第3話

 首都から鉄道で3日。


 アカラシス帝国の切り札である第一西部艦隊が停泊するセヴァスト港は、大陸に囲まれた狭い海に面している。


 その日、港を見下ろす丘の上に建設されたセヴァスト要塞——今は第一西部艦隊司令部となっている——の会議室には、艦隊司令以下参謀や各艦の艦長たちが集まっていた。


 要塞と言うだけあって内装は無骨で、天井の電気照明が、石が剥き出しになっている壁と軍服姿の高級将校たちをオレンジに照らす。


 集まった将校達は、すでに今回の遠征について知らされている。


 彼らは、過酷を極めるであろう航海に緊張こそしていたものの、温存され続けた第一西部艦隊にようやく出番が与えられた喜びも同時に感じていた。


 陸軍師団の輸送任務について、彼らはまだ知らない。


 会議室の隅に立つ陸軍第22師団の若い師団長が、なぜそこにいるのかも、彼らには分からない。


 エリナも士気の急激な低下を避けたかったので、その事実はまだ一部の参謀にしか伝えていなかった。


「出航は5日後。すでにウラーグス港は陥落寸前。東部連合艦隊の壊滅に間に合うかは五分五分だ」


 将校たちの前に立ったエリナ少将は、部屋の黒板に素早く世界地図を描き、航路と敵味方部隊の位置を示す。


「地中海から出港しサンシル海に向かうならスーズ海峡を通るのが最短ルートだ。だが、ここはイグランド連合王国が抑えているため使えない」


 エリナ少将はスーズ海峡にばつ印を付け、自分たちが通る航路を示した。


「我々は南部大陸を迂回し、サンシル海を目指す。陸軍22師団を輸送しながらな」


 一瞬の沈黙。


 会議室に、ざわめきが広がった。


「そんな」


「陸軍師団の輸送?」


「食料は足りるのか?」


「そもそも5日後の出航自体が厳しいと言うのに、陸軍分の糧食まで用意できるのか?」


「補給はどこで受けるんだ?流石に7ヶ月無補給では全員飢え死にだ」


 海軍でも有数の頭脳たちの間に、混乱が広がる。


 エリナ少将は、艦長と参謀たちの不安を取り除くべく口を開きかけた。


「だが、安心してほしい。我々は」


「深く考えるのは、あまり良くないんじゃないですか?この航海、要するに死んでこいってことですよね?違いますかエリナ少将殿?そのために、俺の師団は荷物として扱われたようだ。あまりいい気分ではないけど仕方がない」


 エリナ少将の言葉に被せるように、会議室の隅で静かにしていた若い師団長が唐突に口を開いた。


 会議室のざわめきが、冷たく消えていく。


 その言葉はある意味正論ではあったが、同時に空気の読めない発言でもあった。


 可能な限り士気を高め、せめて獅子奮迅の戦いをしようとしていたエリナ少将にしてみれば、最悪のタイミングだ。


「その通りだノーグ准将。だが勘違いするな。貴様ら程度の荷物を苦にするほど第一西部艦隊は弱くない。海を知らぬ陸軍に、とやかく言われる筋合いはないな」


 エリナ少将は、鋭い翠眼でノーグ准将を睨む。


 ノーグは、感情を推し量らせない瞳で、エリナ少将を見返した。


「なるほど。確かに私は海を知りません。そういえば、海軍の水兵達は海鳥を落とすための散弾銃を積み込んでいましたね。海の上で肉を焼く余裕があるとは、さすが精強な第一西部艦隊だ」


 ノーグ准将はそう言って口を閉ざす。食糧不足を凌ぐための現地調達。戦術規模ならともかく、戦略規模でそれが開始された時点で、もうその国は負けている。


 それが事実であることを分かっていたから、将校たちも一切の反論をしないし、実際、状況を正しく認識することは良いことでもある。


 だが、ノーグが非常に余計なことを言ったことは間違いない。


 陸軍と海軍は、元々仲が悪い。その仲をさらに悪くしかねない発言をした意図が、エリナには理解しかねた。


「文句を言っても仕方がない。王命は絶対だ。5日以内に、可能な限りの食料と輸送船を集め、出航する。連邦の盛衰がこの一戦にかかっていると思え」


 エリナは部下たちを可能な限り鼓舞した後、各艦の艦長達と参謀にその他諸々の指示を下して、早朝から続いていた会議が終了する頃には、もう正午を過ぎていた。


 第一西部艦隊司令部となっているセヴァスト要塞は、すでに堀は埋め立てられ、要塞としての機能はほとんど喪失している。


 壁の一部と楼閣しか残されていないが、それでも騎士道物語の時代には確かに有った威容の面影を、今に伝えていた。


 要塞から出ると、眼下には艦艇のひしめく巨大な港が一望できる。


 コンクリートの桟橋に鎮座する第一西部艦隊旗艦『ロバート・エンド』を筆頭とする7隻の戦艦に加え、多数の巡洋艦と駆逐艦、水雷艇が停泊し、それに加えて官民問わずかき集めた20隻を超える輸送船が、港の隅で陸軍装備の積み込みを受けている。


