ノーグは深く頷く。


「俺も死にませんし、エリナ少将も絶対に死なせません」

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