第6話

 航海日誌


 1904年10月7日


 快晴


 陸軍第22師団を輸送船に乗せ、セヴァスト港を出港する。

 港湾を守るため、駆逐戦隊の一部は残していくが、それでも50隻以上の大艦隊である。

 現在は7ノットでジブラル海峡を目指し航行中。

 三日後には通過できる予定。

 旗艦『ロバート・エンド』には、陸軍士官5名が乗艦。

 指揮統制への影響を防ぐため、今後は陸軍士官の海軍艦艇乗艦を規制する法律を設けるべきと考える。


 第一西部艦隊司令 エリナ・ジェスロンス




 出港から10日後。


 第一西部艦隊はアフガルア大陸沿岸を南下していた。


 この辺りは、サンシル皇国の同盟国であるイグランド連合王国が制海権を握っているため、水兵たちもかなり緊迫していた。


 イグランド連合王国海軍は直接攻撃こそしてこないものの、頻繁に軍艦を接近させてきては挑発行動を行ってくる。


 おかげで水兵たちは早朝から見張り台に登り、神経を張り詰めて、接近する軍艦の姿がないか水平線を睨む必要に迫られている。


「なあ、食事ぐらい一人で摂らせてくれないか?」


 一方その頃、『ロバート・エンド』の司令室。


 エリナは辟易とした気分を隠そうともせず、司令室の壁際でジャムを塗ったパンをかじるノーグに言った。


「それは無理ですよ。仕事ですから」


「柔軟性に欠けるのは官僚と政治だけにしてくれよ」


「その発言は王政批判ですか?アカラシス帝国に対する反逆的な発言ですか?」


「ノーグ准将に命じる。うるさい黙っていろ」


「はっ」


 ノーグは口を閉じた。


 流石に、階級が上の相手からの命令には、それがいくら直属の相手でなくても従わざるを得ない。


 仕事を遂行するのに、喋るという行動は不要だ。


「じゃあノーグ准将、退出しろ」


 エリナは、ノーグが命令を聞くことに期待して、そう言った。


「お断りします」


 司令室を出ることは情報部からの命令違反になる。ノーグは躊躇うことなく断った。


「本当に信用がないんだな。私は」


「俺が貴方を信用していないのではなく、王家が貴方を信用していないのです」


「貴様に信用などされたくないわ。後者が問題だと言うことぐらい、貴様の愚鈍な頭でも理解できるだろう?」


「愚鈍とは失礼ですね。これでも国内トップクラスの難関学校である陸軍士官学校に入学し、卒業しているんですよ」


「なんで280人中263位で卒業した間抜けが、曲がりなりにも私と同じく20代で将官クラスにまで上り詰めているのだろうな?」


 エリナは、自分の努力が汚されたような気分でため息をつく。


 上質なコーヒーも貴重な卵料理も、彼女の心を安らげてはくれない。原因は色々とあるが、その中で最も大きいのは目の前の男だ。


「俺の順位を調べる時間があるなんて、エリナ少将殿はとってもお暇なのですね。それならば、ちょっとチェスとか付き合ってくれませんか?暇なんですよ」


 エリナの表情が引き攣り、同時に、何かが切れたような音がした。


「分かったノーグ准将、貴様には少しばかり海軍精神が足りていないようだ」


 エリナはゆっくりと立ち上がると、壁に立てかけられた木の棒を持ち上げた。


「それは?」


「ああ。これは海軍精神注入棒と言う、我がアカラシス帝国海軍が誇る伝統の兵器だ。間抜けな新米水兵共に、海軍とは何たるかを叩き込んでやるのに使用する」


「ほお、それはすごい装備ですね。叩き込むというと?」


「もちろん、物理的にだ。私とて現場指揮官も経験している。この装備を使うのは久々だが、腕は鈍っていないさ。安心してくれ」


 ノーグ准将も、エリナ少将が何をするつもりなのか察した。


「待ってください。それは」


「これは海軍士官に認められた正当な権利であり、義務だ。貴様にも叩き込んでやろう。海軍精神というものを。もちろん、物理的にな」


 エリナの鋭い突きを、ノーグは首を捻ってかわした。


「今の、殺意ありませんでしたか?」


 ノーグは唾を飲み、そう聞く。


「貴様が近衛師団の所属だろうが、知ったことか。ここは海の上だ。陸の政治屋どもがくだらない法を振りかざすように、海には海のルールがある」


「待ってください。謝ります。これからは口を閉じます。司令室にも入りません」


 ノーグが素早く述べたうわべだけの謝罪を、エリナは華麗に無視した。


「とりあえず殴らせろ。話はそれからだ」


 流石に10日間、ひたすらくだらない無駄話に付き纏われるストレスに、いくら豪快な海軍将兵とて耐えきれなかったらしい。


 横なぎの一閃に、ノーグは頭を下げて対応する。


「がっ」


 直後、ノーグの腹部をエリナの頑丈な軍靴が穿った。


 ノーグは、腹を抑えて崩れ落ちる。


「私の打撃を回避できる奴がいるとはな。ただ、その程度の回避能力で私に対抗できるとは思うなよ」


 エリナは痛みに呻くノーグに満足したらしく、怒りの矛を収める。


「それじゃあ、とりあえず出ていけ。早急にだ。立ち上がれないようならば、蹴り出してやっても構わないんだぞ?」


「お気遣いありがとう。ですが結構です」


 ノーグは立ち上がって敬礼すると、逃げるように司令室を出た。

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