 エリナ少将は頬に潮風を受けながら、自らの指揮下にある艦隊を眺めた。


 鋼色の美しい軍艦が連なる光景が、エリナは好きだった。


「エリナ少将殿、見事な船ですね。濁流渦巻くスモロディナ川を渡ることすら、この強大な艦隊にとっては、さして難しいことでもないのでしょう」


 その感慨に水をさすように、陸軍師団長、ノーグ准将がエリナにそう話しかけた。


 スモロディナ川とは、アカラシス帝国に古くから伝わる神話に語られる、生者の国と死者の国の間にあると言われる川の名前だ。


「そうだな。貴様ら陸の兵士には、泳いで渡ってもらうとしよう」


 エリナは、安っぽい爽やかな顔面に取って付けたような薄ら笑いを浮かべるノーグを一瞥して、そう吐き捨てた。


「死なば諸共ってことですか。最も、しっかりとサンシル皇国連合艦隊と戦った末に撃滅されるのであれば、まだいい方死に方ですがね」


 今回の航海で想定される最悪の場合では、長期の航海に耐えきれなくなった艦が次々と落伍し、サンシル連合艦隊まで辿り着く前に全滅する、というものだ。


 それが100%ありえないかと言われて頷けないのが、現状だった。


「だから、我々は勝利すると何度も言っているだろう」


「本気で思っているのですか?やはり俺は、出航させるべきではないと思います。貴重な戦艦を全滅させて例え勝利したとして、我が国の敵はサンシル皇国だけではないのですよ?艦隊が全滅して、イグランド連合王国を筆頭とする列強各国の大艦隊に対し、どう立ち向かうのですか?第一西部艦隊と東部連合艦隊が両方とも壊滅すれば、おそらく海軍の復興は永遠に不可能です。財務省の思惑ぐらい、あなたも読んでいるのではないですか?」


 ノーグはエリナの言葉に被せるようにそう聞いた。それこそ、王家への叛逆とも取れるような強い言葉で。


 エリナは言葉に詰まる。


 それぐらいは理解している。そんなことも察せないようで、この若さで少将にまで上り詰められるものか。


 だが、だからこそ彼女に退路はなかった。


「死にたくないのなら貴様が勝手に逃亡することだな。もちろん敵前逃亡した犯罪者として海軍歩兵に追跡させ、必ず射殺するが。王命が出た以上我々は行く。絶対にだ」


 ノーグの灰色の瞳が昼間の太陽に照らされて、きらりと光った。


「そうですか」


 ノーグは、ポツリとそう言った。


 急に沈黙したノーグを、自分の脅しが通じた事による物と判断したエリナは、さらに畳み掛けた。


「次、我々の士気に関わる発言をしたら、貴様の身柄は、海軍歩兵隊の連中に拘束させる。分かったな?」


 ノーグは、そのまま沈黙を守る。


 エリナは、さすがに不気味さを覚えてきた。


「ノーグ准将?」


「ククク」


 ノーグが、唐突に笑い出した。その声は、徐々に大きくなっていく。


 エリナは、目の前の相手が急に気配を変えたことに不安を感じて、少し後ずさった。


「どうした?急に笑い出して」


「もしかして、俺の身元露呈しています?」


 ノーグは、エリナにそう聞く。エリナは首を横に振る。


「ああ。自分は近衛師団情報部のノーグ・ローランドと言います。国王より、あなたの監視を仰せ付かり、こちらに参りました。よろしくお願いいたします」


 ノーグは、特に攻撃行動を取ることもなく、代わりに仰々しくお辞儀をした。


 まさか、諜報員だったとは。エリナは軽い驚きを覚え、そして察する。


 さっきまでの質問で、自分がチェックされていたことに。


 もしうっかりでも本音を滑らせていたら、その時点でエリナは逮捕され、軍法会議に送られていた。


 エリナの背筋に、冷たいものが走った。


「なるほど。だが、なぜ身元を明かした?」


 エリナは、自身の心に広がりかけた恐怖心を押し殺して、気丈に聞く。諜報員がわざわざ身元を明かすことは珍しい。


 つまりノーグには、身元を明かす必要があるような特殊な作戦のために、ここにいるということだ。


「ええ。別に近衛師団情報部の人間は水兵達にも混じっていますので、一人露呈した程度では大した問題もないです。それに、もし貴方が諜報員の存在を知らずに叛逆を計画し実行してしまったら、我々情報部としても面倒ですし、アカラシス帝国の国益にも反しますので」


「そんな牽制などしなくても、私は叛逆などしないよ。我らが王家に刃を向けるようなことが、一海軍少将に過ぎない私に、できるはずがないだろう?」


 エリナは、自身が疑われているということに少しだけショックを受けつつも、その容疑を否定した。


「さあ。少なくとも当の王家は貴方を信用していないようですけどね。厳密に言うと、王家を筆頭とした政府機関が、と言った方が正しいのですが」


 国家のために尽くしたところで、当の国家が信頼してくれるとは限らない。


 だが、エリナはその行動が国家として健全な姿勢であることは理解していた。


 丘の向こうから一台の車が走ってきて、ノーグの前に停車する。


 運転手が降りてきて、後部座席のドアを開いた。将官クラスの高級将校には、専属のドライバーが付く。


 少将のエリナ然り、准将のノーグ然りだ。


「あ。それでは俺はこれで。また出航の日に会いましょう。私も、旗艦『ロバート・エンド』に乗艦させていただきますので」


 それを聞いたエリナは苦々しげな表情を作った。いくら政治の世界に浸かっても、エリナの精神は生粋の海軍士官だ。


 自分の艦まで政治に荒らされることに、いい顔はできない。


 だが、そんなエリナの心境など気にも留めない様子で、ノーグは迎えに来た車の後部座席に乗り込む。


 ノーグは不遜な空気こそ纏っていたものの、自分より一つ上の階級に位置するエリナへの敬礼を欠かすことは無かった。


 エリナは、それに敬礼を返す。


 黒塗りの師団長車は、一瞬にして走り去った。



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